第62話 扉の前に立つ影
62話です
塔の高位司祭の宣言が落ちたあと、
広場は深い沈黙に包まれた。
風もない。
誰も喋らない。
立っているだけで、
沈黙が肌に刺さるように重い。
ミナは喉の奥がひりつくほど緊張していた。
(……先生を……
“記録に選ばれた者”って……
どういうこと……?)
リオが低い声でつぶやく。
「記録室に選ばれたって……
つまり、先生が読むってことか?」
先生はすぐに答えなかった。
沈黙が沈黙を呼び、
広場の緊張はさらに濃くなる。
やがて先生はゆっくり言った。
「……まだ決まったわけじゃないよ」
しかし、
その声には“否定の強さ”がなかった。
ミナは気づく。
(否定してるのに……
言葉に力がない……
本当は……自分でも分かってる……?)
◇
高位司祭は、
先生をじっと見る。
その目には敵意も見下しもない。
ただ、
“理解できないものを前にした時の、人間の本能的な目”
だけがあった。
「記録室の扉は……
あなたが行けば、揺れるでしょう」
ミナの心臓が跳ねる。
(揺れる……?
扉が……揺れる……?
生き物みたいに……?)
司祭は続ける。
「記録室の扉には……
“従う心”と“疑う心”を見分ける仕組みがある。
疑いを持たない者は……扉の前で止められる」
リオが眉をひそめた。
「なんだそれ……
魔法でもあんのか?」
司祭は小さく首を振る。
「魔法ではありません。
ただの……“考えの仕組み”です」
ミナは息を呑む。
(考えの……仕組み……?
そんなものが扉に……?)
先生は一歩前に出て言う。
「“従う心”と“疑う心”を区別するって……
まるで……何かを選別しているようだね」
司祭は深くうなずく。
「その通りです。
記録は……“従う者には渡せない”内容だから」
街の沈黙が揺れた。
(従ってきた私たちは……
その記録を読めない……?
そんなものが……塔にあったの……?)
ミナの胸が苦しくなる。
司祭は、沈黙の街を見渡しながら言う。
「あなたは……
街に“疑いの心”を生み出してしまった」
リオが肩をすくめる。
「生み出した、って……
それ悪いことか?」
司祭は首を振る。
「悪ではありません。
ただ――
支配が“終わる”というだけです」
広場の空気がひりつく。
ミナは先生の横顔を見る。
(先生……
あなたは本当に……
“終わらせようとしてる”の……?)
◇
そのとき、塔の方角から鐘が鳴り響いた。
昨日まで整った音だった鐘が、
今日はわずかに狂っている。
“ぐらついている塔の音”。
広場の人々は一斉に塔を見た。
司祭が低く言う。
「強硬派が……
扉の内側で“記録の破棄”を始めました」
ミナの身体が痺れる。
(き、記録の破棄……!?)
リオが叫ぶ。
「おい!
そんなの許していいのかよ!?
だったらもう……何も分かんねぇじゃねぇか!」
司祭は苦しそうに言う。
「だからこそ……
“記録に選ばれた者”が必要なのです」
司祭は先生を見る。
「扉は……
あなたが触れた時、
おそらく“開くか、壊れる”」
ミナは震えた。
(壊れる……?
扉が……?
でも……どうして先生だけ……?)
先生は静かに言う。
「僕が行けば良い、ということ?」
司祭は深くうなずいた。
「あなたの沈黙は……
塔の沈黙を動かしている。
あなたが扉に触れれば……
内部の者たちも動かざるを得ない」
リオは息を飲む。
「まじかよ……
先生、塔を動かすのかよ……」
ミナは、先生の返事を聞くのが怖かった。
だが先生は――
迷いのない声で言った。
「分かった。
行こう」
ミナの心臓が崩れ落ちた。
(せんせい……
本当に行くんだ……
記録室に……)
◇
広場の市民たちは、
声もあげずに道を開けた。
沈黙で作られた道。
誰も指示していないのに、
自然と中央に一本の道が通る。
先生はその真ん中を歩き始めた。
リオが横でつぶやく。
「なんかよ……
先生の後ろ姿、もう……
街の代表みてぇだな」
ミナは胸が痛んだ。
(先生……
あなたは……
もう“ただの先生”じゃない……)
ミナは勇気を振り絞り、先生の袖を掴む。
「せんせい……
もし……もし、扉が……
先生を拒んだら……どうするの……?」
先生は微笑んだ。
しかしその微笑みには、
ほんの少しだけ“影”があった。
「拒まれたら……
方法を考えるよ」
ミナは言葉を失う。
(“考えるよ”……
なんでもない言葉なのに……
今の先生から聞くと……
とても危ない意味に聞こえる……)
先生は歩き出す。
街の沈黙が、
その後ろ姿についていく。
塔は揺れている。
記録は破棄されようとしている。
扉は選別を始めている。
そして――
先生はついに“中心”に立つ。
これはもう、
後戻りできないラインだった。
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