第58話 沈黙が形を持つ日
58話です
塔から逃げ出した司祭の叫びが、
広場の沈黙に吸い込まれていく。
街の人々は、誰も声をあげなかった。
怒りも、嘲笑も、同情もない。
ただ、沈黙だけが司祭を包んだ。
その沈黙は――逃げる司祭を責める沈黙ではなかった。
“観察している沈黙”だった。
ミナは隣で震えていた。
「せんせい……
なんか、街の人……
みんな、同じ空気になってる……」
リオが眉をしかめる。
「団結って感じじゃねぇけど……
なんつーか……“ひとつの生き物”みたいな……」
「そうだね」
僕はゆっくり答えた。
「沈黙が“意思”を持ち始めた」
ミナは息を飲んだ。
◇
広場の向こうで、
倒れた司祭が必死に立ち上がろうとしていた。
その顔には、支配者の威厳は欠片もなかった。
恐怖で歪み、
自分の足を抱きしめ、
息を荒くしながら僕を見る。
「こ、これが……
これが……お前の仕業か……!」
僕は首を横に振る。
「違いますよ」
司祭は震える手を伸ばす。
「だ、黙れ……沈黙で返すな……
その沈黙……! その目……!
街が……街が……お前に……!」
ミナは、司祭の声よりも、
司祭が“僕を恐れている理由”の方が怖かった。
(先生……
沈黙だけで司祭を追い詰めてる……
何もしてないのに……)
リオは、逆に感心したように呟いた。
「……やべぇ……
先生、ほんとに怖ぇな……」
僕は二人に聞こえないほど小さく息を吐いた。
(怖がらせるつもりはなかったんだけどな……)
だが、胸の奥にわずかに灯った感情があった。
“沈黙で動く街を見て、
少しだけ、心地いいと思ってしまった自分”。
それをミナは一瞬だけ見逃さなかった。
(先生……
今……ほんの少しだけ……
嬉しそうだった……?)
◇
そのとき――塔の方向から新たな騒ぎが起きた。
「塔で告発だ!!」
「司祭の一人が、教団のやり方を責めたぞ!!」
「内部で、“登録は間違いだ”と言ったらしい!」
広場がざわついた。
声は出ない。
しかし、沈黙の中に“揺れ”が生まれる。
ミナが息を詰める。
「せんせい……
塔の中で……“告発”って……
どういうこと?」
「内部に、疑いを持った司祭がいるということだよ」
「それって……
教団の崩壊……?」
リオが口笛を吹く。
「内部告発なんて、普通は最後の最後だろ……?」
僕は答える。
「そうだね。
だけど今回は“最後”じゃない。
“始まり”なんだ」
ミナは困惑した。
「始まり……?」
「崩壊じゃない。
“分裂の始まり”。
塔はこれから二つに分かれる」
その言葉に、広場の空気がふるえた。
◇
塔の階段を駆け下りてきた別の見習い司祭が、
息を切らしながら広場に現れた。
彼は逃げてきた司祭の隣に膝をつき、
「司祭さま!
早く戻らないと……
“反対派”が記録室を封鎖しました……!」
司祭は蒼白になる。
「あいつら……!
塔の記録に触れるつもりか……!」
ミナがつぶやく。
「塔の……記録って……?」
「教団が街を支配してきた“根拠”だよ」
リオが顔を上げる。
「根拠って……」
「“なぜ従わせるのか”っていう理由」
ミナは震えた。
(理由……
そんなもの、あったの……?)
司祭は僕を睨みつけた。
「お前が……!
お前が街を揺らしたから……
塔の中が疑いに満ちた!!
沈黙を武器にするなど……!」
僕は答えなかった。
ただ、司祭を見つめる。
その沈黙が――
司祭の心をさらに折っていく。
司祭は叫んだ。
「黙るな!!
その沈黙が……一番恐ろしい!!
何を考えているッ!!」
僕はゆっくり言った。
「僕は、何もしていませんよ」
司祭は頭を抱えた。
「やめろ……
その言葉……
その目……
街が……街が……!」
その瞬間、広場にいた全員が悟った。
司祭はもう――街を支配できていない。
◇
逃げた司祭は、見習いに支えられながら塔へ戻ろうとした。
しかし、広場の沈黙が重くのしかかり、
彼は一歩も前に進めない。
街の人々は誰も道を塞いでいない。
ただ、沈黙が重すぎて司祭は歩けなかった。
(これが……沈黙の力……)
ミナは怖さと同時に、
言葉にできない感情が胸に広がった。
(先生が……
沈黙の中心に立ってる……)
◇
僕は広場を見渡し、
胸の奥でひとつの“確信”が育った。
(街は……動き始めた)
街はもう、
教団の言葉では動かない。
でも――
僕の言葉なら、動くだろう。
その確信が、
胸の奥で静かに膨らんだ。
ミナはその表情を見てしまった。
(……今……
先生の横顔が……
ほんの少しだけ……
“支配者”みたいだった……)
でも彼女は言えなかった。
言葉にした瞬間、
何かが壊れそうで。
◇
塔の方向で鐘が鳴る。
昨日よりも不規則で、
昨日よりも高く、
昨日よりも不安定な音。
「塔の告発」
「記録室の封鎖」
「街の沈黙」
「司祭の逃亡」
揺れはもう止まらない。
そして――
この揺れの中心に立っているのは、
街でも、教団でもない。
“僕”だ。
その事実がミナの胸に刺さり、
彼女は強く目を閉じた。
(先生……
あなたは、どこへ行こうとしてるの……?)
街は沈黙で満たされ、
塔は崩れ始め、
意思は形を持ち始めた。
これはまだ序章にすぎない。
沈黙が街を動かし、
街が塔を揺らし、
塔が世界へ波紋を広げる。
これが――
先生がまだ知らない、
“長い物語の第一歩”だった。
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誤字脱字はお許しください。




