第57話 沈黙の下で動く影
57話です
塔から聞こえる怒号は、
朝の街に異様な反響を落としていた。
普段なら、塔は街を支配する象徴であり、
不動で、冷たく、揺れないものだった。
だが今日は違う。
塔は――ゆっくりとひび割れていた。
◇
僕は倉庫の扉を半分開けたまま、
遠くの塔を見つめていた。
ミナが恐る恐る聞く。
「先生……
塔の中……どうなってるの……?」
「揺れてるね。
そして……分裂し始めた」
リオが目を細める。
「昨日、殴り合ってたって話、マジっぽいな」
僕は頷いた。
「揺れると、人は“自分を守ろう”としたり、
“正しい側につこう”としたりする。
意見が割れるのは当然だよ」
ミナがぽつりと呟く。
「でも……教団って……
意見が割れないようにしてたんじゃ……」
「してたよ。
だから“割れた”ことで、塔が崩れ始める」
ミナは息を呑む。
(塔が……壊れる……?)
◇
倉庫の裏口から、
子どもたちが次々に入ってくる。
昨日よりも増えた。
怯えている子もいるが、
何か決定的な“知りたい”が芽生えているようだった。
僕は壁に文字を書いた。
【うわさ】
【しずけさ】
【みえない て】
ミナが眉を寄せた。
「……噂と、静けさ……?
見えない手……?」
僕はゆっくり説明する。
「街には、いま二つの流れがある。
一つは“噂”。
塔の争いが外へ漏れ始めて、
人の心を揺らす力だ。
もう一つは“静けさ”。
誰も声にしていないけれど、
街全体が何かを考え始めている沈黙だ」
リオが腕を組む。
「噂と静けさが……両方あるのか」
「そして“見えない手”。
これは……まだ形になっていない意思のこと」
ミナはきょとんとした。
「意思……?」
「誰が動かしたわけでもないのに――
街全体が、ある方向へ少しずつ流れ始めている。
まだ誰も気づいていない“見えない手”だよ」
ミナの胸がざわついた。
(街のみんなが……
誰にも言われてないのに……
同じ方向に……?)
◇
そのとき――
遠くで悲鳴が上がった。
ミナが飛び上がる。
「っ……!!」
リオが窓の外を見て怒鳴る。
「おい……!
塔から司祭が飛び出してきた!!」
僕も外を見る。
塔の階段を転げ落ちるように走ってくる黒衣の影。
恐怖に顔をゆがめている。
周囲の市民がざわめく。
しかし――誰も近づかない。
誰も助けに行かない。
誰も声をあげない。
ただ、沈黙で見ている。
ミナは震える。
「みんな……助けないの……?」
僕は首を横に振った。
「街は、今“観察している”んだよ」
「観察……?」
「塔の内部がどうなっているのか。
司祭がなぜ逃げてきたのか。
誰が味方で、誰が敵なのか。
声を出さずに、“観察して選んでいる”」
ミナは鳥肌が立つのを感じた。
(静かな街が……
こんなにも怖い……)
◇
司祭は息を切らし、広場に倒れ込んだ。
追ってくる影はない。
だが彼は、追われている人間の顔をしていた。
市民たちが遠巻きにする中、
僕はゆっくり近づいた。
司祭は僕を見ると、
恐怖で言葉を失った。
「……き、貴様……
な、何をした……
街に……塔に……何を……!」
僕は静かに答える。
「何もしていませんよ。
言葉を話して、文字を書いただけです」
「それが……
それだけが……
塔を……揺らしているのか……?」
司祭の声は震えている。
僕は言葉を返さずに、ただ見つめた。
司祭は僕の沈黙に怯えた。
「……黙るな!!
その沈黙……
その沈黙こそが……街を狂わせて……!」
叫び声。
街中に響くほどの恐怖の声。
その瞬間、
広場中の市民が――黙って司祭を見た。
誰一人、言葉を発しない。
その沈黙は、
司祭の叫びよりも強かった。
ミナが息を飲む。
(沈黙で……司祭を追い詰めてる……?)
◇
僕はゆっくり言った。
「沈黙は、あなたが支配していたものでは?」
司祭の瞳に恐怖が走る。
「違う……
こんな沈黙……知らん……
これは……反逆の沈黙だ……!」
「違いますよ」
僕は微笑んだ。
「ただの“考える沈黙”です」
司祭は膝から崩れ落ちた。
市民たちは誰も近づかない。
でも、誰も目を逸らさない。
沈黙の意思が広場を満たす。
ミナは震えながら僕を見る。
「先生……
今の沈黙……
街が……先生の方に寄ってる……?」
僕は答えない。
ただ、広場を満たす沈黙を見つめていた。
(この沈黙は……
まだ誰のものでもない。
街のものだ)
しかし――
胸の奥で微かに、
もうひとつの感情が動いた。
(でも……
導こうと思えば、導ける)
ミナは僕の横顔を見て、
その“かすかな影”を見逃さなかった。
(先生……
今……少しだけ……怖い顔をした……)
沈黙が街を覆い、
塔は初めて、本当に揺れ始めた。
そしてこの揺れは、
もう誰にも止められなかった。
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誤字脱字はお許しください。




