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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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第56話 沈黙が歩き出す日

56話です

12月16日改稿

翌朝。

スラムの空は曇り、光の差さない灰色だった。


いつもと同じ路地。

いつもと同じ井戸。

いつもと同じ壁の汚れ。


――それなのに、街の空気だけが昨日と違う。


歩く人の足取りが少しだけ遅い。

目線の高さが少しだけ上がる。

口を閉ざす理由が、少しだけ変わる。


(沈黙が……歩いている)


そう感じるほど、沈黙に「重さ」があった。

ただ黙っているのではない。

“黙り方”が揃い始めている。



ミナとリオは倉庫の前で僕を待っていた。


ミナは落ち着かず、何度も街路を振り返る。

リオは腕を組んだまま、やけに黙っている。


「先生……今日……なんか、街全体がざわざわしてる……」


「ざわざわ?」


「声があるわけじゃないのに……心だけが動いてるみたいな……」


リオが低くうなずく。


「歩いてる奴らの顔、昨日と違う。

 “怯えてる”じゃねぇ。……目が、開いてる」


「“意思のある沈黙”が始まっているね」


ミナが息を呑んだ。


(沈黙に……意思……?)


「恐怖の沈黙は、縮む。

 でも意思の沈黙は、広がる」


僕はそう言って、倉庫の扉を開けた。



中には、いつもより子どもが多かった。

昨日の倍。いや、それ以上だ。


怯えた顔もある。

でも、それより強いものが混ざっている。


――来たい。

――知りたい。

――確かめたい。


ミナとリオは顔を見合わせた。


「先生……こんなに来るの、初めてだよ……」


「街が考え始めてる証拠だね」


僕は壁にチョークで書く。


 【なにを えらぶのか】

 【だれが きめるのか】

 【こえのない こえ】


ミナが小さく呟く。


「……“声のない声”?」


「沈黙の中には声がある」


僕は子どもたちを見回し、ゆっくり言った。


「大きく叫ぶ声より、ずっと強い声がね」


子どもたちは息を潜めて聞いている。

僕は続ける。


「恐怖で黙る沈黙には、力がない。

 でも“意思で黙る沈黙”は、支配者にとって最も扱いづらい」


リオがぼそっと言う。


「……教団が一番嫌がる沈黙ってことか」


「そう。だから今、塔の中は混乱している」


ミナが震えた声で聞いた。


「先生……どこまで揺れてるの、教団……?」


「“意思の沈黙”に触れた瞬間、支配者は必ず焦る。

 塔は今日、大きく揺れるよ」



その瞬間だった。


倉庫の外を何人もの足音が走り抜け、

そのあとに大声が続いた。


「塔で争いだ!」

「司祭が怒鳴り合ってる!」

「奉仕登録の紙、回収止まったぞ!」


子どもたちが怯えて寄り添う。

ミナは窓の隙間から外を見て、息を呑んだ。


「せんせい……ほんとうに……塔から、人が……!」


塔の階段を、何人もの見習いが駆け下りていく。

門の周りで指示が飛び、声がぶつかり、引っ込む。


――声が漏れている。

それだけで、異常だった。


通りを歩く市民たちが、一斉に塔のほうを見る。

近づかない。騒がない。笑わない。


ただ――沈黙で見ている。


その沈黙が、塔を圧していた。



しばらくして、スラムの中年男が倉庫に駆け込んできた。


「先生! 大変だ……!」


「落ち着いて。何があった?」


男は荒い息で言う。


「塔の中で……司祭同士が……掴み合いになったって……!」


「掴み合い?」


「誰かが止めたらしいけど……

 “登録は強制だ”派と、“今は刺激するな”派が割れて、

 もう滅茶苦茶だ……!」


噂は膨らむ。

だが、芯は同じだ。


――塔は割れている。

――命令系統が揺れている。


リオが口笛を吹く。


「おいおい……教団、終わってんじゃねぇのか?」


「まだ終わらないよ」


僕は淡々と答えた。


「ただ、“揺れの第二段階”に入っただけだ」


ミナが不安そうに僕を見る。


「せんせい……これから、どうなるの……?」


僕はチョークを取り、壁に一本の縦線を引いた。


 │


線の左に書く。


 【しはい】

 【おそれ】


右側に書く。


 【じゆう】

 【えらぶ】


「塔の中で争っているのは、この線だよ」


ミナが見つめる。


「……線……?」


「支配から自由へ。

 恐怖から選択へ。

 街と教団は今、この線の上で揺れている」


ミナの胸の奥に、熱いものが広がる。


(先生は……ほんとうに、街を“線”ごと揺らしてる……)



そのとき――


倉庫の前に、黒衣の影がひとつ落ちた。


昨日、“沈黙の質”を報告した使いだ。

深いフード。乾いた足音。

ミナとリオが同時に身構える。


僕は扉を開けた。


「ご用ですか?」


男は、昨日より明らかに揺れていた。

声が整っていない。


「……先生。塔が……沈黙に飲まれています」


「飲まれて?」


「街の沈黙じゃない。

 塔の中の沈黙が……何かを恐れている」


ミナが息を呑む。


(塔の中の沈黙……先生が変えたのは街だけじゃ……)


男は声を低くした。


「司祭は今日、重大な誤りを犯しました」


「誤り?」


「“奉仕登録は誇りである”と言い出したのです」


リオが苦笑する。


「あーあ……言っちまったか……」


男が続ける。


「なぜ“誇り”と言い始めたのか……

 司祭が……恐怖に追われているように見えた」


ミナの背筋が冷たくなる。


(誇り……先生が言ってた……奪いに来るって……)


男はさらに低く言った。


「だが街は、誰ひとり反応しませんでした。

 歓声も、感謝も、涙も……出なかった」


僕はゆっくり答える。


「人の誇りは、奪うものじゃない。

 与えるものでもない。

 “自分で持つもの”です」


男は俯き、しばらく動かなかった。

そして、かすれる声で聞いた。


「……先生。あなたは……街に何をした?」


僕は静かに言った。


「沈黙を、自由にしただけです」


男は顔を上げられなかった。

――その沈黙は、同意ではない。

恐怖でもない。


“理解してしまった沈黙”だった。



その頃、塔の最上階。


司祭は窓辺に立ち、街を見下ろしていた。


沈黙している。

今日も変わらず沈黙している。

だが――昨日より深い。


「黙っている……なぜだ……

 なぜ動かぬ……

 なぜ私を見上げぬ……」


呟きは弱い。


沈黙は支配の武器だった。

だが今、その沈黙が司祭の喉元を締め上げている。


(沈黙に……負けている?

 私が……?)


初めて司祭の胸に浮かんだのは、恐怖ではなかった。


――疑問だった。

しかも、消せない種類の。


塔にもまた、

【選ばされる側】が生まれつつある。


そしてそれこそが――

支配の終わりの始まりだった。


────────────────────

誤字脱字はお許しください。

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