表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/91

第53話 塔の中のひび

53話です。

12月16日改稿

鐘の音は、しばらく不規則に鳴り続けた。


高い音と低い音が混ざり合い、

まるで塔そのものが震えているように聞こえた。


(……相当、混乱しているな)


街の人々は不安げに空を見上げ、

誰もが「何かがおかしい」と感じている。


けれど、その「おかしさ」が

教団の焦りから来ているとは、まだほとんどの人は知らない。



スラムの中心から少し離れた石畳の通りを、

黒衣の男が早足で歩いていた。


司祭直属の使い――

あの夜、僕に“三日間の行動を見ている”と告げた男だ。


彼は塔の重い扉を押し開け、

冷たい石段を上っていく。


途中、別の修道服の見回りが彼を止めた。


「どうでした? スラムの様子は」


男は立ち止まらずに答える。


「沈黙している」


「それは……従っているということでは?」


「違う。

 あれは“様子を見る沈黙”だ」


見回りは意味が分からず眉をひそめた。


男は階段を上り切ると、

塔の最上階にある司祭の部屋の前で一度だけ深呼吸した。


扉をノックすると、中からくぐもった声が聞こえる。


「入れ」


扉を開けると、

そこには机の上に山積みになった書類と、

苛立ちを隠しきれない司祭の姿があった。


司祭の指は机をリズムなく叩いている。

その仕草だけで、彼の内心が落ち着いていないことが分かる。


「報告を」


司祭の声は短く、乾いていた。


男は膝をつき、静かに言う。


「スラムの住民――

 奉仕登録の紙を受け取ったまま、

 ほとんどが“提出しておりません”」


「……ほとんど?」


「はい。

 自ら進んで教会へ向かい、

 登録を出したのは、今朝までで……三件のみ」


司祭の指が止まる。


「三件……?」


男は続ける。


「彼らは掲示を見た時も、

 騒ぎを起こすわけでもなく、

 かといって教団に従いますと叫ぶわけでもなく……

 ただ、黙っていました」


司祭の喉がわずかに鳴った。


「黙って……?」


「はい。

 沈黙していました。

 恐怖だけの沈黙ではなく……

 何かを計っているような沈黙です」


司祭の目が鋭く細くなる。


「先生の言葉か」


男はわずかにうなずく。


「恐らく。

 先生は、何も叫んではいません。

 街に向かって声を上げたこともない。

 しかし――

 街の沈黙の“質”が変わっている」


司祭は椅子にもたれかかり、

天井を見上げた。


「沈黙の質……か」


その言葉を、

彼は噛み締めるように何度も繰り返した。



沈黙は、司祭にとって“便利な道具”だった。


人々の口を閉ざさせれば、

問いは生まれず、

疑いは伝播しない。


祈りを唱えさせておけば、

心の奥で何を思っていようと関係なかった。


――はずだった。


だが今、

塔の中で司祭を追い詰めているのもまた“沈黙”だった。


人々が何も言わない。

従うとも、逆らうとも言わない。


その沈黙が、

司祭の胸の奥に鈍い不安を染み込ませていく。


(沈黙が……こちらに牙を向けている)


司祭はゆっくりと目を閉じた。


「……先生は、何をしている?」


使いの男が答える。


「表立っては、何も。

 授業も、あからさまには行っていません。

 子どもたちを集めず、

 小さな場で“話している”だけです」


「何を話している」


「聞き取れた範囲では――

 “考えること”や、“恐怖と沈黙の違い”について」


司祭の唇がわずかに歪んだ。


「恐怖と沈黙……。

 ……愚か者め。

 そんなことを教えても、街は救えぬというのに」


(だが、救えぬ愚か者がいるからこそ、

 支配は長く続くものだ)


そう考えようとした瞬間、

心の奥で何かがひび割れる感覚があった。



「司祭さま」


使いの男が恐る恐る言う。


「先生を……どうなさいますか?」


「どう、とは?」


「“敵”とみなすのであれば、

 奉仕登録義務化の流れに乗せて、

 先生を“沈黙拒否者の首謀”として……」


言い終わる前に、

司祭は低く遮った。


「今、それをすれば……

 街は確実に動く」


男は目を見開く。


「しかし――」


「奴は“まだ何もしていない”。


 授業をした。

 子どもに字を教えた。

 それだけだ。


 奴を排除するには、“正当な理由”が要る」


「理由など――」


司祭の声が一瞬鋭くなった。


「理由なき制裁は、支配者の首を絞める」


男は言葉を失った。


司祭は立ち上がり、窓の外を見下ろした。


塔から見える街は小さい。

だが、その小さな街が、今までになく読みにくくなっている。


(沈黙は、こちらの都合で作られるべきものだ。

 だが今、奴は――

 沈黙を“奴自身の道具”にしている)


司祭は、

塔の中の自分が

わずかに追い詰められていることを自覚していた。



「……先生をすぐに排除する気はない」


司祭は言った。


「しかし、放置もできぬ。

 奴の周りに集まる者を洗え。

 家族構成、暮らし、借金、弱み――

 すべてだ」


「すべて……?」


「そうだ。

 “街を変える”と言うのなら、

 街の中で一番弱い部分から折れる」


男は背筋が寒くなるのを感じた。


(司祭さまは……

 外からではなく、“内側から”折ろうとしている)


「それから」


司祭は続けた。


「奉仕登録の制度は、そのまま維持する。

 ただし……言葉を変える」


「言葉を……?」


「“義務”という言葉を、“誇り”に変えろ」


男は首をかしげた。


「誇り……?」


「そうだ。

 “奉仕は、街を守る者だけが持てる誇りだ”

 “登録する者は、弱き者を守る盾だ”」


男はようやく理解した。


「……“道徳”として、染み込ませるおつもりですか」


「人間は、恐怖だけでは動かぬ。

 “良いことをしている”と信じさせれば、

 喜んで首輪を嵌めに来る」


司祭の瞳には、

静かな冷たさが戻っていた。


「先生が言葉を使うなら、

 私も言葉を使おう。


 静かに、

 ゆっくりと――

 街そのものの心を、こちら側に傾ける」


使いの男は恭しく頭を下げた。


だがその胸の奥では、

別の感情が微かに芽生えていた。


(……本当に、

 ここまでやる必要があるのか……?)


最初は単なる命令だった。


「街を静かに保て」

「祈りを忘れさせるな」


それがいつの間にか、

「考える者を敵とせよ」

「沈黙を守らぬ者を裁け」

という言葉に変わっていた。


(どこまでが正しくて、

 どこからがおかしいのか……)


男は、その境界が分からなくなりかけていた。



一方その頃。


スラムの倉庫で、僕はくしゃみをした。


「……誰か噂してるな」


リオが笑う。


「お前、そんなことも分かんのかよ」


「分からないよ。今のはただのくしゃみだ」


ミナが少しだけ笑った。


倉庫の空気はまだ重い。

けれど、その中に

ほんのわずかな“笑い”が混ざり始めていた。


「先生」


ミナが真剣な目を向けてくる。


「教団は……どう動くと思う?」


「言葉を変えるよ」


「言葉……?」


「“義務”を、“誇り”って言い換える。

 奉仕登録を“従うための鎖”じゃなくて、

 “誰かを守るための印”みたいに見せるはずだ」


リオが顔をしかめる。


「……だったら余計タチ悪ぃじゃねぇか」


「そう。

 だから、こっちも“言葉で”対抗する」


ミナが首をかしげる。


「どうやって……?」


「簡単なことだよ」


僕はチョークをくるりと回した。


「向こうがそれを“誇り”と言うなら、

 僕はこう言う。


 ――“誇りは、自分で選ぶものでしょう?”って」


ミナとリオは同時に息を呑んだ。


「選ばされる誇りなんて、

 誇りじゃない。


 その矛盾に気づいてしまった人から、

 静かに変わっていく」


僕は倉庫の壁に向かって、

新しい文字を書き始めた。


 【えらばされること】

 【えらぶこと】


震える手つきのミナが、

その文字をじっと見つめる。


(私は……

 どっち側に立ちたいんだろう……)


彼女の胸の中でもまた、

小さなひびが入ろうとしていた。


――それは、

教団ではなく“古い自分”へのひびだった。


街のあちこちで、

目に見えないひびが静かに広がっていく。


塔の中にも。

路地の隅にも。

倉庫の壁の前にも。


そしてやがて、

それらのひびは一本の線で繋がる。


まだ誰も、その形をはっきりとは知らない。

ただ、確実に――

街は以前とは違う方向へ動き始めていた。



誤字脱字はお許しください

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ