第48話 司祭の次の手
48話です。
12月16日改稿
教団の「識別」が始まって、三日目。
街は、もはや元の沈黙には戻っていなかった。
怯え。
怒り。
諦め。
それらが溶け合った、どす黒い感情が、
スラムの路地という路地に染み込んでいる。
その空気を引き裂くように、朝の鐘が鳴った。
(……重いな)
音が低い。
いつもより、一拍だけ長い。
まるで街全体に
「逃げ場はない」と言い聞かせるような鳴り方だった。
そこへ、リオが息を切らして駆け込んでくる。
「先生!!
また広場だ!
“新しい制度”が貼られてる!」
ミナは、もう泣きそうな顔をしていた。
「……また……
ああいう、怖い紙……?」
「行こう」
短く言って、僕は歩き出した。
◇
広場には、すでに人だかりができていた。
誰も話さない。
誰も目を合わせない。
ただ、貼られた紙だけを見つめている。
文字は大きく、
逃げ場のないほどはっきりと書かれていた。
⸻
【新制度:奉仕登録】
・今後、スラム住民は“奉仕登録”を行うこと
・登録者には、教団の加護と安全を与える
・未登録者は“沈黙拒否者”として扱う
・沈黙拒否者の家族にも“識別”が及ぶ場合がある
⸻
ミナの顔から、血の気が引いた。
「……これ……
なに……?」
リオの拳が、震えている。
「登録しねぇやつを……
まとめて“敵”にすんのかよ……!」
僕は紙を見つめたまま、
小さく息を吐いた。
(……やはり来たか)
これは、
自発的に従わせるための制度だ。
強制ではない。
だが、実質的には強制よりも厄介だ。
“登録しない自由”が、
そのまま“危険”として扱われる。
つまり――
街全体を、沈黙へ追い込む仕組み。
ミナが、僕の服を掴む。
「先生……
こんなの……どうしたら……
登録しなかったら、うち……!」
「大丈夫」
「だいじょうぶ……!?」
僕は、はっきりとうなずいた。
「これには――
弱点がある」
リオが、思わず前のめりになる。
「どこにだよ!?
こんなの、逃げ道ねぇだろ!」
「あるよ」
僕は、街の人々を見渡した。
怯え。
迷い。
戸惑い。
その表情の奥で、
静かな怒りが芽を出し始めている。
(……司祭は、焦りすぎた)
制度を急激に押しつければ、
人は必ず“違和感”を覚える。
その違和感こそが、
揺れを決定的なものに変える。
ミナが、かすれた声で聞いた。
「……じゃあ……
どうすれば……
街は……守れるの……?」
「方法は一つだけだ」
僕は倉庫のほうへ歩きながら言った。
「声を出さずに、揺らす」
リオが目を丸くする。
「は!?
なんだよそれ……!」
「街は今、司祭の“言葉”で揺れている。
なら僕は――
司祭の“制度の穴”を、静かに突く」
ミナが恐る恐る尋ねた。
「……危ないこと、するの……?」
「危なくないよ」
一拍置いて、続ける。
「ただ、考えるだけだ」
(実際には危険だ。
でも、それは今言うことじゃない)
◇
倉庫に戻ると、
僕はチョークを取り出し、壁に図を描いた。
小さな三角形。
その下に、一本の長い線。
さらに、その下に小さな点をいくつも。
ミナが首を傾げる。
「……これ、なに……?」
「制度の構造だよ」
リオが腕を組む。
「……さっぱりだ」
「三角形は司祭の権威。
線は制度の宣言。
点は、市民だ」
僕は、線を指でなぞった。
「制度を強引に押しつけすぎると――
この三角形は、重さに耐えきれず倒れる」
リオが眉をひそめる。
「……倒れる?」
「制度っていうのはね、
従わせたい人間が増えすぎると、自滅する」
ミナの目が揺れた。
「……じゃあ……
教団は……
自分で……?」
「壊れる可能性を作る」
僕は言い切った。
「それが、
僕たちの“最初の反撃”だ」
リオが、息を呑む。
「先生……
やっぱ……怖ぇよ……
でも……すげぇ……」
僕は、苦笑した。
「怖いって言われるのは、慣れてる」
ミナは小さく笑い、
それから真剣な目で僕を見た。
「先生……
私たち、どうすればいいの?」
「今日は“観察”だ」
「観察……?」
「街の人が、この制度にどう反応するかを見る。
それだけでいい」
「それで……何が分かるの?」
僕は、倉庫を出ながら答えた。
「司祭が――
どこでしくじったかが分かる」
三日間の揺れは、終わった。
ここから先は――
“揺れの結果”が形になる段階だ。
再び、街の中心で鐘が鳴る。
その音は、
もはや祈りではなかった。
教団の焦りを、
隠しきれない音だった。
誤字脱字はお許しください。




