第42話 静かな包囲
42話です。
12月14日改稿
分散授業を始めて三日。
スラムの空気は、確実に変質していた。
静かではある。
だが、それは以前のような「慣れきった沈黙」ではない。
重い。
張りつめている。
そして、どこかで“音を立てずに軋んでいる”。
路地を歩くたび、黒い法衣が視界の端をかすめる。
見回りの人数は明らかに増え、巡回の間隔も短い。
(……早いな)
司祭は、こちらが想定していた以上に早く動いている。
それは恐怖からではない。
計算の結果だ。
「先生……」
裏倉庫の壁に文字を書いていた僕の背後で、
ミナが声を潜めて話しかけてきた。
「今日、監視……多くない?」
「多いね」
即答すると、ミナは唇を噛んだ。
「街が揺れてるって……こういうことなの?」
チョークの粉が指先に残る。
僕はそれを軽く払ってから答えた。
「揺れはね、
“何が正しいかわからなくなったとき”に起きる」
「……こわい」
「うん。怖いよ」
誤魔化さない。
怖くないふりは、もう必要ない段階に来ている。
リオが入口の影から周囲を確認しながら言った。
「先生、最近あいつら、何も言ってこねぇだろ」
「うん」
「それが逆に気持ち悪いんだよ」
「正しい感覚だ」
僕は頷いた。
「沈黙が長いほど、
裏で“決断”が進んでいる可能性が高い」
二人の喉が、同時に鳴った。
◇
授業は短く切り上げた。
今は量よりも「痕跡を残さないこと」が重要だ。
僕たちは示し合わせず、
それぞれ別の路地へと散っていく。
集まらない。
固まらない。
それが最大の防御になる。
帰り道、僕は一つの異変に気づいた。
(……視線が、ない)
いつもなら、
好奇心と警戒が混ざった目が刺さる。
今日は違う。
露骨に避けられている。
目が合いそうになると、すぐ逸らされる。
(噂だな)
沈黙は自然発生しない。
誰かが、そうなるように配置した沈黙だ。
夜。
家の前に立ったとき、
壁に貼られた紙が目に入った。
白い紙。
太い文字。
「先生……!」
ミナが息を切らして駆け寄ってくる。
「さっき……教団の人が……」
僕は紙を剥がし、ゆっくり読んだ。
⸻
【教団からの通達】
――授業を続ける者は、街の和を乱す者である
――その家族は、教団の保護下に入る可能性がある
――沈黙を守れ
⸻
(……来たか)
餌。
恐怖。
隔離。
次は――人質。
ミナの声が震える。
「これ……脅しだよね……?」
「うん」
即答すると、彼女の顔がさらに青ざめた。
「でも、もっと厄介なのは……
“保護”って言葉を使ってることだ」
リオが歯を食いしばる。
「また祈り室かよ……!」
「それより広い意味だ」
紙を折りながら説明する。
「今回は“誰でも対象”にできる。
家族、兄弟、同居人……全部含めて、だ」
ミナの視線が、僕に向く。
「先生の……家族は……?」
「いない」
その瞬間、二人がわずかに安堵し――
次に、ミナが気づいて凍りついた。
「……じゃあ……」
「君たちだ」
沈黙。
リオが一歩前に出た。
「ふざけんなよ……
俺たちが狙われるって分かってて、
それでも続けるのかよ……!」
「続ける」
迷いのない声だった。
リオの拳が震える。
「なんでだよ……!
先生がやられたら許さねぇし、
俺たちがやられたら……もっと許さねぇ……!」
僕は二人をまっすぐ見た。
「君たちはもう、
“考える側”に立った」
二人が息を呑む。
「その時点で、
教団から見れば“管理外”だ」
「やめても、狙われる。
続けても、狙われる」
「だったら――
折れない街を作るしかない」
ミナの目に涙が浮かぶ。
「そんなの……
できるの……?」
「できる」
即答する。
「ただし、ゆっくりだ」
リオが低い声で聞いた。
「どれくらい……?」
夜空を見上げながら答える。
「半年かもしれない。
二年かもしれない」
「でも――
始まりは、今日だ」
ミナが袖を掴む。
「じゃあ……
私たちは、どうすれば……」
「生き残りながら、考え続ける」
「それだけで、
街は変わる」
その瞬間。
路地の奥から、足音が聞こえた。
一つではない。
複数。
ゆっくり、確実に近づいてくる。
黒衣の影。
(……見回りじゃない)
これは、司祭直属。
僕はチョークを強く握った。
夜風が冷たい。
スラムの“揺れ”は、
もう引き返せないところまで来ている。
それは崩壊ではない。
――裂け目の音だ。
次に起きるのは、
「破壊」か、それとも「変形」か。
それを決めるのは、
もう教団だけではない。
誤字脱字はお許しください。




