第41話 静かに広がる火種
41話です。
12月14日改稿
「先生、今日……どうするの?」
ミナが、僕の袖をそっと掴んだ。
朝のスラムはいつもどおり冷たい。だが、空気の重さが昨日までとは明らかに違う。
大人たちの視線が、妙に落ち着かない。
見ていないふりをしながら、こちらの動きを探っている――そんな“挙動を隠す揺れ”が、街のあちこちに漂っていた。
「授業は続けるよ」
そう答えると、ミナの肩がわずかに揺れた。
「ただし、“方法”は変える」
「……昨日の“禁止令”、街の人たちも知ってる」
ミナは声を落とす。
「教団が本気だって……みんな、怖がってる」
「だからこそ、教えるんだ」
僕は静かに言った。
「怖いときほど、人は“考える力”を必要とする。
恐怖は、思考を止める道具として使われがちだけど――
本当は、考え始めるための合図でもある」
ミナは困ったように笑った。
「先生って……ほんと扱いにくいよね」
「そう?」
「うん。でも……」
一瞬、視線を逸らしてから、彼女は小さく続けた。
「そういう先生だから、私……好きなんだけど」
横で聞いていたリオが、派手に咳払いをした。
「おいミナ、そういうのは今は……!」
「いいんだよ」
僕は遮る。
「感情は自由だ。ただし、教育の場では後回しにする。
優先すべきことは、別にあるからね」
「……そういうとこだぞ、先生」
リオは呆れたように笑ったが、
その目はどこか誇らしげだった。
◇
僕たちは広場を避け、路地裏の奥――
使われなくなった小さな廃倉庫の影へ向かった。
「ここで……?」
ミナが周囲を見回す。
「ここが、最初の“分散授業”だよ」
「分散……?」
「数人ずつ、時間をずらして教える。
教団は“集まる教育”を恐れている。
だから“集まらなければ”、対処しきれない」
リオが周囲を警戒しながら言った。
「先生……あいつら、見てる気がするぞ」
「うん。見てるね」
「なんで分かる?」
「視線の癖だよ。
人は隠れていても、興味を持つと“目だけ”が動く」
ミナがぎょっとする。
「……やっぱ先生、ちょっと怖い」
「怖いと言われると嬉しいな」
僕は苦笑する。
「“教える”って行為は、本来怖いものなんだ。
相手の心に入り込むことだからね」
「やべぇ……完全に悪役だろ」
「悪役かもしれない。
でも、街にとって“必要な悪役”だ」
二人は黙った。
その沈黙は、恐怖でも不信でもない。
――理解が、静かに始まる前の沈黙だった。
◇
そのとき、小走りの足音が近づいてきた。
少女の父親だ。
あの、祈り室から娘を取り戻した男。
「先生……!」
息を切らしながら言う。
「娘は落ち着いてる。
家では……眠れるようになった」
「それはよかった」
「でも……街の空気が変だ。
今日、教団の人間が家の前を二度通った。
“様子を見に来た”って……」
ミナとリオが息を呑む。
(監視を、広げ始めたな)
僕は父親をまっすぐ見た。
「あなたは、黙らないでください」
「……」
「娘さんの前で、声を失わないで。
沈黙は、教団に一番利用される」
父親は震えながら、深く頷いた。
「……俺みたいな弱い人間でも、
先生の言葉は届いた。
だから……負けないでくれ」
「負けないよ」
僕は即答した。
「子どもたちが、許してくれないだろうからね」
父親は涙をこぼし、深く頭を下げて去っていった。
ミナがぽつりと呟く。
「……人って、変わるんだね」
「変わるよ」
僕は答えた。
「ただし、変わるには“揺れ”が必要だ」
「揺れ……?」
「揺れは怖いものだと思われがちだけど、
本当は“考え始めた証拠”なんだ」
リオが腕を組む。
「じゃあ今、街は揺れてるのか?」
「うん。揺れてる」
「いい方向に……?」
「それは、これから決まる。
揺れは、放っておくものじゃない。
“育てるもの”だからね」
ミナが、僕の手にあるチョークを見る。
「先生のチョークって……
なんか、武器みたい」
「武器じゃないよ」
僕はチョークを握り直した。
「“考えを引き出す道具”だ」
「どっちにしろ怖ぇよ……」
リオの言葉に、思わず笑う。
「教育は本来、怖いんだ。
人を変えてしまうからね」
◇
廃倉庫の前に、
子どもたちの小さな影が一つ、また一つと現れる。
誰にも見られないように、
一人ずつ、慎重に。
ミナが静かに言った。
「先生……
もう、始まっちゃってるね」
「うん」
僕は壁に向かい、文字を書き始める。
「“静かな授業”がね」
授業を止めれば、
街の揺れは収まる。
だが続ければ――
街の形は、確実に変わる。
それを一番よく分かっているのは、
きっと教団の司祭だ。
だからこそ、
ここからが“本当の攻撃”になる。
僕はチョークを走らせながら言った。
「さあ、授業を始めよう。
静かに――
けれど、確実に」
スラムの片隅で、
小さな火種が灯った。
それは、
教団が最も恐れる火だった。
誤字脱字はお許しください。




