第4話 スラムに腰を据える理由
4話目です。
12月11日改稿
その晩、僕は寝床をどうするか、ようやく本気で考えていた。
リオが案内してくれたのは、スラムの片隅にある、小さな屋根の下だった。
板がかろうじて斜めに立っていて、雨風を多少しのげる。
「ここ、たまに誰か寝てるけど、今は空いてる。
先生、他に行くとこねぇだろ?」
「助かるよ」
地面にボロ布を敷き、横になってみる。
硬いし、湿っているし、快適とは程遠い。
それでも、頭を休められるだけましだった。
(……別に、この街に居続ける義理はないんだよな)
ふと、そんな考えがよぎる。
記憶はまだ曖昧だが、
どうやら“まともな暮らし”に戻るだけの知識はある。
字も計算もできるし、教会に近づいて働けば、生き延びる道はいくらでもあるだろう。
だけど。
(そのとき、この子たちはどうなる?)
昨日と今日で見た、あの顔が離れなかった。
問いを持ち始めた目。
“あきらめ”に慣れきった子どもたちが、
初めてほんのわずかに世界へ疑問を向けた瞬間。
一度あれを見てしまった以上、
「はい、終わり」と背を向けるのは、どうしてもできなかった。
「せんせー」
物陰から、控えめな声がした。
ミナだった。
「こんなとこで寝るの?」
「仕方ないだろう。君の家に転がり込むわけにもいかないし」
「……父ちゃん、怒るもんね」
ミナは苦笑した。
その顔にかすかに影が落ちる。
しばらく沈黙が続き、
彼女は何かを決めたように口を開く。
「先生……ずっとこの街にいるの?」
その問いは、彼女の口から出たのに、
まるで僕自身に突きつけられたようだった。
「わからない」
僕は正直に答えた。
「でも、“明日も授業する”くらいなら決められる」
「明日も?」
「うん。
その次の日も、そのまた次の日も……。
一日ずつ延長していく感じで、しばらくはここにいると思う」
ミナはほっと息をつき、柔らかく笑った。
「それなら……いいや」
「そんなもんでいいの?」
「うん。
先生、すっごい先の約束しなさそうだし」
図星だった。
「……先生さ」
「なんだい?」
「なんでそんなに、“考えろ”って言うの?」
ミナの声は小さく、けれど真剣だった。
「考えたら、生きづらくなるんでしょ?」
第2話の話をきちんと理解してくれている。
発達段階を考えれば、“意味の理解”というより“感じ取り”に近いが、それで十分だ。
僕は少し笑った。
「そうだね。生きづらくなる」
「じゃあ、なんで……?」
「でも、“自分で選んで生きてる”って実感できるのは、そのときなんだ」
ミナは目を瞬かせる。
「実感……?」
「誰かが決めた物語の中を歩くんじゃなくて、
自分の足で道を選んでるって感覚だよ」
僕は指で、頭上の薄い屋根の隙間を示した。
そこから、ひとつだけ星が見えていた。
「ほら、あの歌。
“静かな子はいい子だよ”ってやつ」
ミナの表情が曇る。
「小さい頃からずっと聞いてると……
なんか、それが正しい気がしてくるんだよね」
「そうだろうね。
歌は“覚えやすい言葉で、考えなくても受け入れられるようにする道具”だから」
「道具……」
「教会が悪いと言ってるんじゃないよ。
でも、それだけが正しいと思い込むと、世界がすごく狭くなる」
ミナはしばらく考えていた。
子どもにとって“教えられた枠”を疑うのは、本来とても難しい。
だからこそ、その一歩は尊い。
「……先生って、面倒くさいね」
「よく言われるよ」
「でも、そういう先生、ちょっと好き」
そう言って、ミナは照れ隠しのように踵を返し、走り去った。
ひとり残された僕は、ボロ布に身体を戻しながら小さくため息をつく。
(……“好き”って言われる年でもない気がするけど)
自分の年齢は曖昧だが、
若者ではないことだけは身体が教えてくれる。
それでも――やるしかない。
この街には、“沈黙を美徳とする物語”が深く染みついている。
それを書き換えるのは簡単ではない。
でも、一歩目はすでに踏み出してしまった。
「明日も授業だな」
そう呟き、僕は目を閉じた。
誤字脱字はお許しください。




