第39話 沈黙を破るささやき
39話です。
12月14日改稿
翌朝。
スラムの空気は、妙に張りつめていた。
湿った霧のせいではない。
人の視線が、以前よりも重く、鋭くなっている。
雑貨屋の前で、三人の大人が固まって話しているのが見えた。
「……昨日の“協議”って、結局なんだったんだ」
「先生、追い出されるって噂もあったぞ」
「いや、逆に教団が焦ってるって話も聞いた」
声は低い。
だが、視線は何度もこちらに向けられている。
僕が近づくと、三人は同時に口を閉じた。
――沈黙の質が、変わっている。
以前の沈黙は、
**「逆らわないための沈黙」**だった。
今の沈黙は、
**「様子を見るための沈黙」**だ。
そこへ、雑貨屋の老婆が顔を出した。
「先生」
皺だらけの目が、じっと僕を射抜く。
「あんた、教団に逆らったんだってねぇ」
「逆らったつもりはありませんよ」
「ふうん……」
老婆は、鼻で笑った。
「でもねぇ。スラムの子どもたち、
あんたが来てから、ようやく笑うようになったよ」
一瞬、言葉を失った。
老婆は続ける。
「笑う子どもはね、教団が一番嫌うんだ」
「考えるからさ」
その一言は、
司祭のどんな説教よりも、核心を突いていた。
「笑い声は、祈りより強い」
「あんた、それをやってるんだよ」
(……的確すぎる)
そのとき、背後から小さな声がした。
「先生……」
ミナとリオだ。
ミナは少し緊張した顔で言う。
「今日の授業……人、増えてるかも」
「増えてる?」
リオが落ち着かない様子で顎をしゃくった。
「見てみろよ」
広場へ向かう。
――そこには、昨日よりも明らかに多い人影があった。
子どもたち。
そして、距離を保ったまま立ち尽くす大人たち。
ざわ……ざわ……
誰も近づいてこない。
だが、誰も去らない。
(来たな)
これは、
街が動き出す直前の“前兆”だ。
ミナが小声で聞く。
「先生……これって、危ない?」
「うん。危ないよ」
即答すると、二人は少し身構えた。
「でもね」
僕は続ける。
「これは“後ろに下がる危険”じゃない」
「“前に進む危険”だ」
リオが、ぐっと拳を握った。
「じゃあ……やるしかねぇな」
僕はチョークを取り出し、地面に一本の線を引いた。
人々の視線が、一斉に集まる。
「今日から――」
言葉を選び、はっきりと告げる。
「“考える授業”を始めます」
ミナの目が輝き、
リオの口元がわずかに上がった。
その瞬間だった。
広場の奥から、
黒いローブの男が静かに歩み出てきた。
教団の使者。
足音は軽く、表情は無機質。
人混みを割るように、僕の前に立つ。
男は一礼し、封筒を差し出した。
「先生へ」
「司祭さまからの、正式な通達です」
嫌な予感は、確信に変わっていた。
封を切る。
中の紙には、短く、冷たい文字。
――授業は禁止とする。
――これに背いた場合、
――祈り室は「誰でも対象」とする。
(……なるほど)
人質に切り替えた、というわけか。
子どもだけでは足りない。
今度は“大人も巻き込む”。
広場の空気が、一気に凍りつく。
誰かが息を呑み、
誰かが一歩、後ずさった。
ミナが震える声で言う。
「……先生……」
リオが歯を食いしばる。
「汚ねぇ……」
使者は淡々と告げた。
「以上です」
「返答は不要」
「従わない場合の結果は、明白です」
男は踵を返し、
何事もなかったかのように去っていく。
残されたのは、
選択を突きつけられた街。
静寂。
だが、それはもう、
教団が望む“従順な静けさ”ではなかった。
人々は、
考え始めてしまった静けさの中にいる。
僕は、地面に引いた線を見つめたまま、
静かに言った。
「……さて」
視線を上げる。
「教団は、もう一段ギアを上げてきた」
ミナとリオが、僕を見る。
「でも――」
僕は、はっきりと言った。
「“考えること”は、もう止められない」
風が吹く。
黒いローブの背中は、
もう見えなかった。
けれど、
この街から“問い”が消えることも、
もうなかった。
――戦いは、
完全に次の段階へ入った。
誤字脱字はお許しください。




