第34話 先生の“危険な側”
34話です
12月14日改稿
夜。
スラムは静まり返っていた。
だが、それは昨日までの静けさとは違う。
恐怖によって押しつけられた沈黙と、
考え始めた人間が生む沈黙が、
まだらに混ざり合った、不安定な静寂だった。
僕は、一軒の小屋の前で立ち止まった。
昼間、祈り室から戻ってきた少女の家だ。
軽く扉を叩く。
「……どうぞ」
中には父親と、布団で眠る少女がいた。
少女の呼吸は浅く、眉間にはまだ緊張が残っている。
父親は、僕の姿を見るなり深く頭を下げた。
「先生……
今日は……すまなかった……」
「もう終わったことです」
そう答えながら、僕は椅子に腰を下ろした。
父親は視線を落としたまま言う。
「俺は……
教団の言うことを信じて……
娘を預けるのが正しいって……」
「信じたかったんですね」
父親の肩が小さく震えた。
「……ああ」
「間違いを認めるのは、勇気が要ります」
父親は拳を握りしめた。
「これから……
どうすればいい……?」
僕は少しだけ考え、
あえて逃げ道を与えない言葉を選んだ。
「娘さんの前で、黙らないことです」
父親が顔を上げる。
「……黙らない?」
「沈黙は楽です。
怒鳴られない。
責められない。
責任を取らなくていい」
父親は反論できずにいた。
「でもそれは、“守っているふり”にすぎません」
少女の寝息が、かすかに乱れた。
「あなたは、娘さんにとって“壁”でした」
「壁……?」
「声を上げても届かない壁です」
父親の喉が鳴った。
「その壁が、どれだけ怖かったか……
娘さんの顔を見れば、わかるはずです」
父親は、布団の少女に目を向けた。
その眉は、眠っているのに解けていない。
涙が、一滴落ちた。
「……俺が……
怖がらせてたのか……」
「教団ではありません」
僕は静かに言った。
「あなたの沈黙です」
父親は声を上げずに泣いた。
布団の横に落ちていた紙が目に入る。
震えた字で、こう書かれていた。
――せんせいに あわせてください
――こわいです
――だれか たすけて
父親はその紙を見て、崩れるように座り込んだ。
「……どうすれば、取り戻せる……?」
「今日から」
僕は低く言った。
「娘さんの前で、黙らないでください」
父親は、何度も何度も頷いた。
「……やる。
逃げない……」
「それで十分です」
小屋を出ると、夜風が頬を打った。
路地の影から、リオが現れる。
「先生……
話、終わったか?」
「ああ」
リオは僕を見つめ、少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「……さっきの先生、
ちょっと怖かった」
「怖かった?」
「怒ってるわけじゃねぇんだけど……
冷たかった」
僕は小さく笑った。
「子どものために大人を叱るときは、
どうしても冷たくなる」
リオは考え込む。
「先生さ……
自分のこと、優しいって思ってる?」
「思ってない」
即答すると、リオは目を見開いた。
「優しさは、人を救わないことがある」
「……え?」
「だから僕は、優しくならない。
救いたいからね」
リオは黙り込み、
やがて本当に小さな声で呟いた。
「……やっぱ先生、
ちょっと危ねぇ人だよ」
その言葉に、僕は否定しなかった。
危うさはある。
だが――
沈黙の中で人が壊れていくよりは、
よほど健全だと思っている。
そしてこの危うさこそが、
これから教団と真正面からぶつかるために
必要なものなのだ。
夜のスラムは、
静かに次の局面を待っていた。
誤字脱字はお許しください。




