第30話 祈り室の扉の前で
30話です
12月14日改稿
教会の裏手を回り込み、
僕は“北の廊下”の位置をはっきりと視認した。
昼の教会は広い。
そして、あまりにも静かすぎる。
人の気配がないのではない。
音が、意図的に消されている。
(……静けさが管理されている)
その事実を意識した瞬間――
背後から、声が落ちてきた。
「先生」
振り返る。
逃げ道をふさぐ位置。
光を背負い、しかし影の濃い立ち方。
司祭だった。
「今日は、どうされました?」
穏やかで、柔らかい。
だが、その声はすでに“確認”を終えている。
「祈りに来ました」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「祈り、ですか」
司祭は目を細める。
「先生が、教会で?」
「迷いを祓う祈りでも。
街で起きていることを、少し整理したくて」
司祭は顎に手を当て、
どこか楽しげに微笑んだ。
「……なるほど。
言葉の選び方が巧みですね」
一歩、距離を詰める。
「まるで、“言い訳の授業”を受けているようだ」
僕は肩をすくめた。
「教団の教えには、
“嘘をつくな”とありましたよね」
「ええ。もちろん」
司祭は肯定しながら、
僕の肩の横をすっと通り過ぎる。
その動きは、威嚇ではない。
位置取りだ。
「だからこそ――」
司祭は立ち止まり、
背を向けたまま続けた。
「先生が“祈り室”に用があることも、
嘘ではないのでしょう?」
見透かされていた。
だが、それは想定内だ。
司祭は僕を常に監視させている。
問題は――
それでも、止めないという選択肢を彼が残していること。
司祭は静かに目を閉じた。
「先生。
あなたは“まだ”殺す必要はありません」
「穏やかな言い方ですね」
「本音ですよ」
司祭は振り返り、
その瞳だけを鋭くした。
「あなたを消せば、
スラムは混乱する。
教会も無傷では済まない」
声は低く、淡々としている。
だからこそ、恐ろしい。
「ですが――」
司祭は一歩、後ろへ下がった。
「“祈り室の扉に触れた瞬間”、
先生は完全に敵になります」
僕は、その言葉を反芻する。
「そのときは」
司祭は、微笑んだ。
「初めて“沈黙の罰”を味わうでしょう」
(沈黙……の罰?)
司祭は手を胸に当て、
深く頭を下げる。
「良き祈りを、先生。
どうか――
迷わないでください」
司祭はそのまま去っていった。
残された廊下に、
再び不自然な静寂が戻る。
僕は、ゆっくりと息を吐いた。
(……祈り室の扉に触れた瞬間が合図か)
ならば。
触れるだけでは意味がない。
扉の向こうへ行く必要がある。
僕は歩き出した。
北の廊下の奥へ。
隔離された少女のもとへ。
扉の前に立つ。
厚い木。
外音を遮断する造り。
その向こうから――
小さな、かすれたすすり泣きが聞こえた。
間違いない。
僕は手を伸ばす。
そして――
扉に触れた。
その瞬間。
廊下の左右から、
影が三つ、音もなく現れた。
足音はない。
気配だけが、圧として迫る。
(……来たな)
僕は、静かに笑った。
「おはようございます。
祈りに来ました」
見回りたちは、何も答えない。
沈黙。
だがそれは――
始まりの沈黙だった。
戦いは、
すでに始まっている。
誤字脱字はお許しください。




