第29話 消えた子どもの影
29話です
12月14日改稿
翌朝。
霧が冷たく、スラムの通路を低く這っていた。
湿った空気が肺に入り込むたび、
目が覚めるより先に、身体のほうが「状況」を思い出す。
――教会に隔離された少女。
――“保護”という名の、切り離し。
目的はひとつしかない。
彼女を見つけ、連れ戻す。
ただし、正面からは無理だ。
昨日の裏庭での司祭の目。
あれは「来るとわかっている人間」の目だった。
(正面は塞がれている。
なら――裏だ)
そう考えながら歩いていると、
石柱にもたれかかる影が目に入った。
見回りの男だ。
いつもの、あの男。
「……来ると思った」
先にそう言われて、
少しだけ苦笑する。
「監視、ですか」
「まあな」
男は霧の向こうを一度だけ確認し、
声を落とした。
「司祭さまは、お前が“何かやる”って確信してる」
(やっぱりか)
予想はしていた。
けれど、こうして口にされると、
改めて“猶予がない”とわかる。
男は腕を組み、少しだけ言いにくそうに続けた。
「……昨日の夜な。
お前の授業に来てた子、
“祈り室”に入れられたらしい」
「祈り室?」
聞き返した瞬間、
嫌な予感が背骨をなぞる。
「教団の中でも、“静める部屋”だ」
男は短く説明した。
「外から鍵。窓なし。
泣き声が外に出ないよう、壁は分厚い」
……なるほど。
隔離。
教育ではなく、遮断。
「……完全に、閉じ込めるための場所ですね」
男は黙って頷いた。
その沈黙の向こうで、
リオが拳を握る姿が、勝手に浮かんだ。
男は続ける。
「その子な……
“先生に会わせて”って、ずっと言ってたらしい」
胸の奥が、きしんだ。
「だから、余計に閉じ込められた」
(……そうか)
怒りが湧く。
けれど、それを表に出すほど、今は余裕がない。
深く息を吸い、
ゆっくり吐く。
男が僕の顔を見て、眉を寄せた。
「なぁ、先生……
無茶すんなよ」
「無茶?」
「お前が動けば、
あの子の扱い、もっと悪くなる」
正論だった。
「わかっています」
「だったら――」
「わかった上で、行きます」
即答だった。
男は一瞬、言葉を失い、
やがて目を閉じた。
「……馬鹿だな、お前」
「学者は昔から、そういう生き物です」
男が、鼻で笑った。
その笑みは、軽い。
けれど、奥に迷いが滲んでいる。
「先生……
祈り室は、裏口からじゃ辿り着けねぇ」
「では、どこから?」
男は一瞬だけ口を開きかけ――
すぐに、噛み締めるように唇を閉じた。
「……言えねぇ。
言ったら、俺が消される」
「そうですか」
僕は、少しだけ微笑んだ。
「でも、“言わないときの目”が、もう教えてくれました」
男が顔を上げる。
「……は?」
「あなた、
“北の廊下”って言いかけたでしょう」
ほんの一瞬。
それだけで、十分だった。
男の肩が、わずかに揺れた。
「その反応で、答えは出ました」
「……お前、怖ぇな」
「僕はずっと、教える側でしたから」
静かに言う。
「人は、
言葉より先に“身体”で答えを出します。
それを見る癖があるだけです」
男は大きく息を吐いた。
「……好きにしろ」
それは、諦めではなかった。
「俺は止めねぇ。
でもな――」
一拍置いて、言う。
「死ぬなよ」
「努力します」
それだけ答えて、踵を返した。
坂を上る。
霧の向こうに、
白い教会が、少しずつ輪郭を現す。
静かだ。
だが、確実に――
ここから先は、
“話し合い”では済まない領域だ。
それでも、行く。
隔離された子どもを、
沈黙の中に置き去りにするわけにはいかない。
霧の向こうに、
戦いの匂いが、はっきりと漂っていた。
誤字脱字はお許しください。




