第28話 帰り道の影
28話です
12月14日改稿
裏庭を出て、石畳の坂を下り始めたところで、
僕はようやく自分の胸に手を当てた。
――鼓動が、まだ早い。
(……怖かったな)
認めてしまえば、それだけの話だ。
司祭の言葉、見回りたちの距離、
あの「排除してもいい」という静かな確認。
身体は正直で、指先がわずかに震えている。
それでも、足は止まらなかった。
立ち止まることは、
“負ける”ことよりも前に、
“子どもたちの前に戻れなくなる”ことを意味する。
坂の途中、物陰から声が飛んできた。
「先生……!」
振り向くと、柵に手をかけて息を切らしている少年がいた。
泥だらけの手、乱れた髪――リオだ。
「無事だったか!?
なんか、嫌な予感して……
行くなって言われても、待ってられなくて……!」
その後ろから、小さな影が続く。
ミナだった。
目は真っ赤で、必死に涙をこらえている。
「先生……!
よかった……!」
二人が駆け寄ってくる。
僕は思わず、力の抜けた笑いを浮かべた。
「ただいま」
その一言で、ミナの堪えが切れた。
「ひどいこと、されてない……?」
声が震えている。
「大丈夫だよ。
話をしてきただけだ」
リオが眉をひそめる。
「嘘だろ……
あの司祭だぞ?
“話だけ”で済むわけねぇ」
「まあ……」
僕は肩をすくめる。
「言葉の刃は、少し飛んだけどね」
ミナが、ぎゅっと袖をつかんだ。
「……怖くなかったの?」
正直な質問だった。
「怖かったよ」
即答すると、二人は少し驚いた顔をした。
「でもね」
僕は続ける。
「人は、“自分が何者か”をはっきりさせていると、
怖くても踏みとどまれる」
リオが、じっと僕を見つめる。
「先生ってさ……
なんで、そこまでしてんだよ」
責める声ではない。
純粋な疑問だった。
僕はしゃがみ込み、二人と目線を合わせた。
「僕は、君たちを“守る”ためにいるんじゃない」
二人の目が、わずかに見開かれる。
「“選べるようにするため”だよ」
ミナが小さく息を飲んだ。
「守ってくれるほうが……
楽じゃない?」
リオが言う。
「楽だね。
でもそれは、“奪われた瞬間に何も残らない”やり方だ」
二人は黙った。
「選べる力があれば、
奪われても、考えて、戻ってこれる」
ミナが、少しだけ笑った。
「……先生、やっぱり変」
「よく言われるよ」
三人で、ほんの短い笑いを交わす。
けれど、その空気は長くは続かなかった。
スラムへ戻ると、
数人の大人がこちらを窺うように立っていた。
「先生……
本当に大丈夫なんだよな?」
「教団に逆らうなって、昨日言われてさ……」
「でも、あんたがいないと困る子もいるし……」
誰も強くは言わない。
だが、迷いが露骨だった。
恐怖と感謝、
依存と警戒。
集団が揺れるときに必ず現れる、
中途半端な沈黙だ。
司祭の“施し”は、確実に効いている。
だが同時に、
疑問もまた、完全には消えていない。
(……これでいい)
全員を味方にする必要はない。
考え始める人間が、数人いればいい。
その夜。
眠りにつこうとしたとき、
扉を叩く、かすかな音がした。
「……先生」
外に立っていたのは、
あのとき連れていかれた子の弟だった。
顔は青白く、
声は今にも消えそうだ。
「姉ちゃん……
帰ってこなかった……」
胸の奥が、静かに沈む。
僕はしゃがみ、彼と目を合わせた。
「……わかった」
それだけで、彼の目から涙があふれた。
「明日、動く」
彼は何度も頷く。
「必ず、連れて帰る」
約束ではない。
宣言だ。
彼が帰ったあと、
僕は一人、闇の中で考えた。
教団は、もう“沈める段階”を越えている。
次は、“壊す”か、“排除する”か。
ならば――
こちらも次の段階へ進むしかない。
子どもを奪われない街。
奪われても、戻れる街。
それは理想論だ。
だが、理想を考えられない場所こそが、
最も危険だ。
僕は、静かに息を吐いた。
これが、
教団との次の戦いの始まりだ。
そして――
この街が、本当に試される夜でもあった。
誤字脱字はお許しください。




