第18話 司祭の誘い
18話です。
12月13日改稿
翌日の夜。
スラムの片隅で寝支度をしていた僕の前に、
ひとりのシスターが立っていた。
「先生。
司祭さまがお呼びです」
(……やはり来たか)
「今から?」
「“人目のない時間がいい”と」
理由は聞かなくても分かる。
僕は立ち上がった。
「案内してください」
◆
教会の奥は、昼間とは別の顔をしていた。
蝋燭の明かり。
音を吸い込む石壁。
空気が冷たい。
司祭は机に向かい、何かを書いていた。
ペンを置き、こちらを見上げる。
「夜分に失礼します、先生」
「いえ。呼んでいただけるのは光栄です」
司祭は微笑んだ。
だが、その表情には昼間の柔らかさがない。
「昨夜の対話は、有意義でした」
「先生の思想には、理解できる部分もあります」
「それはどうも」
「ですが――」
司祭は椅子に深く腰掛け、
はっきりと言った。
「“スラムの子どもたちに教える”となると、話は別です」
「なぜでしょう」
「あなたの授業は、彼らの“運命”を変える可能性がある」
「それが問題だと?」
司祭は少しだけ間を置いた。
「運命には、
変わってよいものと、
変わってはならないものがあります」
声が低くなる。
「スラムの子どもたちが“考え始める”ことは、
街の秩序にとって危険です」
「不満が生まれ、
怒りに変わり、
やがて暴力になる」
「我々はそれを、何度も見てきました」
理屈としては、正しい。
だからこそ厄介だ。
「ですから先生」
「――やめていただきたい」
沈黙。
「教育を、ですか?」
「ええ。
字も、計算も、考え方も」
「見返りは?」
司祭は即答した。
「安全です」
「見回りには手を出させません」
「教団も、あなたを追いません」
「スラムで生きるには、十分な条件でしょう」
そして、淡々と条件を重ねる。
「ただし、約束していただきたい」
「“沈黙の教え”を否定しないこと」
「教会に逆らわないこと」
(……これは取引ではない)
(降伏勧告だ)
「もし、断ったら?」
司祭の声は揺れなかった。
「――子どもたちが苦しみます」
それは脅しではなかった。
“事実として起こる未来”を告げる声だった。
ミナの顔。
リオの顔。
名前も知らない、あの子たち。
僕は一度、深く息を吸った。
「ひとつ、質問してもいいですか」
「どうぞ」
「あなたは、本当に」
「子どもたちが“静けさ”を望んでいると、思っていますか」
司祭は答えを急がなかった。
「望んでいなくても」
「従うことが、幸せなのです」
……そう来るか。
僕は立ち上がった。
「お話は、よく分かりました」
司祭の目が細くなる。
「理解していただけましたか」
「理解しただけです」
「同意はしていません」
その瞬間、
司祭の微笑みが消えた。
「……なるほど」
「僕は子どもたちに」
「“選ぶ力”を教えたいだけです」
司祭は、氷のような声で言った。
「では先生」
「次に会うときは――」
「あなたを“導く側”ではなく」
「“裁く側”として接するかもしれません」
僕は頭を下げ、背を向けた。
背後で、司祭の声が落ちる。
「気をつけなさい」
「スラムの闇は深い」
「光を掲げる者は、真っ先に狙われる」
振り返らずに答える。
「それを“闇”と呼ぶかどうかを」
「決めるのは、子どもたちです」
扉を閉めると、
冷たい空気がふっと薄れた。
司祭は今、
僕を“敵である可能性”として正式に認識した。
次は――
制度が動く。
それでも、退かない。
“子どもたちに見せたい世界”は、
教団が守ろうとする世界より、
はるかに広いのだから。
誤字脱字はお許しください。




