第16話 「器」という名の檻
16話です。
12月11日改稿
司祭との対話の翌朝。
スラムの空気は、いつもよりわずかに重かった。
「せんせー……」
授業の前、ミナが駆け寄ってきた。
声が、昨日よりも一段小さい。
「みんな、もっと来なくなっちゃった」
見渡すと、今日の授業に来ているのはリオとミナ、そして三人。
十人を越えていた頃の賑やかさは、跡形もない。
「親たちが“教団の器に逆らうな”って言ってるの。
“器の外に出ると、不幸が来る”って……」
(……器、ね)
昨日、司祭が壇上で使った比喩だ。
――与えられた器を越えようとする水は、こぼれて地を濁すだけ。
分かりやすく、そして支配に都合がいい言葉だ。
「今日は、その“器”について話そうか」
僕は子どもたちを座らせ、板に丸を描く。
「これが“器”。
教団が言う“人の居場所”だ」
「この中に、うちらが入ってるってこと?」
ミナが眉を寄せる。
「そう。ただし――」
丸の中に「スラム」と書き込み、外側に「上の街」と書いた。
「もし、この器から出ようとしたら?」
リオが即答する。
「……叩かれる」
「そのとおり。
“器じゃない場所に行くな”というわけだ」
そこで、僕はあえて問いを投げた。
「じゃあ質問。“器”って誰が作ったと思う?」
沈黙。
しばらくして、ミナが恐る恐る言う。
「……神様?」
「教団はそう言っているね。でも――」
僕は円の縁を軽く叩いた。
「これは“神が作った境目”じゃない。
“昔の人が、自分たちの都合で決めた境目”なんだ」
子どもたちに衝撃が走る。
「昔の人……?」
「そう。『ここから下は貧民の区画』って勝手に決めた。
その人たちはもういないのに、境目だけ残った」
リオが眉をひそめた。
「だったらよ、その境目……壊してもいいじゃねぇか」
「そう思う理由は?」
「だって、最初から決まってたわけじゃねぇもん」
僕は満足げに頷いた。
「そう。“本当はなかった線”を
“神の秩序”みたいに言い換えているだけなんだ」
ミナの握りしめた拳が震えた。
「ずるい……」
「ずるいね。
でも、“ずるい”って気づいたのが大事なんだよ」
僕は、板の上に太い線を一本引いた。
器は “教え” を使って強化される
「昔話。歌。説教。
全部、“境目を疑わせないための仕組み”なんだ」
リオがぽつりと言う。
「なぁ先生……
その境目、壊せるのかよ」
「壊せるかどうかは、まだわからない」
僕は正直に答えた。
「でも――“壊そうとする気持ち”だけは、
誰にも止められない」
子どもたちの目が、確かに変わった。
恐れと希望が混ざった、強い光だった。
その瞬間――
路地の入り口から怒声が響いた。
「おい、先生!」
見回りだ。
声の荒さと足音の速さで、機嫌の悪さが分かる。
授業は中断。
僕はゆっくり立ち上がった。
「行ってくる。
リオ、みんなを頼んだ」
「なんで俺なんだよ!」
「信頼してるからね」
「……うぜぇ」
口ではそう言いながらも、リオはしっかり頷いていた。
その強がりが、頼もしさに変わりつつある。
僕は、見回りのほうへ歩き出した。
何が来るかはわからない。
ただひとつだけわかるのは――
司祭の動きが、もう“子どもたちの頭の中”だけでは終わらせない段階に入った。
誤字脱字はお許しください。




