第12話 扉の向こうの不安
12話です。
12月11日改稿
リオの家は、スラムの中でもさらに奥まった場所にあった。
崩れかけた壁。
穴のあいた屋根。
それでも、外よりはまだ安全に眠れそうな空間。
ミナが戸を叩く。
「リオー……いる?」
沈黙がしばらく続き、
ようやく中から小さな足音が近づいてきた。
扉がわずかに開き、
隙間からリオの顔がのぞく。
「……ミナ?」
「よかった、生きてた」
「勝手に殺すなよ」
リオはぼそっと言い返し、
次の瞬間、僕の姿に気づいて目を丸くした。
「先生まで来たのかよ」
「来てほしくなかった?」
「…………いや」
返答は小さかったが、“拒絶”ではなかった。
「入ってもいいかな?」
「親父が――」
その言葉を遮るように、奥から低い声が響いた。
「誰だ」
扉が乱暴に——しかし迷いの残る力で開けられる。
そこに立っていたのは、昨日の父親だった。
「……またお前か、“先生”」
あからさまな警戒。
昨日よりも少し、視線が硬い。
「ああ、どうも。先日は失礼しました」
僕は穏やかに頭を下げる。
「授業に来ていないと聞いたので、様子を見に来ました」
「来なくて当然だろ」
父親は、吐き捨てるように言う。
「教会から言われたんだ。“あの男に近づけるな”ってな」
「ずいぶん直接的に言ったんですね」
「“考えすぎは毒だ。貧民は黙って働いてりゃいい”ってよ」
彼の言葉には反抗ではなく、
“それを受け入れなきゃいけない苦さ”が混ざっていた。
「で、お前はどうなんだ?」
僕は父親に訊く。
「あなた自身は、本当にそう思っていますか?」
父親の眉がひくりと動く。
「思わなきゃやってられねぇんだよ」
「“思おうとしている”んですね」
「うるせぇ!」
怒鳴られても、僕は引かなかった。
「“黙って働いてりゃいい”というのは、
“今の状態を受け入れろ”という意味ですよ」
僕は室内をぐるりと見渡す。
床。
壁。
薄い布団。
擦り切れた服。
「……このままで本当に構わないんですか?」
父親の顔が、痛みを押し殺すように歪んだ。
ミナが小さく息をのむ。
リオは、不安そうに父の横顔を見つめている。
やがて、父親はかすれた声で呟いた。
「よくねぇよ」
それは、
誰にも聞かせたくないほど正直な声だった。
「よくねぇに決まってんだ……
でもな、どうにもなんねぇから、
“これでいいんだ”って自分に言い聞かせてんだよ」
「その“どうにもなんねぇ”を、
子どもたちと一緒に言葉にして、整理しているだけです」
僕は静かに答えた。
「考えたって変わらねぇだろ……」
「変わるかどうかは、“考えたあとに”決めればいいんです」
父親は、強く押し黙った。
「教会は“静かにしていろ”と言う。
僕は、“考えてから選べ”と言う」
僕は軽く肩をすくめた。
「どちらを信じるかは、リオ自身が選べばいい」
リオの肩が小さく震える。
「……俺?」
「そうだよ。君の人生だからね」
父親は、深く息を吐いた。
「ガキひとりに背負わせるには、重すぎんだよ……そんなもん」
「だから、“今すぐ決めろ”とは言いません。
ただ、“考えたい”なら、その場所くらいは用意しておく」
「その場所が……お前の授業ってわけか」
「ええ」
父親はしばらく僕を見ていたが、
やがて、苛立つように頭をかいた。
「……好きにしろ」
「好きに?」
「俺が止めても、こいつ、きっと行く」
横目でリオを見る。
リオは小さく俯き——そして弱い声で言った。
「……先生の話、まだ聞きたい」
「教会の話は?」
「それも聞く。
どっちも聞いてから……自分で決める」
父親は、不器用な笑いを漏らした。
「……面倒くせぇな、うちのガキは」
「そっくりですよ、あなたに」
「誰に似たって?」
「あなたですよ」
父親は、何も返さなかった。
沈黙。
けれど、その沈黙は“怒りの沈黙”ではなかった。
「……行きたきゃ行け」
背を向けながら言う。
「ただし——あんまり変なこと吹き込みすぎんなよ、“先生”」
「現実に沿ってやります」
「それが一番タチ悪ぃんだよ……」
父親はぼやきながら奥へ消えていった。
リオが、気まずそうに頭をかく。
「悪ぃな、先生」
「何が?」
「親父……ああいう言い方しかできねぇから」
「ちゃんと“考えたあと”で、君に任せてくれたよ」
リオは小さく息を吐いた。
「……明日、行く」
短いが、迷いのない返事だった。
その夜。
教団の圧力とは別に、
このスラムの小さな家で——
ひとりの子どもが、“選ぶ権利”を手放さずに済んだ。
たったそれだけのことが、
僕には、とても大きな意味に思えた。
誤字脱字はお許しください。




