第108話 善意の手
108話です。
昼前。
街は、昨日よりも静かだった。
◇
音が減ったわけじゃない。
動きが止まったわけでもない。
◇
ただ――
人の判断が、少しだけ似てきている。
◇
倉庫の前で、
子どもたちが集まっていた。
昨日より人数は少ない。
だが、欠けたのは“好奇心の強い子”ばかりだった。
◇
ミナは気づく。
(来てない子……
昨日、質問しそうだった子……)
◇
先生は、
それを指摘しなかった。
◇
代わりに、
紐と計量皿を机に置く。
「今日は、
使い方を決めない」
◇
ざわ、とする。
◇
「決まりを作らないってことですか?」
と、誰かが聞いた。
◇
先生は頷く。
「うん。
“決まってない状態”を
少しの間、持ってみよう」
◇
子どもたちは顔を見合わせる。
◇
不安。
だが、拒否ではない。
◇
そのとき、
倉庫の入口で咳払いがした。
◇
振り向くと、
近所の大人が立っていた。
◇
顔見知り。
いつもは穏やかな人だ。
◇
「……先生」
声は低く、
しかし柔らかい。
◇
「ちょっと、いいですか」
◇
先生は、
遮らずに応じた。
「どうしました?」
◇
大人は、
子どもたちを一瞥してから言った。
「昨日の話……
考えさせるのはいいと思います」
◇
ミナは、
その“前置き”に身構えた。
◇
「でも」
◇
来た。
◇
「最近、様子を見てる人が多い」
「誤解されると、困る子も出る」
◇
言葉は丁寧。
声も荒げていない。
◇
善意だ。
◇
「だから……
質問は、少し控えた方が
いいんじゃないかと思って」
◇
子どもたちの視線が、
一斉に先生に集まる。
◇
止めてほしい。
止めないでほしい。
◇
両方が混じった目。
◇
先生は、
すぐには答えなかった。
◇
少しだけ、
間を置く。
◇
「それは」
◇
大人の顔を見る。
「“誰のため”の判断ですか?」
◇
大人は一瞬、
言葉に詰まる。
◇
「……子どもたちのためです」
◇
即答だった。
◇
先生は、
ゆっくり頷く。
「そう思いますよね」
◇
否定しない。
◇
だが、
続ける。
「じゃあ、もう一つだけ聞かせてください」
◇
「その判断は、
子どもたちが
あなたに頼みましたか?」
◇
空気が固まる。
◇
大人は、
首を横に振った。
「……いや……
頼まれてはいない」
◇
先生は、
声を低く保ったまま言った。
「今のは、悪意じゃありません」
◇
「でも――
“選ぶ権利”を
先に持ってしまった」
◇
ミナは、
背中に冷たいものが走る。
(これ……
昨日の質問と……
同じ形……)
◇
大人は、
少しだけ顔を赤くした。
「……間違ってますか」
◇
先生は、
首を振る。
「間違いじゃない」
◇
「ただ、
その善意が続くと――」
◇
地面に、
小さな円を描く。
◇
「次は、
“守るために見る人”が生まれる」
◇
円の外に、
点を一つ。
◇
「その次は、
“守っているか確かめる人”」
◇
さらに、
もう一つ点。
◇
「最後は、
“守られていない人を探す人”だ」
◇
倉庫が静まり返る。
◇
大人は、
思わず言った。
「……そこまで、いきますか」
◇
先生は、
視線を外に向けた。
◇
倉庫の影。
壁際。
◇
“見ている人”。
◇
「もう、始まっています」
◇
大人は、
唇を噛んだ。
◇
怒っていない。
だが、納得もしていない。
◇
「……今日は、失礼します」
そう言って、
倉庫を出ていった。
◇
子どもたちは、
不安そうに先生を見る。
◇
「……もう、質問しない方がいいの?」
と、小さな声。
◇
先生は、
はっきり言った。
「今日は、しなくていい」
◇
「でも――
“したくなった気持ち”は、
消さなくていい」
◇
それだけで、
何人かの肩が下りた。
◇
授業の終わり。
倉庫の外では、
二人の大人が話していた。
◇
「最近、あそこ……
何やってるか分かる?」
◇
「さあ……
でも、変なことは
させない方がいい」
◇
善意。
善意。
善意。
◇
その夜。
ミナは、
家で母に言われた。
「最近、倉庫で
変なこと聞いてないでしょうね?」
◇
ミナは、
一瞬だけ考えてから答えた。
「……考えることを、聞いてる」
◇
母は、
少し困った顔で言った。
「それが、
ちょっと心配なのよ」
◇
その言葉は、
柔らかくて、
優しかった。
◇
そして――
初めて、“監視する目”が
家の中に生まれた。
◇
先生は、
夜の街を歩いていた。
◇
(質問は、危険じゃない)
◇
(危険になるのは――
質問を“心配する側”が
増えたときだ)
◇
塔の灯りが、
遠くで揺れている。
◇
次に生まれるのは、
きっと――
「あの人は、何を考えさせているのか」
という問いだ。
◇
その問いが向く先は、
子どもじゃない。
◇
先生自身だ。
誤字脱字はお許しください。




