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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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106/108

第106話 それは決まりではない

106話です。

翌朝。


市場に並ぶ籠の配置が、

わずかに変わっていた。



誰かが指示したわけじゃない。

掲示もない。

注意もない。



それでも――

人と人の間に、一定の距離ができている。



近すぎない。

遠すぎない。


だが、

昨日までとは違う。



ミナは野菜籠の前で足を止め、

その距離に気づいた。


(……あれ……?

 こんなに……空いてたっけ……)



隣の客は、

一歩、半歩、

自然に距離を取っている。



理由はない。

衝突もない。



ただ――

合わせている。



倉庫へ向かう途中、

リオが低く言った。


「……なあ。

 これ、誰が決めた?」



先生は、

少しだけ歩調を落とす。


「誰も決めてない」



「でも、

 “決まりみたいに”なってきてる」



倉庫に入ると、

机の上に紙が一枚置かれていた。



昨日までの提出用紙とは違う。

文字も少ない。



「理由を書く欄は、空けておいてください」



ミナの指先が冷える。


(……空けておいて……

 って……)



命令ではない。

強制でもない。



でも、

“そうするのが普通”という形をしている。



先生は紙を持ち上げ、

皆に見せた。


「今日は、

 これを使わない」



ざわり。



「代わりに、話をしよう」



誰かが、

息を飲む。



先生は、

地面に小さな四角を描いた。


「これを“道具”だと思って」



次に、

四角の中に線を引く。


「使い方が決まっている道具だ」



さらに、

外に小さな丸をいくつか描く。


「使う人」



「質問するね」



先生は顔を上げる。


「この道具は、

 誰のものだと思う?」



沈黙。



ミナの胸がざわつく。


(……誰の……

 もの……?)



「作った人?」

「持っている人?」

「使っている人?」



先生は答えを言わない。



「じゃあ、

 使う人は、

 どこまで決めていい?」



「使い方?」

「置く場所?」

「触っていい人?」



誰かが、

小さく首を傾げる。



「“危ないから”って理由なら、

 どこまで制限していい?」



リオが、

ぽつりと漏らす。


「……それ、

 道具じゃなくても、

 人に使えるよな」



先生は、

頷いた。


「そう。

 だからこの話をしている」



倉庫の外。


誰かが立ち止まり、

中の声を聞いている。



「道具は、

 便利だから生まれる」



「でも、

 便利さを守るために、

 “使う人”を縛り始めたら――」



先生は、

言葉を切る。



「その瞬間、

 道具は、

 “使う側のもの”じゃなくなる」



沈黙が、

重く落ちる。



その日の午後。


井戸の前で、

同じ言葉が二度聞こえた。



「……あの人、

 距離、近くない?」



「うん……

 決まりじゃないけど……」



“決まりじゃない”。


だが、

守らない理由もない。



夕方、

市場の端で、

一人の女が足を止めた。



周囲との距離に、

自分だけが気づいていないことに。



彼女は、

一歩下がる。



誰にも言われていない。

注意もされていない。



でも――

**“合わせたほうが楽”**だと、

体が知ってしまった。



その夜。


先生はノートに、

短く書いた。



「決まりは、

 作られた瞬間より、

 “破りづらくなった瞬間”に力を持つ。」



遠くで、

紙が折られる音がした。



誰かが、

何かを“当たり前”として

受け取った音だった。



街はまだ、

静かだ。


だが、

静けさの中で――

選ぶ手が、少しずつ縛られ始めている。


誤字脱字はお許しください。

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