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『チョーク一つで世界を変える〜異世界教育改革〜』  作者: くろめがね


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104/108

第104話 書かなかった理由

104話です。

朝の井戸は、静かだった。


水を汲む音だけが、

一定の間隔で響いている。



紙は、もう特別なものではなくなっていた。


倉庫の入口。

井戸のそば。

市場の端。


どこにでも置かれている。


「気づいたことは、書いてください」



命令ではない。

お願いですらない。


ただの“案内”。



それでも、

多くの人が立ち止まり、

紙を見るようになった。



書く者もいる。

書かない者もいる。


だが――

“書かなかった者”の理由は、

誰も聞かなかった。



ミナは、

紙の前を通り過ぎるとき、

いつも胸が少し苦しくなる。


(……何も気づいてないわけじゃない……)



ただ、

言葉にするほどの確信がない。


それだけだ。



先生は、

いつも通り、何も言わない。



授業は、

今日も短かった。



先生は、

机代わりの箱に腰掛け、

ぽつりと聞いた。


「昨日、

 紙に何か書いた人はいる?」



数人が、

ゆっくりと手を挙げた。



「ありがとう」


それだけ。



「じゃあ、

 書かなかった人は?」



誰も手を挙げない。



ミナも、

リオも、

ただ黙っている。



先生は、

責めることも、

理由を聞くこともなかった。



「今日はね、

 “書かなかったこと”について考えよう」



空気が、

わずかに張りつめる。



「書かなかった理由は、

 人それぞれだ」



「気づかなかった」

「確信がなかった」

「余計なことをしたくなかった」



「どれも、

 間違いじゃない」



ミナは、

少しだけ息を吐いた。



「でも――」



先生は、

言葉を選ぶ。



「“理由がある沈黙”と

 “理由を聞かれない沈黙”は、

 似ているようで違う」



リオが、

小さく眉をひそめる。


「……どう違うんだ?」



「理由がある沈黙は、

 自分のものだ」



「でも、

 理由を聞かれない沈黙は――」



先生は、

間を置いた。



「“空白”になる」



誰かが、

喉を鳴らす。



「空白はね、

 放っておくと、

 誰かが“埋める”」



ミナの背中が、

ひやりとする。



(……昨日の……

 “静かすぎないか”……)



授業が終わると、

人々は静かに散った。



その日の昼。


市場の端で、

小さな揉め事が起きた。



「……あの件、

 誰も書いてなかったらしいぞ」



「え?

 でも、見てた人はいるはずだろ」



「うん。

 でも……

 誰も“書いてない”」



その言葉が、

妙に重く落ちる。



ミナは、

その会話を聞いて、

足を止めた。



(……書いてない……

 それが……問題に……?)



別の声が続く。


「……じゃあ、

 隠してるってことか?」



空気が、

変わった。



誰も名前を出していない。

誰も責めていない。



それでも、

“疑い”が、

形を持ち始める。



夕方。


倉庫の入口に、

新しい紙が置かれていた。



「書かなかった理由があれば、教えてください」



ミナは、

その文字を見つめた。



理由。



書かなかったことに、

説明が求められる。



(……いつの間に……)



先生は、

その紙を見て、

何も言わない。



ただ、

静かに畳み、

ポケットに入れる。



「今日は、ここまで」



帰り道。


リオが、

低い声で言った。


「……先生」



「うん」



「これ……

 ちょっと、おかしくなってきてねぇか?」



先生は、

すぐには答えなかった。



街の様子を、

一度、見回す。



紙を見る目。

書く手。

見て見ぬふりをする視線。



「おかしいよ」



あっさり言う。



「でもね、

 これは“悪意”じゃない」



「じゃあ……なんなんだよ」



「“安心したい気持ち”だ」



ミナは、

その言葉を胸の中で繰り返す。



安心したい。


だから、

知らせる。

だから、

書く。

だから、

理由を求める。



その夜。


誰かが、

紙に書いた。



短い一文。


「特に気づいたことはありません」



それを見た別の誰かが、

首を傾げる。



「……それ、

 わざわざ書く必要ある?」



そして、

こう続けた。



「“気づかなかった”ってことを、

 書いてるのは……」



言葉は、

最後まで出なかった。



だが、

沈黙が続きを語っていた。



書かなかった理由。

書いた理由。

そして――

書いたこと自体の理由。



街はまだ平和だ。


誰も裁かれない。

誰も連れていかれない。



ただ一つ、

昨日より確かに進んだことがある。



“何もしなかった”ことが、

説明を求められ始めた。



先生は、

灯りの下で、

ノートを閉じる。



小さく、独り言のように言った。


「……質問が、

 危険になる一歩手前だな」



窓の外。


誰かが、

紙をめくる音がした。


誤字脱字はお許しください。

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