第102話 見ているだけの仕事
102話です。
朝の空気は、前日と変わらなかった。
火は起こされ、
水は汲まれ、
子どもたちは、いつもの場所に集まる。
違うのは――
視線の数だけだった。
◇
「……あの人、今日も早いな」
誰かが、ぽつりと言う。
名前は出ない。
指もささない。
ただ、目線だけが向く。
◇
ミナは、その目線の流れに気づいた。
(……見てる……
でも、誰も“見てる”って言わない……)
◇
倉庫の前。
先生は、まだ来ていなかった。
その代わり、
鍋の近くに立つ大人が、
ひとり増えている。
◇
「何してるんですか?」
子どもが聞く。
◇
大人は、少し照れたように答えた。
「いや……別に。
見てるだけだ」
◇
「見てる?」
◇
「うん。
ちゃんと回ってるかどうか」
◇
その言葉に、
周囲の大人がうなずく。
「大事だな」
「最近、人増えたしな」
◇
誰も反対しない。
むしろ、
安心した顔をする。
◇
ミナの胸が、ひくりと鳴る。
(……“ちゃんと”って……
何を基準に……?)
◇
昼前。
倉庫に、先生が来た。
だが今日は、
何も描かない。
◇
「今日は、質問はしない」
そう言って、
壁にも床にも触れなかった。
◇
代わりに、
人の動きを見ている。
◇
子どもが、ささやく。
「先生、何してるの?」
◇
先生は、静かに答えた。
「仕事を見てる」
◇
「仕事?」
◇
「うん。
“見ているだけの仕事”」
◇
ミナは、はっとする。
(……今朝の……)
◇
先生は続ける。
「さっきからね、
街に新しい役割が生まれてる」
◇
「役割……?」
◇
「“やる人”じゃない。
“見ている人”の役割だ」
◇
誰かが、戸惑った声を出す。
「でも……
見てるだけなら、
悪くないんじゃ……?」
◇
先生は、
否定もしない。
◇
「悪くないよ。
最初はね」
◇
その言葉に、
空気が少し張る。
◇
「でも、
見ている人は、
だんだん“確認”を始める」
◇
「確認……?」
◇
「うん。
“ちゃんとしているか”を」
◇
ミナの指先が冷たくなる。
◇
「確認が増えると、
次は“記録”が欲しくなる」
◇
誰かが、笑って言う。
「そんな大げさな」
◇
先生は、静かに返す。
「大げさになる前に、
自然になるんだ」
◇
そのとき、
外から声がした。
「ちょっといいか?」
◇
朝、鍋のそばに立っていた大人だ。
◇
「昨日の件なんだけどな……」
◇
声は低い。
責める調子ではない。
◇
「理由、聞いてなかっただろ。
やっぱり、
一応は知っといた方がいいと思ってさ」
◇
理由。
◇
その言葉に、
周囲の空気が、わずかに固まる。
◇
問われた男は、
しばらく黙り、
答えた。
「……親の具合が悪かった」
◇
「ああ……」
「それなら仕方ないな」
◇
その場は、
それで収まった。
◇
誰も怒らない。
誰も責めない。
◇
ミナは、
逆に怖くなった。
(……今の……
正解だったから、通った……)
◇
先生が、ぽつりと言う。
「今のがね」
◇
全員が、そちらを見る。
◇
「“通過”だよ」
◇
「通過……?」
◇
「理由が、
“受け入れられる形”だったから、
通った」
◇
「もし、違ったら?」
◇
先生は、
少しだけ間を置いた。
◇
「“次は気をつけよう”になる」
◇
誰かが、言う。
「それも……悪くないんじゃ?」
◇
先生は、首を振らない。
◇
ただ、こう言った。
「そうやって、
“気をつける人”と
“見ている人”が
分かれていく」
◇
ミナの胸に、
前話の感覚が蘇る。
――線。
◇
「線はね、
最初は優しい」
◇
「でも、
線のこちら側にいると、
あちら側が
“説明不足”に見える」
◇
沈黙が落ちる。
◇
外では、
子どもたちの笑い声がする。
◇
変わらない日常。
変わり始めた構造。
◇
先生は、最後に言った。
「今日、
悪意を持った人はいない」
◇
「でも、
“疑われる側”は
もう生まれてる」
◇
ミナは、気づいてしまった。
今日からこの街では、
「何もしていない」が
理由を必要とし始めている。
◇
夕方。
鍋の片付けをしながら、
誰かが言った。
「今日も、問題なかったな」
◇
それを聞いた瞬間、
ミナは背中が寒くなった。
(……“問題がない”って……
誰が決めたんだろう……)
◇
空は、変わらず曇っていた。
だが、
街の中では、
静かに新しい仕事が始まっていた。
――
見ているだけの仕事。
そしてそれは、
いつか必ず、
“見る権利”の話に変わる。
こんな時代だからこそ、もう一度、何のための制度で、何のための教育なのかを、思い出してみるのも良いかと思って書いてます。




