制海権喪失
「各艦は隊列を乱すな!」
「前方の旗艦紀伊より発光信号!」
「天候不良により電探不調!」
叩きつけるようなスコールの中、多くの将兵がその雨音に負けないような声を張り上げ、将校の激励が艦橋を駆け巡る。
見張員は雨に打たれながら濡れた双眼鏡を覗き、操舵手は手に汗を滲ませながら正確な航路を辿る。
「第四戦隊、速力上げます!」
青葉型重巡3隻が老艦に鞭打って速力を上げていく。
旧式の機関を唸らせ、煙突から煙を吐き出しながら速力を徐々に上げ、艦隊から離れていく。ただその姿は圧巻であり、艦齢を感じさせないほど力強く波をかき分けて進んでいく。
「順調だな。」
艦長である近藤大佐が頷きながら言葉を発する。
1秒の遅延もなく、各艦は規定航路を取り。この激しいスコールの中、脱落艦や衝突事故も無くここまでやって来られたことが、この寄せ集めの艦隊の練度を示していると言っていい。
「しかし、スコールに入れたのは幸運と言うべきですな」
砲術長が艦橋の沈黙に耐えかねたように独り言をつぶやく。
近藤艦長はその独り言に心のなかで頷いた。
もはやフィリピンより南方の島々に十分な兵力を有する航空基地は無い。
あるとしても、少数の水上機基地だけだろう。
もはや南方、特に太平洋方面の制海権は失われている。
ここまで空襲を受けずに来られたのも、予報にないスコールに入れたことも勝利の女神が微笑んだとしか思えないほどの幸運だ。
「第三水雷戦隊、陣形再編完了!」
この艦隊の編成は通常のものではない。
主力艦は紀伊型戦艦「紀伊」、加賀型戦艦「加賀」「土佐」、長門型戦艦「長門」という堂々たる陣容だ。
ただ、補助艦艇に目を向けてみれば、青葉型重巡「青葉」「古鷹」「衣笠」、阿賀野型軽巡「大淀」、陽炎型駆逐艦2隻、特型駆逐艦6隻という少し規模の大きい水雷戦隊程度でしかない。
それに、この艦隊に直掩機は1機も存在しないのだ。
「艦長」
砲術長がついに口を開く。
「重巡搭載の水偵を索敵に出すべきではないでしょうか。」
砲術長の不安もわからないわけではない、もう2日前から敵の機動部隊はおろか、エニウェトク環礁から出撃したらしい砲戦部隊すら捕捉できていない。
「駄目だ。」
艦長が断固とした声で答える。
その目は旗艦紀伊のさらに先、存在するはずの敵砲戦部隊に向けられている。
「このスコールで、射出するにも時間がかかる。それに、収容するために艦を停止させるような時間の余裕はない。」
砲術長は仕方ない、というように頷く。
ただ、皆に不安感が募っていることだけは確かだ。
すると、後方にいた戦艦「加賀」が速力を上げる。
それと同時に見張員からの報告が聞こえる。
「加賀が本艦前方に来ます!」
この陣形変更で、前から「紀伊」、「加賀」、そして本艦「土佐」、最後尾にもっとも艦齢が長い「長門」となる。
これは間違いなく砲撃戦に備えた隊列だ。
砲撃戦が近いのか。
何も言わずとも各艦の将兵は皆そう感じている。
「右舷前方、発砲煙らしきもの!」
見張員の絶叫が艦橋に響き渡る。
顔に汗を滲ませながら全員が右を向き、敵艦を確認しようと肩にかけている双眼鏡をのぞき込む。
「敵艦のマストもみえないんだぞ、本当か?」
砲術長は不安そうに声を発する。
今はスコールの中なのだ。
見張員が極度の緊張で雷と見間違えたのではないか。
すると、水雷長が答える。
「先行している第四戦隊が敵に捕捉されたのでは?」
艦長はそれを聞き、頷く。
「その可能性が高いな。」
砲術長が少し興奮しながら言葉を発する。
「ならば、好機です!
砲撃の規模から敵は戦艦数隻を含む有力な艦隊、これは敵主力と見て間違いありません!」
水雷長も続ける。
「おそらく、敵は我々を捕捉出来ていません。今なら一方的に叩けます。」
すると、戦艦「加賀」から旗艦「紀伊」にある艦隊司令部からの信号が伝達されてくる。
「全艦取舵30度、右砲戦用意」
この通信は、即座に後方にいる戦艦「長門」にも伝達される。
「主砲右砲戦用意」
砲術長が伝声管に向かって叫ぶ。
そして、戦艦「紀伊」が先に取舵を取り、遠心力で艦体を左に傾けながら転舵を始めた。
その時だった。
戦艦「紀伊」の周りに巨大な水柱が林立した。
先ほどの砲撃に違いない。
そしてその水柱の高さは、敵が40.1cmより大きな口径の主砲を持つことを暗に示していた。
ただ、なぜ敵がこちらを捕捉しているのか。
敵艦隊はこの状況下で電探が機能しているのか。
皆が信じられないような状況で一瞬思考が硬直した、そのとき、
「紀伊」を光が包んだ。
その直後、轟音が響き渡り、視界が戻ったときには「紀伊」の竜骨が折れ、船体を真っ二つにしながら沈んでいた。
まさに「轟沈」と表現するしかない。
その衝撃波は戦艦「土佐」にも到達し、艦橋を衝撃波が突き抜け、防弾窓がビリビリと揺れる。
「な…なんだ…」
誰かが呆然と呟く。
「紀伊、ご…轟沈しました!」
見張員の絶叫が届き、皆が正気に戻る。
艦長は目をつむり、現実を受け入れる。
「加賀より発光信号、゛我、コレヨリ砲撃戦ノ指揮ヲ執ル゛です!」
航海長が静寂を破る。
「加賀に続きます。取舵30。」
艦橋が右に揺れ、全艦が加賀に続く。
「砲戦用意、右舷不明目標!」
艦長が意を決したように命令を発する。
「しかし、敵が見えず、正確な位置がわかりません!」
砲術長も反撃はしたい、しかし、この状態では敵に対して命中など望めないことは誰にでもわかることだ。
それでも艦長は命令する。
「砲術長、命令が聞こえないのか。」
「わ、わかりました。」
砲術長は伝声管に向かい叫ぶ。
「砲戦用意、右舷不明目標、推定距離3万。
弾主徹甲弾のまま。」
主砲はゆっくりと、しかし着実に敵艦隊へ向けて照準を定めている。
艦長は艦橋からその様子を静かに眺める。
その姿にはわずかな迷いが感じられ、手は小刻みに震えていた。
「紀伊」は対40.1cm砲防御を施されていたのだ。
それが一撃で沈んだ。
敵は真珠湾で叩いた旧式戦艦でもなく、ガダルカナル沖で戦艦「比叡」と戦ったノースカロライナ級戦艦でもない。
未知の新型戦艦。
世界の戦艦はすべて自艦の主砲に耐えられるように設計されている。
つまり、本艦の40.1cm砲は敵新型戦艦のバイタルパートの装甲を貫通できない。
そういうことを意味するのだ。
本艦の主砲では敵艦を撃沈できない。
しかも、敵は一撃で我々を沈めることができるほどの精度の高さと強大な威力の主砲を持っている。
まさに戦況は絶望的だ。
「発射!」
砲術長の命令が聞こえてから数秒後、艦長の不安を吹き飛ばすように、土佐の主砲が爆音をひびかせながら火を吹いた。
交互撃ち方ではなく、初弾から全砲門の一斉射撃である。
その衝撃は先ほどの「紀伊」轟沈の衝撃波に負けるに劣らず、「土佐」が戦艦の意地を敵に示しているようだった。
「土佐」に続いて「加賀」「長門」も全砲門の一斉射撃を行う。
この砲撃は「紀伊」が沈んだ時の絶望感を吹き飛ばし、艦隊将兵に再び光が差し込む。
合計24発の40.1cm砲弾は全将兵の期待と共に敵艦隊に対して向かっていく。
「だんちゃーく、今!」
3分後、見張員の報告とともに水平線上に水柱が立っているのが見える。
しかし、爆発や命中した際の火災などは確認できない。
先ほどの主砲発射の硝煙もスコールにまぎれて空に消えていき、艦橋には重い空気が漂う。
「やはり…ダメか…」
砲術長の絶望的な声が聞こえる。
敵艦はスコールに阻まれてまだその姿を見ることさえ出来ていない。
先程は天佑だと喜んだスコールも、今となってはただの障壁に成り下がっている。
「敵艦隊の発砲煙確認!」
この報告が艦橋に響き渡った時、ただでさえ下がった士気はどん底に突き落とされた。
こちらの砲撃は何の効果も無かった。
その事実を静かに突きつけてくる。
そして、その事実を受け止める前に、敵弾の鋭い風を切るような落下音が響いてくる。
ただ、敵艦の狙いは本艦ではなかった。
「加賀」の周囲に、先程と同じように水柱が林立し、「加賀」の姿を覆い隠す。
前方からは命中弾らしき音と、爆発の衝撃が水中を通って本艦を艦底部から突き上げてくるようだ。
離れている本艦でこの衝撃なら、至近弾だけで「加賀」の船体を破壊してしまうのではないか。
そう思わせるほどの威力だ。
そして、水柱が晴れる。
水のカーテンが崩れた先には、艦の各所で火災を起こし、速力が低下している「加賀」が見えた。
本艦から見える範囲でも、4番砲塔は吹き飛び、3番砲塔は砲身が2本とも根元から折れ曲がっている。本艦の艦橋にも加賀の火災煙が届き、焼け焦げた匂いで満たされる。
もはや戦闘を続行できないのは明らかだ。
見張員の双眼鏡を持つ手が震え、水雷長は呆然としている。
しかし、こんな状況でも艦長は安堵していた。
また「紀伊」のようになるのではないか。
そう思って身構えていた身としては、まだ浮かび、自力航行ができるだけ良かった。
そう考えてしまう。
それほどに、先の轟沈は心に深く刻み込まれている。
「各艦に発光信号。゛全艦取舵70、離脱セヨ゛」
艦長は考える前にそう発した。
もはや勝てない、本能がそう告げていた。
そしてこのような状態になっても命令は即座に各艦に伝達されていく。
再び艦は遠心力で右に傾き、先頭に立った「土佐」は破壊され速力が低下した「加賀」を横目に速力を上げていく。
しかし、どれだけ時間が経っても敵艦隊からの攻撃は無い。
最も遅れている「加賀」に対しても1発の砲弾すら飛んでこないのだ。
なぜか。
そう思った時、あるを通信士が平文の通信を届けてくる。
そこにはこう書かれていた。
「第四戦隊ハ貴艦援護ノタメ敵艦隊二対シテ突撃ヲ敢行セントス。」




