10
見知らぬ天井が、ぼやけた視界に映った。
体が強張っているように感じる。
ドレイクはゆっくりと目を開け、かすれた息を吐いた。
「……ここは……?」
淡い光が差し込む、静かな寝室。
豪奢だが、どこかあたたかみのある室内だった。
すぐ隣に座っていた赤毛の令嬢が、ぱっと目を見開く。
「ド、ドレイク様! 目を覚まされたのですね!」
嬉しさが抑えきれない様子でそう叫ぶと、彼女は慌てて部屋を飛び出して行った。
ドレイクは天井を見上げながら、低く呟く。
「……俺は、生きていたのか……」
ほどなくして、部屋の扉が開いた。
現れたのは、晴れ晴れした顔つきの――エリアスだった。
「やっと目覚めたか。ここは王宮だ。マリンもずいぶんと心配していたぞ」
「……マリン? マリンが、いるのか」
「ここにいるだろう」
再び入ってきた赤毛の令嬢が、どこか照れたようにはにかむ。
その顔には、懐かしい雰囲気があった。
「……彼女はマリンだ。レイモンドによって魔獣に変えられていた貴族令嬢だよ」
エリアスがマリンを見て微笑んだ。マリンはもじもじと動かない。
「リシェルが、マリンに浄化魔法をかけたんだ。……見事な手際だった」
「……人間、だったのか……マリン」
ぽつりと呟くドレイクに、マリンは耐えきれず駆け寄る。
「ドレイク様……っ! 本当に、本当に……! 生きていてくださって、良かった……!」
泣き崩れ、ベッドの脇で彼の手を握るマリン。
ドレイクはゆっくりと目を閉じ、初めてその手の温もりを感じた。
マリンが涙を拭いながら、そっとベッドから離れる。その背後で、エリアスが静かに言葉を継いだ。
「……リシェルはあの時、最後の力を振り絞って、お前に治癒魔法をかけたんだ」
ドレイクははっと目を見開く。
「……リシェルが……俺に?」
「そうだ。君の胸に刺さった短剣を、彼女は魔力で溶かし、傷を繋ぎ命を繋ぎ止めた。
……見ていた者全員が、あれは奇跡だと感じたよ。
王宮全域を浄化した後で、瀕死のシオン王子を助けただけでも奇跡だった。
なのに、君が傷を負ったのはその直後だったんだ。
あれほどの出血と損傷を、あの場で回復させるなんて……。なにより、彼女の執念と根性はすさまじかった。君はいつからあれほど聖女に愛されていたんだい?」
エリアスの声には、確かな敬意がこもっていた。
「翌日、彼女はマリンを見て……ふと、何かを感じ取ったらしい。浄化魔法を放って、見事に人間の姿を取り戻させたんだ。……マリンが元は人間だって、誰も気づいていなかったのに」
驚きに、ドレイクは小さく息を呑む。
「……そうだったのか……。じゃあ、リシェルも……シオンたちも……もう帰ってしまったんだな?」
寂しく呟いた言葉に、エリアスはわずかに眉を上げ、ふっと笑った。
「いや。君が目覚めるのを、皆、残って待っている。
ミルヴァーンに帰るために、領事館から転移装置を使って帰るより、君に転移魔法で送ってもらった方がいろいろ都合がいいらしい。王宮まで一瞬だからな。彼らは君が回復するのを待っているよ」
「……そうか。では、会えるんだな」
「そうだよ。彼らは言い訳をしていたが、本音は君の元気な姿を見たくて、この国に残っているようだね。特にリシェルが会いたがっているよ」
ドレイクは目を伏せ、静かに息を吐く。胸の奥にじんわりと広がる、名状しがたい感情に、言葉を失った。
「そうだ、国王と王太子はどうした? 今、国はどうなっているんだ?」
「彼らは犯した罪が大きすぎた。人間を魔獣化する研究のために、ずいぶんと非道な行いを重ねていたようだな。
彼らは、大聖女を魔王にして、その配下に魔獣兵を配置しようとしていた。そして、恐怖と暴力で大陸を支配する計画だったんだ。ああいう危険思想の者をこのまま生かしておけば、この先、何をするかわからない」
「ということは?」
「彼らは、地下牢で服毒自殺したよ。朝、牢番が彼らの遺体を見つけた」
「……そういうことか」
ドレイクは静かに目を瞑った。
「では、今はエリアス兄上が、国王の代理をしているのだな」
「そうだね」
「じゃあ、安心だ」
しかし、と考え、ドレイクは遠い目をした。
(……十日間も眠っていたのか)
結構、長期間、寝ていたのだなと思った。
リシェルの治癒魔法が想像以上に心地よくて、思わず寝むりこけていたようだ。
ふと、自分の胸に手をやる。
あのとき、確かに死を覚悟した。何の悔いもなかった。
最後に妹の命を助け、「お兄様」と呼んでもらえた。
それだけで十分満たされたのだ。
「……リシェル……あの状態で俺を助けたのか」
思い出すと、不意に胸が軋んだ。
あの腕の中で見た、泣きじゃくっていた妹の顔が鮮やかに脳裏に浮かぶ。
「馬鹿だな……あんなに力を使えば、魔力切れを起こして死んでいたかもしれないのに……」
目頭が熱い。
何だこれは。
泣いたことなんて、一度もなかった。
なのに今、こみあげる何かを堪えられなかった。
「……生きてて……よかった……かな。……心配されるなんて初めてだ」
誰に言うでもなく、ただ静かに呟いた言葉に、自分でも驚いた。
誰にも愛されずに生きてきた人生で、初めて“生きたい”と思った瞬間だった。
◇
ドレイクが目覚めたと聞いて、リシェルとシオン、カイル、アランの四人が部屋にやってきた。
シオンは満足そうに微笑み、ドレイクのそばに腰を下ろして言った。
「目が覚めて本当によかった。まさか、君が、命懸けでリシェルを助けようとするなんてな……」
カイルは腕を組みながら、からかうように笑った。
「おいおい、俺なんてもうちょいで泣くところだったぜ?」
アランは苦笑混じりに肩を竦めて言う。
「……いや、カイル。お前が本気で泣いてたのを俺は見たぞ」
「助かって本当に良かった。元気な顔を見て安心したよ」
シオンが照れ臭さそうに言う。
リシェルは静かに頬を緩め、呟いた。
「本当に、よかった……お兄様が無事で」
「お兄様……!?」
ドレイクは一瞬面食らった後、会心の笑みを浮かべた。
「何度聴いても、いい響きだ」
四人の安堵した気配が温かくて、ドレイクは初めて、人の中で自分の居場所を見つけた気がした。
その幸福な空気を破ったのは、シオンのぽつりとした声だった。
彼は視線を落とし、ひと呼吸置いてから言った。
「君が魔獣の姿をしていた時に、殺そうとしてすまなかった。許してくれ」
それを合図に、カイルとアランも静かに頭を下げる。
カイルは重ねて、
「俺たち、レイモンドの言葉に踊らされて……元婚約者の仇だと勝手に勘違いしていた。本当にすまなかった」と詫び、アランは黙ったままうなずくことで同意を示した。
ドレイクは驚きと戸惑いで目を見開き、初めて誰かが本心から頭を下げてくれたことの意味を噛みしめる。
そして、小さく肩をすくめ、口元に笑みを浮かべた。
「いや、レイモンドに騙されていたのは俺も同じだ。俺は、奴に騙されて、疑問も持たずに資金援助してしまった大馬鹿者だ」
シオンは微笑みながらドレイクの肩を叩き、「君が生き返ってくれて、本当に嬉しいよ」と告げた。
リシェルはその輪の中心で、柔らかな声を震わせながら言った。
「ドレイクお兄様はこれからどうするんですか?」
ドレイクは視線を窓の外に向け、胸に宿る決意を呟いた。
「……国王になったエリアス兄上を支えたいと思っている。これからは生き方を変えて、真面目に生きるよ」
「ミルヴェーンに遊びに来てくれますか?」
「ちょくちょく遊びに行くよ。一度目にした場所は、転移魔法で行けるからな。リシェルの部屋に直接行こうかな」
喜ぶリシェルを見て、早急に彼女の部屋を変えなければ、と考えるシオンだった。




