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薄暗い石造りの王宮地下室。

湿った空気と魔力のざわめきが、肌をじわりと這うように感じられた。


リシェルは固いベッドの上で目を覚ました。手足には魔法の枷がはめられ、力がうまく入らない。


「……っ……ここは……?」


ゆっくりと身を起こすと、目の前に三人の男が立っていた。


一人は中年の男。冷たい目をした威圧的な雰囲気の人物――衣装から、王であることが見て取れた。


もう一人は若いが、同じく銀髪。細身の体に品の良い装束をまとい、どこかドレイクに似た空気を纏っている。ただし、その目には情など微塵もない。

そして最後の一人は、顔を覆った黒衣の魔術師。無言で何かを記録している。


リシェルは身を強張らせた。


「……あなたたちは……誰? ここはどこ……? どうして私にこんなことを……」


静かに、若い銀髪の男が一歩前に出る。


「ようこそ。地下の礼拝堂へ、聖女殿」


その声は柔らかかったが、底知れぬ冷たさが滲んでいた。


「僕の名前はカリス。オルドヴァ王国第一王子、王太子だよ。そして、こちらが父上。現オルドヴァ国王陛下だ」


リシェルの顔から血の気が引いた。


「……オルドヴァ国王……!? じゃあ……ここは……っ」


「そう、君の“母親”が逃げ出した、あの場所さ。そして今度は君が、その役割を引き継ぐ」


カリスが笑った。ぞっとするほど、残酷で、美しい笑みだった。


「君には、魔王として目覚めてもらうよ。僕たちの――理想の未来のためにね」


「……なにを、言って……?」


リシェルの声はかすれ、喉がひりついた。

自分の身体に流れる聖女の血を、今、何かに利用されようとしているのだと、本能が警鐘を鳴らしていた。


「私……魔王などにはなりません。聖女の力は、癒しのためにあるのですから……!」


「その通りだ。だが――癒しと破壊は、コイン一枚の裏表だ」


不意に声を発したのは、奥に控えていた黒衣の魔術師だった。

彼は静かに歩み出て、カリスに小瓶を手渡す。

中には、深い紫に揺らめく怪しい液体が揺れていた。


「それは……?」


「レイモンドが残した“成果”だよ」


カリスが軽く首をかしげながら、小瓶をリシェルの目の前に差し出した。


「聖女の力を、ほんの少し“変質”させる。それだけの薬さ。副作用はない。少しだけ、君の力が“神の力”から“悪魔の力”にシフトするだけだ」


リシェルは首を振る。


「そんなこと、できるわけ……」


「それができるんだよ。神と悪魔は、結局、表裏一体なのさ」


カリスは淡く笑いながら、小瓶を指先で回す。


「レイモンドの父親の研究の核心はこれだったんだよ。聖女の血がなければ、魔獣は不安定で使い物にならない。だから、もう少し違うやり方も考えてみた。もし“聖女の力”そのものを、闇に染めることができたら? 効率がいいよね?」


魔術師が口を挟む。


「大聖女の血脈を持つ者に、この薬を与え、魔力を注ぎ込めば……神聖な癒しの力は、破壊と支配の力へと変質します。言うなれば――“魔王”の誕生です」


「やめて……っ!」


リシェルが叫ぶと同時に、魔術師が魔法陣を展開しはじめる。

床の魔術刻印が鈍く光り、部屋全体に闇の波動が満ち始めた。


「始めようか。君が魔王として覚醒するとき、世界は新たな段階へと進む――」


カリスはそう言って、小瓶をリシェルの口元に近づけた――



「さあ、口を開けてくれ。すぐに終わる」


カリスは穏やかな声で言ったが、その瞳には冷たい命令の色が宿っていた。

カリスはリシェルの頭を抱え上げ、小瓶を口元に押し付ける。リシェルは精一杯、顔を背けた。


「いやよ……そんなもの、飲まない!」


「私たちは待っていたんだよ、この時が来るのを。ずっとずっと、長い間ね」


国王がうっとりした目でそう言った。


「いらないっ!絶対に飲まない!」


激しく首を振るリシェル。頬がこすれて赤くなるが、彼女は頑として口を開こうとしない。


「……なるほど。ならば仕方ない」


カリスが魔術師に目配せする。魔術師は頷き、無言で手をかざした。

紫の薬が入った小瓶がふわりと宙に浮かび、彼の手のひらの上で淡く揺れる。


「変化!」


その一言とともに、小瓶の中の液体が淡い霧状に変わった。微細な粒子となった薬は、まるで生き物のように形を変えながらリシェルへと流れていく。


「やめて……やめて……!来ないでっ……!」


リシェルは身を反らせて抵抗するが、霧は容赦なく彼女の体を包み込んでいく。

皮膚から薬を吸収させることによって、飲むのと同様の、いやそれ以上の効果を発揮させることができるのだ。


「う……あ……!」


身をよじって、霧から逃れようとする。だが、渾身の抵抗も空しく、紫の霧が一気に皮膚から体内へと入り込んでいった。


「――ッ……いや……いやああああ!!」


その瞬間、リシェルの体がぴくりと震えた。

胸の奥、魔力の核がある場所が、じわじわと熱を帯び、別の力に書き換えられていくのがわかる。


「う……ああ……熱い……!身体の中が……何かが、変わっていく……!」


「ようやく、始まったな」


国王の声は満足げだった。

魔術師は冷静に告げる。


「聖女の力が、闇に染まります。癒しと浄化は、暴力と破壊へ。これより、聖女は“魔王”へと転生します」



胸の奥が熱い。けれどそれは、希望の炎ではない。

リシェルの体の中で、何かが暴れ出していた。

それは魔力――いや、“かつて魔力だったもの”。

聖女として授かったはずの、温かな癒しの光が、今や黒く染まり、彼女自身を蝕んでいく。


「っ……ぁ……!!!!!!!」


リシェルを拘束していた魔力の枷が粉々になって弾け飛んだ。


浮かび上がった魔法陣が、黒紫の渦を巻き、禍々しく変質していく。

まるでその力自体が意志を持つかのように、地下の空間を這い、壁を、天井を、床を侵してゆく。


「……美しい」


そう呟いたのは、カリスだった。

その冷たい銀の瞳が、まるで芸術品でも見ているかのように、リシェルを見下ろしていた。


「この世界の未来が変わる。我ら王族のもたらす“恐怖”によって、全ての国々が統治される。混乱も争いも、ただ我らの秩序の中に収まる。……その始まりの鍵が、君だ。リシェル」


「いや……そんなの、私は……」


否定しようとする声が震える。

喉の奥に、何かがせり上がる感覚。力が暴走する。制御できない。

彼女の身体に浮かび上がったのは、見覚えのない呪印――それはまるで、焼き印のように肌に刻まれていた。


(誰か……)


目の前が赤黒く染まる。視界がぐにゃりと歪む。

理性が遠のく。感情が、記憶が、少しずつ削れていく。


(だれか……たすけて……)


わずかに残った意識が、涙を流していた。

けれどその涙さえ、頬を伝う頃には黒く、毒のような魔力を含んでいた。



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