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「今戻った」


近衛騎士が扉を開けると同時に、シオンは王宮に足を踏み入れた。持って帰った荷物を侍従に運ばせ、自身はそのまま歩き続けた。

リシェルの様子を見に行くため、彼はそのまま自室を素通りしてリシェルの部屋へと向かう。


──が、扉を開けた瞬間、その場に凍りついた。


「……は?」


「リシェル……これは……」


カイルも言葉を失っていた。


部屋の中には、リシェルの膝に頭を乗せてくつろいでいる“魔獣”の姿があった。

長い毛に覆われた大きな身体を持つ、恐ろしい顔をした魔獣だが、その表情は安らいでおり、リシェルは優しくその頭を撫でている。


「クーちゃん、いい子ね」


「くん……」


魔獣の口元がわずかに緩み、満足そうに喉を鳴らした。

あまりにも自然で、穏やかで、仲睦まじい――。


「ただいま……リシェル」


低く震える声が、シオンの口から漏れた。


「魔獣と何してるの……?」


「シオン様、おかえりなさい。さっきまで一緒にボール遊びをしていました。

今、ちょっと休憩中です」


リシェルは笑顔でそう言ってから、魔獣の肩をぽんぽんと叩いた。


「クーちゃん、ちょっと離れて。後でまた遊んであげるから」


「くーん」


「クーちゃん……? 魔獣に名前を付けたのか!」


シオンが困惑した声を上げる。

魔獣はシオンをチラリと見た後、名残惜しそうに立ち上がり、部屋の隅に下がった。が、その目は明らかに警戒しており、シオンとカイルをじっと睨んでいた。


「リシェル……何を考えてるんだ!」


カイルが叫びそうになった瞬間、扉が勢いよく開いた。


「シオン、カイル! とんでもないことが分かった!」


アランが駆け込んできた。額には汗が滲み、息も荒い。


「……クラリスはオルドヴァには行ってなかった。レイモンドの馬車から逃げ出して、家に閉じこもっていた。だから、魔獣にはされていない。さっき、直接会って確認した」


「じゃあ、じゃあ、こいつは……」


「確定だ」


アランは魔獣を睨みながら言った。


「そいつは、ドレイクだ」


その言葉に、シオンの顔が一気に険しくなる。


「……なら、殺す」


抜き放たれた短剣が、空気を裂く音を立てた。


「やめて!」


シオンの腕を、リシェルが両手で抱きついて止めた。


「お願い、やめて。クーちゃんは、悪い人間なんかじゃないの。すごく優しくて温かいのよ」


「優しい……? 誰が? こいつが?」


シオンの声は怒りで震えていた。


「リシェル、何を言ってるんだ? こいつはエリザベスとアイリーンを魔獣にした黒幕なんだよ!」


「でも! クーちゃんが本当にそんなことをしたか、わからないじゃない!」


リシェルの叫びが部屋に響く。


「少なくとも、私には優しいわ。それに、私、クーちゃんが人間だったときの感情が、なんとなく伝わってくるの。それはとても寂しい感情なの。ずっと独りだったのよ……! 殺さないで!」


沈黙が落ちる。

部屋にいる全員が、言葉を失っていた。

カイルもアランも、ただ戸惑った顔でリシェルを見ている。


「俺たちの復讐相手に、情を移したってのか……?」


カイルの呟きは、怒りと戸惑いが入り混じったものだった。


「リシェルは、エリザベスやアイリーンの仇に……寄り添ってるってのか……?」


リシェルは唇を噛み、俯いたまま何も言わなかった。


シオンは深く息を吐いた。


「……いい。今ここで結論は出さない。カイル、アラン、行こう。僕の部屋で話そう。そこの君、リシェルの護衛だな? 君の話も聞きたい。付いて来てくれ」


シオンは背を向け、部屋を出ていく。

後に続くカイルとアランも、リシェルに何も言えず、ただ無言で彼女の横を通り過ぎていった。


リシェルは、そっとクーちゃん――ドレイクの手を握り、頬を寄せた。


「大丈夫。私が守るから」


ドレイクの喉が、低く鳴った。





シオンの部屋に入ると、扉が静かに閉じられる。

部屋の中には重苦しい沈黙が広がっていた。


「先に話をさせてくれ。今しがたクラリスと話してきた」


アランが口を開いた。


「すまん。俺のせいだ。俺がクラリスをもっと構ってやればよかったんだ。この罪は償いきれない」


視線を床に落とし、深く頭を下げる。


「どういうことだ?」


シオンとカイルが不思議そうにアランを見る。


「クラリスがお前たちの婚約者を破滅させたんだ。エリザベスやアイリーンがレイモンドと接触する機会を作り、その挙句、浮気するように煽っていたらしい。全部、嫉妬だったって、本人も認めていた」


「それなら、クラリスはレイモンドを好きだったわけじゃないんだな」


驚きを込めてシオンが言った。アランが頷いた。


「クラリスには『エリザベスやアイリーンを破滅させたい』という欲望があった。『自分とは違い、彼女たちには、頻繁に贈り物をくれたりデートに誘ってくれる婚約者がいる。それなのに『刺激的な恋をしたい』などと贅沢を言っている彼女たちに腹が立った。彼女たちを破滅させたいという欲望が抑えきれないほど膨らんだ』って言っていた」


沈黙。

しばらくの間、誰も言葉を返さなかった。


やがて、シオンが椅子に腰を下ろしながら、静かに言う。


「……アラン。実に示唆に富んだ話だな」


アランとカイルが一斉にシオンに顔を向ける。


「今の話だとクラリスは途中で引き返したんだろう? オルドヴァに行かず、家に籠もってたんだよな」


「ああ、そうだ」


「ってことは、レイモンドの“欲望を増幅させる魔法”は、理性で抑えることができるって証明されたな。エリザベスとアイリーンは、自分の欲を自分で止めることはできたのに、しなかった。欲望が暴走するままに任せて、理性で止める努力をしなかったってわけだ。

それって、ある意味、自業自得だ」


「……シオン」


カイルが小さく呟いたが、シオンは表情を変えずに続ける。


「レイモンドのしたことは許さないよ。でも、自分で止めることができたって話なら、僕たちが過度に同情する必要もない。そういうことだろ?」


誰も否定はしなかった。

そして、沈黙の中で、次の話題に自然と移っていく。



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