2
昼食後の授業は、学院の訓練場での剣の手合わせだった。
高位貴族や王族の子息が集まるこのクラスでは、剣の基本は既に身につけている者も多く、実践を重ねる指導が中心となる。
「じゃあ、二人で組んでくれ。基礎技の確認とそれが終わったら、応用に入る。怪我のないようにな。くれぐれも熱くなるなよ」
教官の鋭い声に、生徒たちがざわつきながら剣を手に取る。
「シオン、俺がパートナーでいい?」
「もちろん」
二人は剣を構え、短い礼を交わすと、すぐさま実戦形式の練習を始めた。
カイルは俊敏な動きで間合いを詰め、鋭く突きを放つ。が、それを易々とかわしたシオンが、一瞬の隙を突いて木剣の切っ先をカイルの胸元へ当てる。
「うっ、またやられた……! やっぱりシオン、強すぎるって……」
肩で息をするカイルに、シオンは柔らかく笑いかけた。
「でも、カイルの動きは悪くないよ。ただ――」
そこで一歩近づき、カイルの足元を見ながら続ける。
「突きのときに、どうしても重心が前にかかっている。左足の位置が少し浅いから、剣を引いたときに体勢が崩れやすいんだ」
カイルが目を丸くする。
「え、俺にそんな癖があるの? 全然気づかなかった……」
「うん、本人じゃ気づきにくい部分だからね。じゃあこれから、今言った部分を修正しようか」
「やった!」とカイルは喜んで頷いた。
シオンも友の役に立つことが嬉しかった。
「じゃあもう一度構えてみて」
シオンの声に、カイルはさっと木剣を構え直した。
指摘された足の位置を意識しながら、慎重に姿勢を整える。
「……こう?」
「うん、今のはいい感じ。左足にもう少しだけ力を乗せて」
シオンがそっとカイルの肩を軽く押しながら姿勢を正す。
まるで兄が弟を導くような優しい仕草だった。
実際、カイルはシオンのすぐ下の弟に似ている。あっけらかんとしたところとか、感情豊かでたまに考えなしに行動するところとか。
本人は、シオンの護衛のつもりらしいから、絶対にそんなことは言わないが。
そんなやり取りを、少し離れた場所からじっと見ていた黒髪の少年がいた。
シオンたちがおしゃべりを始めたタイミングで、彼が歩を進めてくる。
「殿下は本当に、人の動きがよく見える目をお持ちですね」
低く落ち着いた声が、静かに響いた。
グレイハート伯爵家の嫡男、アランだった。
普段は無表情を貫き、どこか冷めた印象すら与える少年――その彼が、今はほんの少しだけ、緊張して顔をしていた。
「俺も、どうも伸び悩んでいるみたいなんです。もしよければ、俺にもアドバイスをもらえませんか?」
思いがけない言葉に、シオンは自然と目を見開いた。
アランはいつも、群れず、誰にも頼らずにいるタイプだった。そんな彼が自ら歩み寄ってきて、人に教えを乞うとは、少なからず驚かされる。
だが、その声はとても真剣だった。
「もちろん。僕でよければ、アドバイスするよ」
穏やかにそう応じると、アランは短く一礼した。
「ありがとうございます」
「アランって、意外と向上心があるんだな」
カイルがからかうように言う。
「どういう意味だ、それ」
むっとしながらも、アランの声に棘はない。
その後、三人は自然と構えを確認しあいながら、時折冗談を交え、剣の動きについて語り合った。
気づけば、訓練の時間が終わる頃には、名前を呼び合う声にも、すっかり打ち解けた響きがあった。
◇
次の日の剣の授業も、青空のもとで行われた。午前中から気温が高く、鍛錬場の空気には熱気が漂っている。
「見て、あれ……あの留学生、レイモンドってやつ。あれで、さっきから勝ってるんだぜ」
カイルが汗を拭きながら、鍛錬場の端に視線を送った。そこでは、剣を交える学生たちの輪の中に、特待生のレイモンドがいた。
細身で、特に筋肉があるようにも見えない。構えも素人くさく、動きもどこかぎこちない。
「うーん……あまり、強そうには見えないけどな」
シオンも腕を組み、静かに様子をうかがっていた。
しかし、そんな印象とは裏腹に、レイモンドは対戦相手をことごとく勝っていた。
誰も本気で彼に挑もうとしていないようだな、とシオンは頷く。
確かに平民なら、剣が使えなくても仕方がないと思える。だからって、わざと負けるのはまずいだろう。
「相手がわざと手を抜いているな。まあ、剣を使えない平民相手に本気になっても後味悪いだけだからな」
カイルがどこか釈然としない顔で言う。
「僕にも手を抜いているように見える。動きに隙がありすぎる。普通なら、剣を何年もやっているはずの貴族の子が、あんな動きはしないだろう」
冷静に観察していたシオンの目に、微かな違和感が浮かんだ。
「レイモンドって、特待生なんだよね? それなら、剣も試験科目にあったはずだ。あんな剣の腕で、剣の実技試験に合格できたなんて不思議だな」
「筆記試験が実技をカバーできるほどに点数が良かったのかな。ちょっと待て。なんだか、相手の態度が変じゃないか?」
「うん。どことなく、彼に逆らわないようにしてるように見える」
何を恐れているんだろう?
二人の視線が、レイモンドの周りに注がれた。
離れた場所で剣の教師がレイモンドの対戦相手を睨んでいるのが見えた。
「教師がすごい形相で睨んでるぞ。そのせいか?」
「どうしてあんな顔で睨むんだろう。恐ろしいな。あの教師がレイモンドの実技試験を担当したのかな。彼のお気に入りってこと?」
その瞬間、レイモンドがふとこちらを見た。柔らかな微笑みを浮かべ、目が合うと軽く会釈してくる。
シオンは礼儀として軽く頷き、カイルは口の端を持ち上げた。
けれど、不思議な違和感がシオンの胸をかすめた。
「カイル。彼、どうして俺たちが見ていることがわかったんだろうね。背中を向けていたのに」
「うん。勘がいいのかな? 魔術師向きかもね」
不思議な特待生レイモンドは、何もなかったように次の相手と向き合っていた。
◇
昼休みの鐘が鳴ると、いつもの中庭の木陰に、シオンたち5人はそろって腰を下ろした。
男子校舎と女子校舎は離れているので、昼休みにこうやってエリザベスに会うのが、シオンはとても楽しみだった。
「今日も暑いわね。こういうときの木陰って、ほんとにありがたいわ」
エリザベスが上品に微笑んだ。
「アイリーンがお気に入りの焼き菓子を、今日は沢山持ってきたんだよ。昨日、うちの料理人に頼んだんだ。甘くておいしいよ~! 食べて食べて」
カイルが袋からいそいそと包みを取り出す。アイリーンが隣でにっこり笑った。
「ありがとうございます、カイル様。皆の分もあるんですよね?」
「もちろんだよ! ねえ、クラリスもどう? 甘いものは好きかな?」
「ありがとう、カイル様。お菓子は大好きよ。……あ、そうだ、皆さん。“レイモンド”ってご存じ? オルドヴァからの留学生の。どんな方かと思ってたら、とても人懐っこくて、朗らかな方よ。昨日、廊下で話していて時間を忘れちゃった」
最初にその名を口にしたのはクラリスだった。
焼き菓子を手に、大きな瞳を輝かせて、話題を切り出す。
その名前に、シオンとカイルが一瞬だけ目を合わせる。
そしてエリザベスが微笑んで頷いた。
「ええ、知ってるわ。私も、廊下でおしゃべりしたわ。あの方、とても、楽しい方ね。初対面で昔からの友達のように振舞うのに嫌味がないの。冗談もお上手で、何度も笑ってしまったわ。貴族にはいないタイプね」
「私も、廊下でお話ししました。とても優雅で話し方も素敵ですね。少しだけ、うっとりしました。ムードを作るのがお上手なんでしょう。もっと話していたいって、思いました」
アイリーンも頬を少し赤らめながら、静かに同意する。
「ふうん……そうなんだ。女子に人気なんだな、あいつ。でも、なんで、女子校舎で話ができるの? あそこ、男子禁制じゃなかったの?」
カイルは焼き菓子をつまみながら、素直に驚いたように言った。
シオンも、黙って聞いていたが、真面目なエリザベスとアイリーンがそんな規則違反をすることにかなり驚いていた。
「そう言われたら、そうですね。今まですっかり忘れていました。女子校舎に男子生徒が入ってはいけないのに、私ったら」
「たぶん、人の懐に入るのがお上手なのね。わたくし、時間が立つのを忘れておしゃべりしてしまったわ。アイリーンじゃないけど、“もっと話していたい”って思ったの。だから、わたくしも、学内の規則のこととか忘れていたわ」
エリザベスのその言葉に、クラリスとアイリーンが頷く。
「うん……確かにそういう雰囲気あるかも。それに、女生徒には“王子様”ってすごい人気なのよ」
「お、王子様?」クラリスの思いがけない発言に、カイルの声が裏返る。
「そうなの。すでに彼は、一部の女生徒の間では“王子様”ってあだ名になってるの」
「王子様! 本物の王子がここにいるのに? しかも、この王子は、どこから見ても完全無欠の王子様なのに?」
カイルが再度驚いて、瞬間に叫び声を上げた。
シオンも軽く笑いながら聞いていた。別段、気を悪くしてはいなかった。
誰が王子と呼ばれようが、彼にとって、そんなことはどうでもいいのだ。
「そう言われれば、そうなんだけど、なんか印象がいいんですよね」
アイリーンが首をかしげると、クラリスが楽しげに言葉を継いだ。
「そうそう。あれって、なんなんでしょうね? すごく素敵に見えるの」
「うーん……でもさ、容姿ならシオンの方が圧勝だよ? 王族限定の輝く金髪に透き通るブルーの瞳、そして、この高身長。その上、性格もいいときている。近隣諸国にもここまで揃った王子はいないよ」
カイルは昼食のパンをちぎりながら、ぼそりとつぶやいた。
不機嫌を隠していることが傍目にもわかる。カイルにしてみれば、大好きなシオンが蔑ろにされているような気分になっているのだろう。
「うん、シオン様は、性格もいいし、成績も優秀。何より、本物の王子だよね」
クラリスも同意するように言葉を重ねる。
「それなのに、どうしてあいつが“王子様みたい”なんて言われてるんだろうな」
カイルは尚も不機嫌そうに、パンをちぎる。
シオンは笑って首をかしげるだけだった。
まるで他人事のように、穏やかに微笑む。
“王子様”なんていって女生徒に騒がれるより、放っておかれる方が明らかにシオンにとっては居心地がいいのだから。
黙って聞いていたエリザベスが、にこやかに言った。
「でも、わたくしもそう思ったわ。初めて会った時、まるで想像の世界から抜け出したみたいな雰囲気の方で……まるで、王子様みたいだわって」
「ねー? なんか、空気が違うのよ。“みんなの王子様”っていうより、“私の王子様”って感じなの」
クラリスが楽しそうに笑う。
アイリーンも、こくりと頷いた。
「そうですね、もっと言うと……たぶん“私だけの王子様”と感じられる人なんだと思います」
アイリーンの言葉に、二人の少女が、うんうんと頷いた。
この女の子たちは全員婚約者がいるのに、案外浮気っぽいのかな。しかも、二人は目の前に自分の婚約者がいるのに、と考え込むシオンだった。
4000文字を超えると2話に分けた方が読みやすいでしょうか?