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春の陽光が穏やかに降り注ぐ中、第一王子、シオン・アルステリアは、ゆっくりと王立学院の校門をくぐった。
同年代の少年たちが行きかう様子が見える。
その新鮮な光景が、王宮とは違う開放感を彼に与えた。
今日から、この学院での日々が始まる。
生まれてからずっと暮らしてきた王宮を離れ、寮での生活だ。
ほんの少しだけ胸が高鳴り、同時に不安もあった。けれど、それすらも新鮮だ。
「シオン! こっち、こっちーっ!」
元気な声に顔を上げると、赤毛の少年が手を振りながら駆けてくるのが見えた。
カイル・フェリシアス。侯爵家の次男にして、シオンの幼なじみだ。
“自称シオンの護衛”を名乗り、常にシオンのそばにいようとする少年だった。
「カイル。ここで会えてよかった。今日も元気だね」
「うんうん! だって今日は初登校日だよ? しかも、シオンと同じクラスなんだから、嬉しくて当然でしょ!」
カイルは、満面の笑みを浮かべたまま、自然にシオンの肩へ手を置いた。
その無邪気な笑顔に、思わず頬が緩む。
王族と高位貴族は、学院でも特別クラスに集められる――そのことは知っていた。
だが、実際にこうして制服を着たカイルと並んで歩いていると、なんだか不思議な気分だった。
「当たり前のことなのに、そんなに喜んでくれると、なんだか照れるな」
「当たり前ことなんてないよ! だって、世の中なにが起こるかわからないんだからな! オレ、シオンとこれから毎日一緒にいられると思ったら、すっごく嬉しいんだ!」
「そうか、それは……良かった」
心から嬉しそうなカイルの顔を見ると、自然と笑みがこぼれた。
彼のまっすぐな好意は、シオンの気持ちまで明るくしてくれる。
二人で歩きながら、指定された教室の扉を開ける。
教室の中には、すでに数人の生徒たちが席に着いていた。
見慣れた顔ぶれ。王宮で何度か顔を合わせたことのある貴族の子息たちばかりだ。
シオンに気づいた彼らは、驚いたように一瞬固まり、その後、慌てて立ち上がり一斉に頭を下げた。
(……やっぱり、そうなるか)
彼は心の中で静かに息を吐いた。
“王子”という立場は、たとえ同じ生徒であっても、気軽に接することを許さないらしい。
それが少し、寂しかった。
でも――カイルがいる。
彼のように身分にかかわらずフランクに接してくれる存在が、どれほど有難いか。
シオンは隣にいる赤毛の少年に目を向け、もう一度、微笑んだ。
教室の空気が、次にざわついたのは、彼が入ってきたときだった。
扉を開けたのは、どこか異国の雰囲気がする、見たことがない少年だ。
柔らかそうな薄紫の髪、人の良さそう顔立ち。少し迷ったように視線をさまよわせ、ひとまず空いている席へと腰を下ろした。
「見たことない顔だな」
「オルドヴァからの留学生らしいよ。しかも、授業料免除なんだってさ」
小さな声で交わされる囁きは、教室のそこかしこに飛び交っていた。
授業料免除、つまり、平民だった。王族・高位貴族だけ入るこの特別クラスにおいて、ただ一人の“例外”である。
「へぇー、留学生かあ。あんな髪の色、見たことないと思ったけど、外国人ならわかる。でも、なんでこのクラスなんだろ」
カイルが素直な感想をもらすと、隣の席のシオンは、軽く首を捻った。
「このクラスは警備が厳重だからね。留学生の安全を考えているんじゃないかな。
だけど、オルドヴァから来て、友人もいないだろうに堂々としてるね。緊張もしてないように見える。すごい度胸だよ」
「やっぱり、頭もいいんだろうな。ま、話す機会もそのうちあるでしょ。シオン、どう思う? なんか、面白そうなやつじゃない?」
「わからない。少なくとも、軽々しく話しかけるべき相手じゃないな」
「そっか。まあ、王子だもんな」
シオンは肯定の意味で微笑んだ。彼は人見知りしない性格だが、交友関係は常に慎重に考えている。
王子であるという立場は、学生であっても重いものだ。
いつ誰に付け込まれるか、または利用されるかわからない。そのため、軽率に誰とでも仲良くすることはしなかった。ましてや、相手が外国人ともなれば、親しくするには、慎重な観察が必要である。
(本当に、ただの優秀な平民なら、それは素晴らしいことだ。その時は、親しくなろう)
シオンは心の中で呟いた。
午前中のオリエンテーションが終わると同時に、学院中に昼を知らせる鐘の音が響いた。
カイルはすぐさま立ち上がり、隣のシオンへと嬉しそうに身を乗り出す。
「シオン、行こう! これからは、昼に集まって一緒に昼食を取ろうって、アイリーンたちが言ってたよな? これから毎日、学校で会えるなんて嬉しいな!」
「そうだな。急ぐぞ。彼女たちより先に行こう」
シオンは言いながら立ち上がる。カイルの朗らかな様子に、自然と気分も明るくなった。
二人は並んで教室を出て、にぎやかな廊下を抜け、中庭へと足を向けた。
中庭の中央、噴水のある広場に差し掛かると、見慣れた後ろ姿が目に入った。
緑の芝生の上にはテーブルが置かれ、その上には色とりどりのサンドイッチや果物が整然と並べられている。
初夏のような日差しの中、生徒たちの笑い声が四方から響いている。
「シオン様、こっちです!」
明るい声に目を向ければ、シオンの婚約者であるエリザベスが手を振っていた。
シオンは小さく手を振り返し、カイルとともにそのテーブルへと歩み寄る。
エリザベスの隣には、カイルの婚約者であるアイリーンの姿があった。いつものように控えめに微笑んでいる。
そして、もう一人――見覚えのない少女がいた。
「待たせてごめん。あれ、初めて見る顔だね?」
シオンの問いに、カイルが首をかしげると、エリザベスがにこやかに頷いた。
「今朝、廊下でぶつかってしまって、知り合ったの。その時、いろいろお話して、領地が隣同士だったこともあって仲良くなったのよ」
「そうそう、驚いちゃいました。お互いの家の話とか、昔の街道事情とかで盛り上がっちゃって」
明るく笑ってそう言った少女は、ふんわりとした栗色の髪を揺らしていた。
その声も表情も、周囲の空気を自然と和ませる不思議な魅力があった。
「なので、私もご一緒してもいいでしょうか? クラリス・ヘンリエッタ、伯爵家の長女です!」
少し緊張した様子でそう名乗った少女に、シオンはにこやかに頷いた。
「ヘンリエッタ伯爵家だね。知っているよ。もちろん、歓迎する」
その一言に、クラリスの顔がぱっと明るくなった。
椅子から立ち上がると、きっぱりとした口調で続ける。
「クラリスと呼んでください! よろしくお願いします! 殿下と同じクラスにいる、アランの婚約者です」
礼儀をわきまえながらも、堂々とした態度だった。
はきはきとした声に、シオンはわずかに目を見張る。
その隣で、カイルが感心したように口を開いた。
「へえ、すごいな……人見知りゼロかも」
茶化すような口調ではあるが、声ににじんでいたのは確かな好意だった。
クラリスはその冗談にくすりと笑って、軽く会釈を返す。
「うん。人見知りはしたことはないわね」
「まあ、俺もだけどな。アランって、あのアラン・グレイハート? あの無愛想な?」
「やめなよ、カイル。クラリス、気にしないで」
シオンが苦笑しつつたしなめたが、クラリスは特に気にした様子もなく、ケラケラと笑った。
「うん、よく言われる! でも、アランって、ちゃんと優しいとこもあるのよ。ちょっと照れ屋なだけ。今度紹介するね!」
「ふーん、まあ、楽しみにしてるよ」
「クラリスさん、ご一緒できて嬉しいです」
アイリーンの静かな声に、クラリスも「よろしくね」と言って柔らかく微笑んだ。
それからのランチタイムは、自然と打ち解けた雰囲気に包まれていった。
エリザベスとアイリーン、クラリスの3人はすぐに仲良くなり、シオンとカイルもその輪の中で楽しく過ごした。
(初めての学園生活を、こうして皆で仲良く過ごせてよかった)
シオンは、皆の楽しげな姿を見ながら、少し安堵した。