18
家を出て、2週間が経った。
王都に近づくにつれて、空気は少しずつ変わっていった。
人が増え、建物が密集し、喧騒と活気が包み込む。
「わあ……」
リシェルは思わず声を上げた。
市井の通り、物売りの声、行き交う馬車、騎士団の隊列。
見たことのない世界が、目の前に広がっていた。
昼食をとるために、馬車を下りたリシェルは目を丸くした。
「人、多っ……! 人って、こんなに大勢いるの?」
「田舎者丸出しだぞ、リシェル」
アランがぼそっと突っ込む。
「だって、本当にすごいんですもん!」
そんなリシェルの様子を、シオンは静かに見つめていた。
彼女の目は輝いていて、少し戸惑っていて、そして、希望に溢れているように見えた。
「着いたよ」
シオンの声で顔を上げると、王宮の門が目の前にあった。
高い城壁に守られた巨大な建物、騎士たちが厳かに見守る門、そしてその向こうに広がる、きらびやかな王族の住まう世界。
リシェルは、言葉をなくして茫然と見上げていた。
「これが……王宮……こ、こんなりっぱな建物がこの世にあるとは……」
「ようこそ、リシェル。これが僕の家だ」
シオンが微笑んだ。
「シオン様は、本当に……王子様だった……」
リシェルは唖然としながら、小さく呻いた。
「もちろん、そうだよ」
シオンは愉快そうに笑った。
◇
王宮に到着してその日のうちに、リシェルは、大神殿の大神官長に呼ばれ、魔力の正式な測定と分析を受けることになった。
厳粛な空気の中、大神官長は彼女の額にそっと手を置いた。
「……これは……」
大神官の目が大きく見開かれる。手が、微かに震えていた。
「これは、ただの治癒の魔力ではない……この魔力の濃度、純度、そして範囲……想像を遥かに超えている。しかも、幾種類もの魔力が層になって渦巻いている。ここまでの魔力を持つ者は、かつて……伝説の大聖女と呼ばれたあの方以来、現れていない」
周囲の神官たちがざわついた。
「まさか……」
「大聖女の再来……?」
「大聖女様の血縁かもしれん! そう言えば、大聖女様に似ていないか?」
大神官長が静かに告げる。
「この力は大きすぎて、我ら神殿では制御も指導も難しい。
ましてや、保護することなどとうてい無理だ。これは、魔術師団長に協力を仰がねばなるまい。もはや、“聖女候補”などという段階ではない。今、まさに我々の目の前で“大聖女”が誕生したというわけだ」
「だ、大聖女……っ!?」
リシェルは戸惑い、思わず声を上げた。
「そんな……私、ただ少し、治癒魔法が使えるだけで……」
気が遠くなりそうになり、リシェルは足を踏ん張った。
「その“少し”が、誰にも解けなかったシオン王子の呪いを解き、神殿に伝説を甦らせた。これは奇跡なのだよ」
大神官長は温かく微笑んだ。
「おめでとう、リシェル嬢――いや、大聖女殿」
彼の言葉に、周囲の神官たちも一斉に拍手した。
聖堂に、静かで清らかな祝福の風が吹いた。
それから程なくして。
リシェルは、王宮にて国王と王妃に謁見することとなった。
玉座の間。
荘厳な装飾の奥に、気品に満ちた国王と王妃が並んで座っていた。
シオンに手を引かれて一礼するリシェルに、王妃が目を見開く。
「まあ……その髪、その目の色……間違いないわ。伝説の大聖女様と、瓜二つ……! ここでお会いした時に、一緒に絵も描いてもらったのよ。宮廷画家に記念にね。後で見せてあげるわ」
「なんと……まさか、君は……大聖女様の娘なのか? そっくりじゃないか」
国王も玉座から身を乗り出す。
「それが、わからないのです。母は、記憶を失っていて……。でも、他国の出身だったとは聞いています。薬草の知識だけは、昔からありました」
戸惑いながらも答えるリシェル。落ち着かせるために、シオンがリシェルの手をきゅっと握る。
王妃が目を潤ませた。
「大聖女様は、かつてこの国の人々のために、お力を捧げてくれた方。その方に似たあなたが、今、大切な我が息子を救ってくれた……」
国王が、ゆっくりと立ち上がる。
「我々王室は、君に深く感謝し、敬意を表する。そして、君が大聖女として、正しく力を使えるようになるまで尽力する。そのことは、我々の務めでもある」
王妃が玉座から下りて、リシェルの前まで歩いてきた。
そして、手を取り、優しく微笑んだ。
「ようこそ、王宮へ。あなたは、もう“外の人”ではないのよ」
その言葉に、リシェルは胸がいっぱいになった。
自分は今、誰かに「ここにいていい」と言ってもらえたのだ。
「僕と結婚してくれ、リシェル」
いきなり言ったシオンに、三人はぎょっとして動きを止めた。
◇
王宮での生活が始まった。リシェルは魔塔に通い、魔術師団長の指導のもとで、本格的に魔法の訓練を受ける日々を送っていた。
彼女の魔力は治癒だけでなく、あらゆる属性にわたって広がっており、魔術師団長も舌を巻くほどだった。
空いた時間には、王妃の勧めで王室のマナーを学んでいた。
もともと人一倍礼儀正しいリシェルは、その吸収も早く、宮廷の教師たちからも「筋がよろしい」と評判だった。
ある日の午後、シオンとカイル、アランの三人が中庭でお茶をしていると、カイルがふと呟いた。
「……なあ、今さらだけどさ。リシェルって、ほんとに平民なのか?」
「どうした、急に」とシオンが笑うと、アランも興味ありげにうなずく。
「たしかに。あのマナー、あの立ち居振る舞い。貴族令嬢が家で親から叩き込まれるものだ。俺たち、森で一緒に暮らしていたが、別段気にしてなかった。だけど、今思えば、マナーがいいから返って俺たちには違和感がなくて、気づかなかったのかもな」
「そう! でも俺、何度か“あれ?”って思ったんだよ! 親が元貴族なんだろうな、きっと」とカイルがテーブルを叩く。
「所作が奇麗すぎて、自然に馴染んでたから……気づけなかった……っ! くそ、あそこで“ただ者じゃない”って見抜いておくべきだったのに!」と、悔しそうに拳を握る。
「ふふ」とシオンが微笑む。
「気づいたところで、どうにもならなかったよ。あの頃の彼女は、自分が何者かも知らなかった。だけど、僕は運命だと思ってる。あの森で出会ったのも、共に暮らしたのも。
僕はあの森で未来の妻に出会えたんだ」
二人を見つめるシオンの目は、きらきらと輝いている。
カイルとアランは顔を見合わせて、
「結局、おまえがいちばんの勝者か」と笑った。
第1章完
第1章終わりです
明日からは、第2章 婚約破棄編(過去)になります
タイトルは第1章までのものになりますので、第2章から下記に変更することにしました。
「王子の呪いを解いたら求婚されました。ですが、王子は元婚約者の復讐に忙しそうです」