17
森の別荘。夕暮れ時、
暖かな光が窓から差し込む中、リシェルが薬草を選別している横で、シオンは椅子に座って彼女の動作を見つめていた。
呪いが解けたのは嬉しいが、リシェルと手を繋ぐ必要が無くなったのが、ちょっぴり寂しい。
シオンは、ふと、何かに導かれるように問いかけた。
「リシェル。君の母親って、どんな人だった?」
リシェルは手を止め、不思議そうに首をかしげる。
「え? 母ですか? 母は、他国の人だったみたいです。でも、昔のことはよく覚えていないって言ってました。記憶がないらしいんです」
「記憶が……?」
「はい。ただ、薬草の知識だけは鮮明に覚えていたみたいで、それを私に教えてくれて。
私が知っている母は、明るくて、お節介焼きな、普通の女性です」
ふーん、と頷くシオンに、リシェルは笑って続ける。
「でも、近所の人にはよく言われてました。『あんた、こんな田舎に住むには、もったいないくらいの美人だね』とか『本当はどこかのお姫様じゃないの?』」って。笑っちゃいますよね。少なくても、母はいつも笑い飛ばしていました」
その言葉に、シオンの目が静かに見開かれた。
「……まさか」
「?」
「行方知れずになった聖女がいると、昔、父に聞いたことがある。異国の女性で、癒しの力に秀でていたが、突然姿を消したと。……もしかすると……」
リシェルが言葉を失う中、シオンは小さく息を呑み、ぽつりとつぶやいた。
「君と俺の出会いは、偶然じゃなかったのかもしれない。何か、大きな力に導かれていた気がするよ」
「それじゃあ、その大きな力に感謝です」
二人は顔を見合わせてほほ笑みあった。
淡い夕日のなかで、沈黙が落ちる。
二人は、互いが出会った理由について考えた。
彼らの間に流れる空気は、どこまでも温かかった。
◇
翌朝。
森の小道を歩くシオンとカイル、アランの三人。
リシェルは家でせんじ薬を作りたいらしく、珍しく男三人だけの外出だ。
「で、昨日の話だけど」
話が途切れたところで、シオンが、切り出す。
「リシェルの母親の話だ。彼女は異国の人で、記憶を失ってて、でも薬草の知識だけは残っていた。しかも、近所では『どこかのお姫様みたいだ』って有名だったらしい」
「それって……まさか」
カイルが眉をひそめる。
アランは鋭い目をした。すぐに察したようだった。
「有名な“大聖女失踪事件”か。そんなに詳しくは知らないが」
「どんな事件だ?」とカイル。
「そうだな。僕も、昔、父に聞いたことがあるだけなんだ。
20年くらい前、王都で拡大した感染症の治療をするために、他国から“大聖女”がやってきた。だが、その“大聖女”が、帰り道、突然姿を消してしまった。その大聖女は、癒しの力が強すぎて、治せない病はなかったという空前絶後の大聖女だ。祖国では“国の至宝”とまで言われていたらしい」
「はあ? そんなすごい大聖女が我が国で失踪したとあっては、うちの責任問題にならなかったのか?」
カイルが目を丸くした。
「そこなんだ。それが、大聖女本人の意思で消えたのか、誘拐されたのか、そして、この国で消えたのか、隣の国で消えたのか。謎ばかり多くて、まるで消息が掴めなかった。
その為、我が国はかろうじて責任を取らずに済んだんだ。それが有名な『大聖女失踪事件』だ」
カイルが目を見張った。
「その大聖女が……リシェルのお母さんかもしれないってことか?」
「確証はない。でも、ただの平民から偶然、強大な力を持った娘なんて生まれないんじゃないかな。偶然生まれたとしても、どう考えても能力が高すぎる。あの力は、国でも有数の強さと量だろう。神官長の言うことには、魔術師団長よりも強いかもしれないらしいぞ。磨けばもっと伸びるだろうって」
アランが小さくため息をつく。
「シオン、俺たち、本当にとんでもない子を拾ったな」
「ああ。僕たちとリシェルが出会ったのは、偶然じゃなかったのかもしれない。俺たちは、あの三人の婚約者と別れた後で、大聖女の娘と出会った」
その言葉の意味を考え、ふたりは息を呑む。
「それは、すごい……な」
「ぞくっとしたぞ」
やがて、カイルが喜びの声を上げた。
「いやあ、リシェルが“伝説の大聖女”の血を引いてるなんて、そんな話、本当だったら、すごすぎるでしょ。でも……なんか、納得しちゃうんだよな」
アランも苦笑してうなずいた。
「あの素朴な子がそんな偉大な血をって、思うが、あの凄まじい力をこの目で見たからな。それに、あながち似合わないわけでもない。本格的に力を使えるようになったら、こっちがひれ伏すような雰囲気が出てくるかもしれんぞ」
「まあ、僕は今のリシェルが好きだけどな。いや、リシェルならどう変化してもいいか……」
シオンの言葉に、ふたりの目がぴくりと動いた。
「は?」
「え?」
シオンは自分の言葉に気づき、照れくさそうに顔をそらす。
「……なんでもない」
それ以上誰も口にはしなかったが、カイルとアランの脳内にははっきりと「愛」の文字が浮かんでいた。
◇
数日後。
朝露の残る森の空気の中、馬車に積まれた荷物と並んで、リシェルは立っていた。
「じゃあ、本当に私も行かなきゃいけないんですね」
彼女の声は、どこか寂しげだった。
「そうだな。僕の呪いが解けたってことは、僕の口から王宮に報告しなきゃならない。そこで必ず、君の話が出てくる」
シオンが柔らかく答える。
「それに君の力は、きっと神殿から王宮へ報告が行っていると思う」
「だから、私も一緒に、行かなきゃいけないんですね?」
リシェルが、少し困ったように笑う。
「そういうこと。それとも、一人でここに残って、神官たちが迎えに来てくれるのを待つかい?」
シオンは冗談っぽく笑ったが、視線は真剣だった。
「神官さんたちと一緒に王都に行くのは嫌ですね。ええ、それは断言します」
リシェルが笑いながら言うと、シオンが安心したように頷いた。
「君のことは、俺たちが守る。だから、何も心配しなくてもいい」
その言葉に、リシェルは小さく目を見張り、そして「はい」と答えた。
四人で最後の食事を終えて、片づけた。
いつ帰って来られるかわからない大好きな場所。
リシェルは未練を断ち切るように、荷物を取りに行った。
リシェルが用意を終えると、玄関の前には、カイルとアランが立っていた。
荷物の積み忘れがないか最終確認をしていたようだ。
ひと息ついて、カイルがふっとつぶやく。
「……ここ、いい場所だったな」
アランが、
「まさか王子と聖女と護衛の4人で、森で共同生活する日が来るとは」と鼻で笑う。
「本当に楽しかったですね。でも、私は報告を終えたら、すぐに帰ってきますけど」
リシェルが言えば、
「その時は俺も一緒に帰ろうかなあ」シオンが言う。
カイルがぽんと、リシェルの肩を叩く。
「そんな悲しそうな顔をするな。そうだな、俺たちもすぐに帰って来ようぜ。ここはもう、俺たちの別荘ってことで」
「ですね!」
リシェルがにっこり笑った。
「そう上手くいくかな」
アランの言葉が聞こえなかったふりして、3人はそれぞれの場所に移動した。
馬車が静かに動き出した。護衛2名が馬で並走し、森の小道をゆっくり進む。朝日が差し込み、木漏れ日が揺れる中、森の別荘が次第に遠ざかっていった。
第1章はあと1話で終わります