13
すぐに神殿を再訪することになった。馬車を整え、カイルとアランがその横を馬で並走する。
王都から神殿へ向かう馬車の中、シオンは窓の外を眺めていた。
リシェルはいつも通り彼の隣に座っていて、そっと手を握っている。
手を繋いでいれば、彼の痛みは和らぐ。だから、可能な限りに手を繋いでいる。
それが、今や二人の“いつもの形”になっていた。
神殿の白い建物が見えてくると、リシェルは少しだけ表情を引き締めた。
「ここです。ここに来た日から、力が使えなくなったんです」
彼女の声に、シオンは目を細めて神殿を見た。
数年前、診断のために一度だけ訪れたこの神殿。
その直後から、治癒魔法が使えなくなったという事実。
その理由を探るために、今こうして王子様の名を借りて、再び訪れることになったのだ。
正門に王子の馬車が到着すると、神殿は大いに騒然とした。まさか、第一王子が自ら足を運ぶなど、神官たちにとっては予想外だったのだ。
「シ、シオン殿下!? な、なにゆえ、このような田舎の神殿に!」
あわてて神官長が飛び出してくる。白銀の髭を揺らしながら、奥から駆けてきた老神官は、シオンと一緒にいるリシェルを見て目を細めた。
「あなたは……見覚えがあります。数年前、聖女の診断を受けにきた少女ですね。確か、治癒の才を持つのではないかと連れてこられた」
「はい、そうです」
リシェルが返事をすると、シオンが口を開いた。
「リシェルは以前、こちらで診断を受けてから、力を失いました。それまでは、小さな怪我なら治せていたのに、突然何もできなくなった。それはここに来た日を境にしてからだと、彼女は話しています」
神官長は眉をひそめる。
「ほう……それはまた奇妙な話ですね。確かに診断は行われましたが、それで魔法が使えなくなるなんで。そんな話は聞いたことがありません。何かあったのかもしれませんね。ちょっと記録を確認してみましょう。記録保管庫へご案内します」
神殿の記録保管庫、という部屋に案内された。リシェルは緊張しながらも、でもしっかりとシオンの手を握り続けていた。カイルとアランも後に続く。
診断記録を保管する書庫の扉が開かれると、中から一人の若い神官が出てきた。やや痩せぎすで、青白い神経質そうな顔をしている。リシェルはどこかで見覚えがある気がしたが、思い出せなかった。
「記録はこちらです。ああ……この診断、私が担当しました」
若い神官の言葉に、神官長が振り返る。
「ああ、君が?」
その神官は一瞬、顔に迷いを見せたあと、小さく息をついて言った。
「……申し訳ありません。私の判断で、彼女に魔力を封印する術式を組み込みました」
「なに?」
空気が、ピンと張り詰めた。
「この娘の力は、12歳にしては、あまりにも強かった。ですが、平民の娘がそのような力を持っていれば、むしろ不幸を招くのではないかと……」
「君が勝手に?」
神官長の声が鋭くなる。しかし、若い神官は悪びれもせずに、胸を張って自分の信念を語った。
「平民は、力など持たぬ方がよいのです。私はそう信じています。力など持つと、金持ちや貴族に利用されるだけですから。ですが、殿下のご友人なら話は別です。まさか、この少女に殿下の後ろ盾があるなんて思いもしませんでした」
怒りを押し殺すように、アランが神官を睨みつけた。
カイルの拳も震えていた。
だが、シオンは冷静だった。いや、冷たく怒っていた。
「君の独りよがりな善意は、彼女の未来を奪うところだった。彼女はあれからずっと一人で、出せない魔力をどうにかして出そうと、奮闘していたんだよ。そのことをどう償うつもりだ?」
若い神官は言葉を失い、ただ頭を垂れた。
記録保管庫を出たあと、全員が無言で歩いた。
頭を下げて謝った若い神官を、シオンは「処罰は後ほど王宮で判断する」とだけ告げていた。
冷静に、だが容赦のないその声は、いつも優しい王子とは違っていて、リシェルの胸の奥が、わずかに痛んだ。
神殿の一室。借り受けた静かな祈りの部屋に、シオン、カイル、アランが、神官服に着替えに行ったリシェルを待っていた。ようやく着替え終えたリシェルが現れて、4人が顔を揃えた。
「封印魔法は、そう簡単には解けないらしいぞ」
待ち時間の間に、神官から説明を受けたアランが低く呟いた。
「封印を解除するには、本人の内側から力が目覚めることが条件らしい。無理に外から剥がすと、肉体に傷をつける可能性もあるとか怖いことを言ってたぞ」
一緒に説明を受けたカイルが真剣な顔で補足した。
リシェルは、自分の手のひらをじっと見つめた。
「力が目覚めるって、どうしたら……?」
「君が、誰かを本気で癒したいと願ったとき、力が目覚めるんじゃないかな」
シオンが静かに言った。
リシェルは顔を上げた。
「え……?」
「僕が、呪いの痛みに苛まれていたときを思い出してごらん。
君は、何も恐れずに手を繋いでくれただろう? あのとき、僕の痛みは和らいだ。
それがすべての始まりだったじゃないか。
あの時、何も考えずに、ただ僕を癒してくれようとしたんだろう?」
リシェルは、唇を引き結んだ。
そうだ、あの時、自分でもわからない衝動に突き動かされていた。
自分の中にあったのは、「救いたい」という純粋な思いだけだった。
「リシェルには、確実に力があるんだ」
カイルが、いつになく穏やかな声で言う。
「封印の魔法はまだ消えてないが、リシェル自身の力がそれを押し返している状態らしい。だから、もう一押しだ」
「もう、一押し……?」
アランが腕を組んで、壁にもたれながら言った。
「一番単純で、一番難しい条件かもしれん。“誰かを救いたい”という強く純粋な気持ちが鍵になる。それは今のリシェルにしかできないことだ」
リシェルは深く息を吸って、救いについて思いを馳せた。
シオンの呪いが解けて、彼が救われたらどんなにいいか。
想像するだけで、胸の奥に、あたたかいものが広がってくる。
——シオンの呪いを解きたい。
それは見返りを求めない純粋な想いだった。
そのためには、どんなことをしてでも、自分の中に眠っている力を取り戻したい。
「やってみます」
リシェルはまっすぐにシオンを見つめて言った。
「私の魔法で……シオン様を救います。私にはきっとできる」
その瞳に宿った光を、シオンは静かに見つめていた。
「ありがとう。君は、きっとできるよ、リシェル」
そして、封印解除が始まった。
リシェルの覚醒と、シオンの未来のために。