10
リシェルは半分開いた扉の外に立ち尽くしていた。
部屋の中から聞こえてくる、シオンの哀しくも切ない声。
自分のことではないはずなのに、どうしてこんなに胸が痛むのだろう。
扉越しに感じたのは、シオンが落ち込み、カイルとアランが何も言えずにいる、そんな空気だった。
「……俺は、みんなに迷惑をかけてばかりだ」
掠れたその一言が、とどめを刺した。
リシェルは無意識のうちに扉に手をかけ、音を立てて開け放った。
「失礼します! 話は全部聞きました!」
驚いたように、三人の視線がこちらを向く。
リシェルは息を弾ませながら、まっすぐシオンに向かって駆け寄った。
「それなら、私が!」
「リシェル……?」
シオンが顔を上げた、その瞬間。
「平民が王族のお身体に触っては駄目だって知っています! でも!」
リシェルはシオンの前に立った。
目はまっすぐに彼を見ていて、少しも揺れていなかった。
そして。
「私とも痛みを分かち合って欲しいです! ご無礼をお許しください! エイッ!」
シオンの手を、ぎゅっと握った。
「なっ……!」
シオンの瞳が大きく見開かれる。
カイルとアランが、同時に駆け寄った。
「リシェル、だめだ! 離れろ!」
「やめろ、君には耐えられない!」
「リシェル! なんてことを……!」
シオンは慌てて手を引こうとする。
「怪我したらどうするんだ! すぐ、離して……!」
「……あれ?」
リシェルが、きょとんとした顔で繋いだ手を見た。
「全然……痛くない、です。お二人はシオン様に触れると本当に痛いんですか?」
その声があまりにものんびりしていたため、誰も言葉を返せなかった。
「……え……?」
シオンが、呆然と自分の手を見下ろす。
確かに、触れている。リシェルの柔らかな手が、シオンの手を包んでいる。
けれど。
「本当に? 痛くないのか? 俺は激痛が走ったぞ」
「俺もそうだ。剣で刺されたような痛みだ。リシェルは感じないのか?」
「はい。ぜんぜん。シオン様は、どうですか? 痛みは減りますか?」
リシェルは言いながら、ゆっくりと、両手に力を込めた。
「すごいスピードで痛みが消えていく。まるで今だけ、呪いが消えたかのようだ」
シオンが唖然としたように言った。
カイルもアランも、口を開けたまま、ただ見守っていた。
それは、突然の触れ合いだった。
けれど、その手が繋がれた瞬間。
誰もが“奇跡”という言葉を思い浮かべた。
◇
心地よい朝。
今日もシオンは手を差し出した。
「リシェル、手、お願いしてもいい?」
「はい、どうぞ」
小さな手がそっと彼の手に重なる。
こうして、手を繋ぐと、夕方になると痛んでいた腕の傷が痛まなくなる。
それだけではなく、一日中、鈍くうずいていた背の痛みまでもがすっと引いていく。
それを、シオンはもう何度も体験していた。
その上、昼間、手を繋いでもらえば、夜寝ている時にやってくる激痛も来なくなるのだ。
「いつもありがとう」
「いえ。これくらい、なんでもないです。私にできることですから」
自然なやり取り。毎朝のように繰り返される、ふたりの新しい“習慣”。
「いや、もう恋人では?」カイルがちゃかす。
「そろそろ公表しても驚かれないレベルだな」とアラン。
だが当の本人、金髪の美しき王子はと言えば──
「俺はただ痛みを和らげてもらっているだけだし」
と、今日も堂々と鈍感宣言。
「いやいやいやいや」とカイルがすかさず突っ込む。
「リシェルと手を繋ぐのがいいんじゃないの? もし俺とだったら、そんなに嬉しそうな顔をする?」
「うん、まあ……それはそうかもしれない」
言葉を濁し、でもリシェルの手はぎゅっと握りっぱなし。
そこへ、薬屋の青年が訪ねてきた。月に1度、薬と日用品を交換するためにやってくる青年だ。
リシェルはそっとシオンから手を離す。
「リシェルさん。また薬をもらいに来たよ。リシェルさんの薬はよく効いて、ほんと助かる。今回は、布地と交換で良かったのかな」
屈託ない笑顔で、青年がリシェルに近づこうとしたその瞬間。
ギギッと音がしそうなほど、シオンの顔が険しくなる。
「……もっと離れろ」
「えっ?」戸惑う青年。
「リシェルに近寄るな」
「あ、いや、ちょっと……これでいいですか?」
青年が困惑しながら後ずさりするのを横目で見て、カイルがアランの耳元で囁く。
「今の見た?」
「ああ、完全に嫉妬。しかも無自覚」
「ヤバいな、これ」
リシェルはというと、そんなシオンの態度に気づいたような、気づかないふりをしているような微笑みを浮かべて、
「シオン様、どうかされましたか? 私、奥に行って、薬を取ってきますね」
と、首を傾げた。
「いや、なんでもない。一緒に、行こう」
不機嫌を押し殺したまま、シオンはリシェルの手をもう一度しっかり握る。
「…えっと……」とリシェルの頬がほのかに染まるのを、シオンは見ていない。
でも、カイルとアランは見ていた。
「いや、これはもう……両・想・い」
「早く気づけ、シオン」
そう思いながら、今日もふたりの護衛は“愛の手つなぎ”を見せつけられるのだった。




