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森の朝は清らかで美しい。
木々の隙間から差し込む光が、窓辺に吊るした薬草を黄金色に照らしていた。
鳥のさえずりと、湯を沸かす小さな音。これがリシェルの日常だった。
「今日も、いいお天気」
薬草を煮出したお茶を手に、リシェルは笑顔を浮かべる。
彼女は栗色の髪と、紫の瞳を持つ愛らしい少女だった。
かつて魔法治療師を目指していた少女でもあったが、その力が認められることはなく、ひとりでこの森の家で暮らしていた。
この森で修行して、治癒魔法を使えるようになりたい。
この家は、そんな決意を持った彼女の小さな居場所だった。
そして今日、その平穏は突然に終わりを告げる。
玄関で大きな音がしたのは、朝の光がテーブルを照らし始めた頃だった。
玄関扉を無理に開けようとしているようだ。
「……誰?」
こんな森の奥まで来る人間など、滅多にいない。
薬を取りにくる商人が来るのは、月1度の決まった日で、先日来たばかりだった。
恐る恐る扉を開けると、そこには三人の青年たちが立っていた。青年たちはいずれも長身で貴族のように見えた。
中央に立つのは、燦然と輝く金髪を風に揺らす青年。
まともに見ると、目がつぶれそうなほどの美男子だ。
高貴な身分だなと一目でわかる身なりをしていながらも、気取ったところはなく、朗らかに微笑んでいた。
左後ろに立つ青年は、好奇心旺盛なキラキラ光る目でこちらを見詰めている。赤髪で陽気そうな顔つきの青年だ。
右後ろに立つ青年は、探るような瞳を向けていた。黒髪でやや気難しそうな顔つきの青年である。
「……あれ? 人が住んでる? 女の子?」
意外そうに言ったのは、中央に立つ金髪の青年だった。
「え……?」
「ここって王家の別荘のはずじゃ……あ、自己紹介が遅れたね。僕は第一王子、シオン・アルステリア。突然でごめん。怪我の療養で、しばらくここを使う予定だったんだ」
リシェルは一瞬、言葉を失った。
「ここって、王家所有だったのですか! なんてこと! 申し訳ありません! 私ったら、空き家と思って勝手に住んでいました! すぐ出ていきます!」
慌てて頭を下げ、荷造りをしようと背を向けたリシェルを、後ろから止める声がした。
「ちょっと待って。ここ、ずいぶんと使っていなかったはずなんだけどな。見たところ綺麗だね。君が掃除してくれたの?」
「あ……はい。全部ではありませんが、だいたいは」
「そうか、ありがとう。大変だっただろう? それで、君はここを出ていって、行くところ、あるの?」
ふいにかけられた問いに、リシェルは動きを止めた。
行く所はあるけれど、ここにいたい。
この森の静かな環境は、彼女がライフワークとしている、治癒魔法の修行をするのに最適なのだ。
「行く所はあるんですけど……。森を抜けた村に実家がありますから。
あっ、申し遅れましたが、私は、リシェルといいます。怪しく見えるかもしれませんが、ただの村娘です! 怪しい者でないことは神様に誓えます!
それで……皆さんのお食事を作りますので、ここにこのまま、置いていただくわけにはいきませんか?」
そう言って、上目遣いに王子の様子を伺ったが、思案顔で黙っているので、
「それに掃除もできます!」と大声で付け足した。
「ふふ。元気がいいね。食事の用意に掃除か。それは、僕たちは助かるけど。
お嫁入り前のお嬢さんが男三人と暮らして、悪い評判は立たないの?」
そう言って、シオン王子は困ったように微笑んだ。
彼の笑顔はあまりに自然で、親しみやすくて、まるで長年の友人のようだった。
「それは、大丈夫です。“貴族のお屋敷に住み込みで働く使用人”という体にしますから。平民にはよくある話です」
「ふーん。君がそういうなら、その心配しなくてもいいんだね」
シオンは振り向いて、後ろの青年たちに顔を向けた。
(置いてもらえるかも?)
リシェルはちょっとどぎまぎ期待して、護衛っぽい二人に目を向けた。
背後に控える青年たちは、それぞれに何か考え込んでいる顔をしていて、シオンを見つめていた。
「どうしようか。この別荘、ずっと放置されてたから、最初はひどい荒れようだったはずなんだよ?
それをここまで綺麗にしてくれたんだ。追い出すのは、ちょっと心が痛むな。
一緒に住んでも、いいと思うんだけど……カイル、アランはどう思う?」
「シオンがそう言うなら、俺は構わない。毒を盛りそうな顔じゃないしな。
それに、料理と掃除をやってくれるなら大助かりだ。
俺はそのぶん、馬の世話に集中できるしな。
ただし、くれぐれも触るなよ。危険だからな」
「まあ、たしかに犯罪者が隠れ住んでいるって感じじゃないな。
あの荒れた家をひとりで片づけたんなら働き者の綺麗好きってことだ。
ずいぶんおっとりしてる感じだし、まあいいんじゃないか?
シオンとカイルがいいなら、俺もそれでいい。
シオンは女の子に触れないし、問題も起きないだろう」
「うん、それは大丈夫。僕が近づかなければいいんだよね?」
シオンは明るく笑って言ったが、その声に、リシェルの胸がざわついた。
触れないって、どういう意味? まさか――。
「リシェル嬢、でいいんだよね? できれば、お互いに距離を取って過ごそうか。
僕が君に触れると……君みたいな子は、倒れちゃうかもしれないんだ」
その言葉を聞いて、リシェルは確信した。
まさか、この方が……あの“呪われた王子様”――?
かつて、魔獣討伐の際に呪いを受け、誰かに触れるだけで相手に激しい痛みを与えてしまう身体になった王子様。
誰にも触れられず、誰も触れられない。
――だからこそ、二十歳を過ぎても婚約者も作れないという、悲劇の王子様。
それでも、彼は、国民からは変わらぬ愛を注がれていた。
そして、彼も、国民を深く愛することで知られていた。
まさに、“国民と相思相愛の王子様”である。
呪いの知らせが広まった時、国中の人々が涙したものだ。
もちろん、リシェルもまた、その一人だった。
――その王子が今、自分の目の前で優しく笑っている。しかも、噂どおりの……とてもいい人みたい。
「リシェルと呼んでください。もちろん、私から触れることはありません。……それは、お約束します」
シオンは、ふっと微笑んで頷いた。
「うん。それなら安心だ。よろしくね、リシェル」
「おう、リシェルだな。よろしくな! 俺はカイル。料理とか、助かるぜ!」
「俺はアランだ。約束は守れよ、リシェル」
「はい、任せてください。よろしくお願いします!」
リシェルはこの時、まだ知らなかった。
この出会いが、自分たちの運命を変えることになると。