美大生の危険な映像制作
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
私こと猪地乃紀が在籍する帝都芸術大学には、恐ろしくも凄惨な怪談が語り継がれているの。
今から二十年近く前の話だけど、中間課題である短編動画の制作に行き詰まった映像学科の女子学生が自殺してしまったんだ。
それも頭からガソリンを被った上での焼身自殺という、壮絶極まりない手段でだよ。
更に恐ろしいのは、この焼身自殺の模様を撮影していて、その動画を中間課題にしようとしていたんだって。
この話を聞かせてくれた附属高校の先輩には申し訳ないけど、高校生だった頃の私は単なる冗談だと軽く流していたんだ。
何しろ、あまりにも突拍子もない内容だったからね。
しかし、この恐ろしい焼身自殺動画は紛れもない実話だったんだ…
その事を思い知らされたのは、前期課程で開催された映像学科主催の自校学習だったの。
「ここだよ、猪地さん!誘ってくれてありがとう。自校学習は講義と違って単発だから、他専攻主催の内容でも敷居が低いんだよね。」
教室の後ろの方に視線をやれば、同じ美術学科絵画専攻の友達である古河七重さんが気さくに手を振っていたんだ。
隣席に荷物を置いている事から察するに、私の分の席までキープしてくれていたんだね。
「なあに、気にしなさんな。私の方こそ、古河さんには御礼を言わなくちゃね。この位置ならスクリーンを見やすいし、万一眠くなっても先生にバレないからね。」
そう言って軽く頭をかきながら席に着いた訳だけど、この時の私には予想すら出来なかったんだ。
この平和な午後の一時を一撃でぶち壊す騒動が、もうすぐ起きるなんてね…
自校学習の主催者である映像学科の古参教授が用意したのは、大昔のサイレント映画のレストアの模様を撮影したドキュメンタリーだったの。
「ロベルト・ヴィーネ監督の『カリガリ博士』はサイレント時代におけるドイツ表現主義映画の代表作として非常に知名度が高く、皆さんの中にも御覧になった方も多いかと思います。しかし制作されたのが大正時代という事もあり、経年劣化対策とリマスタリングが必要となったのですね。」
そうしてDVDを再生機器にセットしたんだけど、白いスクリーンに映し出されたのは「カリガリ博士」の本編でもレストア作業のドキュメンタリーでもなかったんだ。
何処かの廃ビルと思わしきコンクリート打ちっ放しの殺風景な部屋に、私達と同年代の若い女の人が思い詰めた様子で座っている。
そして彼女の傍らには、灯油でも入れるようなポリタンクが鎮座していたんだ。
「えっ、何これ…」
「どういう事?あれ絶対に『カリガリ博士』じゃないよね?」
あまりにも場違いな映像に、私も古河さんも訝しむばかりだった。
他の学生達の反応も、私達と似たりよったりだったね。
だけど老教授だけは、少し様子が違ったんだ。
「も…本岡君?」
心当たりでもあるのか、スクリーンの中で思い詰めた表情を浮かべる女性に身を乗り出して呼びかけたんだ。
「帝都美術大学映像学科二年生、本岡陽子です。どうしても課題のアイデアが浮かばなかったのですが、やっと構想が閃きました。ある種の前衛芸術に倣い、私自身の身体を表現に用いる事を!」
そう言うとスクリーンの中の女性はポリタンクの中身を頭から被り、ボタボタとガソリンが滴り落ちる服に自ら火を放ったんだ。
「ああっ!」
「本岡君、やめるんだ!」
思わず絶叫する私達だけど、第四の壁に隔てられている以上は為す術もなかった。
髪にも衣服にもガソリンがたっぷり染み込んだ彼女の身体は、たちまち紅蓮の炎に包まれてしまったんだ。
化繊と思わしきブラウスは一気に舐め尽くされ、まるで揺らめく真紅の衣服を纏ったよう。
そうしてセミロングの髪を縮らせた後に、紅蓮の炎は女子学生の身体に燃え移ったんだ。
白かった肌は一度黄変した後に赤く焼け爛れ、至る所に水疱が出来てしまったの。
傍観している私達でさえ、鳥肌の立ってしまう恐ろしい光景だったの。
だけど、スクリーンの中の彼女だけは笑っていた。
爛れた皮膚の至る所を爆ぜさせながら。
「アハハハ!先生、見てくれていますか?他の誰にも真似出来ない、これが私の提出課題ですよ!」
「本岡君…ああ、君は何という事を…」
火達磨と化した女子学生の惨状に慟哭しながら、老教授が必死で再生機器を止めようと奮闘している。
しかし幾らリモコンを操作しようと、本体のボタンを押そうと、映像の再生は止まらなかったの。
「駄目だ、止まらない…全員、この教室から逃げるんだ!」
「うっ、うわあああっ!」
日頃の温厚さをかなぐり捨てた老教授の絶叫に促されるようにして、私達は我先にと教室を逃げ出したの。
それでもしばらくの間は、あの恐ろしい狂気の笑い声が残響みたいに頭の中で木霊していたんだけどね。
当然の事だけど、もう自校学習どころじゃなかったよ。
ほとぼりの冷めたタイミングで話を伺った所、あの女子学生は老教授がまだ講師だった頃の教え子の一人なんだって。
「とても真面目な学生だった事を、今でもよく覚えていますよ。しかし今にして思えば、その気質が本岡君を追い詰めてしまったのだろうね…」
その後に別のDVDプレイヤーで再生してみた所、件のDVDには「カリガリ博士」のリマスタリング過程を描いたドキュメンタリーが正しく記録されている事が確認出来たんだ。
そして勿論、教室のプロジェクターにも再生機器にも異常は無し。
あの焼身自殺の記録映像は、本来なら再生されるはずの無い映像だったんだ。
「そういえば、あの日は本岡君の命日でした…件の課題を出した助教授は責任を感じて大学を去り、彼女と同期だった学生達もみんな巣立って行きましたよ。当時の事を知るのは、この学部ではもう私だけ。きっと本岡君としては、年月を経るうちに自分の存在が忘れられていくのが耐えられなかったのでしょう…」
遠くを見つめるような老教授の横顔には、何とも寂しそうな表情が浮かんでいた。
幾ら彼自身には責任がないとは言え、故人と面識があった者としては割り切れないんだろうね。
こうして美大生をやっている以上、本岡さんの一件は私にとっても他人事じゃないよ。
彼女と同じ轍を踏まないよう、あまり思い詰めないよう気を付けながら美術に打ち込まなきゃ。
とはいえ、そのバランスが難しいんだよなぁ…