Extra 2.Love in the Time of These
もう一個思いついたので書いてみました。
ちなみにタイトルは単なるダジャレです。
「あっ、これ美味し」
「ほら、言ったじゃん。結構良くない?」
ポテトサラダを口に含んで目を丸くしているユリさんに対して、俺はしたり顔で答えた。
それぞれに仕事を終えて帰宅した後、二人ともお風呂を済ませて、今は晩御飯と晩酌を頂いているところだ。ユリさんは完全に寛ぎモードに入っているみたいで、上半身は下着をつけずいつものダボっとした白い無地のTシャツを直でゆったり着ていて、下はピンク色のショーツ一丁という、解放感のある格好をしている。
テーブルの上には、この前の休みの日に大量に作り置きしておいたチリコンカンを解凍したものと、『なんかメッチャ魚卵が食べたい気分かも』というユリさんのリクエストに応じてスーパーで買ってきた筋子、それともう一つ、惣菜コーナーのポテトサラダに納豆を乗せたものが並べられている。
勿論そのまま食べても申し分ないポテトサラダだが、個人的には上に納豆を乗せるとさらに食べ応えが増すので、この食べ方が結構好きだ。おつまみとしてもなかなか優秀で、その場合は納豆に入れる醤油をちょっとだけ多めにするのがオススメである。
……よくよく考えたら、納豆とチリコンカンとで豆被りが発生してしまったが、どっちも美味しいし、まぁ良かろ。タンパク質もしっかり摂れて一石二鳥である。
味覚は人それぞれなので、『この食べ方美味しくない?』という軽い提案のつもりでユリさんにも勧めてみたのだが、彼女もこの組み合わせは結構気に入ったようだった。
俺と言葉を交わしながらも各料理をどんどん口に運び、グラスに注いでいたお酒もどんどん減っていく。初めは、開封してからしばらく経っていたウイスキーを自分で炭酸水で割って飲んでいるようだったが、だんだん物足りなくなってきたようで、新しく開けたものをロックで飲み始めていた。
──予想できてはいたものの、今日は随分ペースが早いな。
ここ最近、ユリさんの仕事は繁忙期真っ只中だったようで、俺の目から見ても明らかに疲労とストレスが溜まっている様子だった。その忙しさも今日まででようやく一区切りついたようで、労いの意も込めて、ユリさんが食べたいものを買ってきておいたり、ユリさんがゆっくりお風呂に使っている間に晩御飯の準備やら簡単な家事やらをあらかた済ませておいたりしていたのだった。
だから、彼女がお酒に気持ち良く酔いながら同時にご飯もモリモリ食べている姿を眺めているのは、俺としても気分が良い。
……ただ、そのペースがあまりにも早いものだから、内心面食らっていた。
ユリさんという人は、基本的によく食べ、よく飲む人だ。中学生の時はかなり少食だった記憶があるのだが、その後身体の成長に合わせてだんだん食べる量が増えていったという。身体に宿っている変身能力を使った後なんかは特に、その小柄な背丈からは想像できないような量を平らげてしまう。
俺もそうした背景は知っているし、彼女が風船のごとくパンパンに膨れ上がらせたお腹を照れ臭そうにさすっているような場面も何度となく見たことがあるので、今更引くようなこともない。
しかしそれにしても、今日の食べっぷり、飲みっぷりは迫力が違う。チリコンカンに筋子、納豆ポテトサラダ、いずれもそれ単体で結構な食べ応えがあるメニューである。それをユリさんはものともせず、果ては、ボリュームを見誤って手が付けられなかった俺の分までもを次々にお腹の中に収めていってしまう。お酒も、あれはもう何杯目になるのだろうか。
こちらとしても準備した甲斐があったというものだが、一方で、心配になるような部分もないではない。
「満足そうに食べてくれるのは何よりなんだけど、そろそろ職場の健診近いんじゃなかった? 大丈夫?」
本当は今日こういう小言を挟むのは止めておこうと思っていたのだが、光景のあまりの凄まじさに結局口を突いてしまっていた。
それを聞いた途端、ユリさんはジトーっとした表情になって不満を訴えてくる。
「昭一君、それセクハラ」
「……そういうつもりで聞いたんじゃないんだけどなぁ。なんかごめんね?」
同居人の立場から、何か検出値に異常が出やしないだろうかという意味合いで心配したんだけど……。いかにもユリさんらしい冗談で躱されてしまった。
うーん、そっかぁ。健診、おセンシティブなワードだったかぁ。
まぁ実際、健康診断結果は歴とした個人情報なので、例えば仕事で他人のそれを扱う機会がある場合なんかは特に注意が必要であることは間違いないけれども。
まぁ、今夜ぐらいは好きにさせておいてもバチは当たらないか。そう俺は思い直して、健診の話題はこれっきりにしようとしていたのだったが、一方ユリさんは急に『健診』というワードが何かのツボに引っかかった様子だった。冗談で作っていた剣呑な表情を解くと、今度はフニャリとしたニヤケ顔を浮かべて、ウイスキーのロックが注がれたグラスを片手に卓袱台の向かい側から徐々にこっちに近づいてくる。かなり酔っ払ってる感じの足取りだ。
おっと、この流れは……?
普段見ている限り、ユリさんは結構な酒豪だ。今日みたいに強いお酒を大して希釈せずに頂くこともよくある。ただ、今日は蓄積している疲労のせいか、飲むペースが早いことを抜きにしても、珍しくグデングデンになっている。
こっち側に回ってきたユリさんは、俺の表情を上目遣いで覗き込んで、こんなことを言い出す。
「そんなに健診のことが気になるんだ? じゃあ、お医者さんの代わりに昭一君が、私を診察して♡」
「……うぉぅ」
彼女側からの唐突な直球発言の破壊力に、俺は一瞬狼狽しかけるが、すぐに平静を装い直す。
ほほーん、やはり……。今日のユリさんはそういうモードなわけだ……。
俺とユリさんは、一つ屋根の下同居までしているくらいなので、まぁ色々と楽しいこともあるわけだけれども。基本的には俺がユリさんの様子を窺いながら、
「本日可?」
「……不可。疲労蓄積、肌理状態粗悪。二十三時頃就寝希望」
「二十二時半迄完了!可及的自律運動限定!」
「……室内消灯、肉体変形過程観察厳禁、約束?」
「約束!約束!我不見貴女恥所!」
「一時間限定了承……変形開始……」
「嗚呼……赤外線暗視鏡起動……」
みたいな感じでよろしくやっていたりする。
一方で、ユリさんの側からそういうアクションを起こしてくることもちょくちょくある。
何かの要因でストレスが溜まっている時などはより顕著で、そういう時期のユリさんは食欲も含めて色々とすごいことになるのだ。今日も、急に「魚卵が食べたい」と言い出した辺りから予感はしていた。
「なんか今日の仕事中ね、この間このTシャツになって昭一君に洗われちゃった出来事が、頭に浮かんだままずっと離れなかったの。
あの時すごくスッキリしたからなのかなぁ、ついつい身体がまた変化したがっちゃって、職場でうっかり身体が溶けてしまわないように頑張って我慢してたんだよ?」
「んーそれは……だいぶお疲れだったご様子で……」
ユリさんの発言内容に若干心配になりつつも、俺の肩に徐々に身体をもたれかからせてくるのには無抵抗のままでいる。
俺は変化能力を持っていないので分からないのだが、彼女からすると身体を変化させること自体に何らかの心地良さのようなものを感じることもままあるみたいである。身体の形状そのものが変わるわけなので、それに応じて五感にも何らかの影響が及ぶのもある意味必然だろう。
が、日常生活に支障が出そうなレベルでその心地良さの虜になりかけていたという言及については初耳だ。これはよっぽど、色々と溜まっていたらしい……。図書館に寄らず真っ直ぐ帰ってきて正解だったようである。
「こんな気分になるなんて、私の身体、どこか変になっちゃったのかなぁって思って。
だから、昭一君に確認してもらおうと思って、今日は急いで帰ってきちゃった」
俺の肩にグデッと預けてくる頬や、Tシャツの長い裾の陰から覗く太腿などに朱が差している。密着している彼女の身体の、モッチリと柔らかい感触が伝わってくる。下着をつけていない胸の位置が、ダボっとした生地越しにも分かってしまう。重心がいつもよりちょっと低い気がする。
何を確認してもらおうと思ったのか、わざわざそんな野暮なことは聞くまい。と言うより、それはユリさんからしてみても単なるエクスキューズに過ぎないのだろう。
頑張った後のご褒美が欲しい。至極当然のことである。
こんなこともあろうかと、今日は俺も余力を残した状態で帰宅してきたので、いつもより長丁場になったとしても何とか頑張れるだろう。
ユリさんの方がかなり酔っ払っている状態なのが少し気にかかるが、それでも今日くらいは、彼女の思うがままになって差し上げようではないか……。
──そんな風に思っていたのだが。
甘えた声で囁きつつ、ユリさんが片手に持ったグラスの中で波打つウイスキーに口を付けようと持ち上げた時。酔ったせいで手元が覚束なかったのだろう、彼女の手が滑ってグラスを引っくり返してしまった。
彼女の口元からTシャツの首元、胸からお腹にかけて、中に入っていたウイスキーが溢れてかかり、その綺麗な琥珀色がTシャツの白い生地の上にあっという間に染み渡ってしまった。中身を失ったグラスが、カーペットの上にゴロンと転がる。
「わっ」
「おぉう」
なかなかないような酔い方だったので、もしやとは思っていたのだ。
俺は咄嗟に卓袱台の近くに置いたままだったタオルを手に取って、彼女のグラスから溢れ出た液体を拭い取ろうとした、のだが……。
なんだか様子が変だ。
「ふにゅうぅぅ〜……」
ユリさんが間の抜けた吐息のような声を漏らした。
彼女の身体の上に零れた液体が、あっという間にTシャツの生地に……と言うよりも彼女の身体の“内側”に吸い込まれていったように見えた。表面に滴っていたはずの水滴さえすぐに見えなくなり、ウイスキーのその特徴的な琥珀色の色合いごとTシャツの白い生地の中に埋もれて消えていく。本来、あの量の液体をこの生地の上に引っくり返したとしても、ここまで綺麗に生地の中に染み込むことはないはずだが。
それから間も無く、ユリさんの身体にも変化が現れ始める。身につけているTシャツごと身体の輪郭そのものが、自重に耐えかねたかのごとくプルプルグニャリと揺れ動き、だんだんと重力方向に潰れていくように弛んでいく。
「ふにゅうぅ……」
元々お酒の酔いで緩んでいた顔もいよいよ表情が腑抜けていく。瞼が重くなって眉尻が垂れ、血色の良い唇の形が呆けた形になったかと思うと、徐々にその顔立ち自体が粘土の表面にグラデーションだけで描かれた模様のような状態へとぼやけていってしまう。
さらに頭蓋の重さを支えるのを諦めたらしき首はTシャツの襟元から胴体の方へと埋まっていき、やがて頭部全体がいつの間にかTシャツの生地と同化し白いスライムの塊のように変質していた胴体の中へ完全に引っ込んでいって見えなくなる。曖昧模糊となったその表情の立体感が、グニャグニャとうねる白い塊の表面に時折ライフマスクのように浮かび垣間見える。
また、両腕と両脚も、まず生まれたての赤ん坊のそれのようなプクプクと柔らかい感じに膨れたかと思うと、空気の抜けた風船みたく少しずつ萎んでいく。両腕は両袖だったところからすっかり胴体に収納され、両脚も胴体だった物の質量に負けて、その底面の下敷きになった後胴体の白いスライム状に同化し均される。
そうして頭部と両腕両脚を飲み込んでしまった胴体は、元々Tシャツの襟や両袖や裾まわりだった穴も生地と同化して埋まってしまい、その見た目は完全に白いスライムのような姿となっていた。所々、なんとか体勢を持ち直さんとビクビクと震え動いているが、うまく力が入らないのだろう、重力に負けて完全にペッタンコな状態にならぬようにするだけでやっとのようだ。
最終的にユリさんの身体は、まるで浜辺に打ち上げられたクラゲのように、カーペットの上でただフルフルと震えているだけの白いスライムとなっていた。いつも見せる紙粘土のような変身形態と比べて水っぽく柔らかそうだ。
表面をよく見てみると、ユリさんの呼吸のリズムを表すように膨らんだり縮んだりしながら波打っていて、生命活動が維持されているのが分かる。ユリさんの命に別状があるという訳ではなさそうだが……。
「お、おーい……ユリさん? だ、大丈夫かい……?」
心配になって尋ねてみる。俺の言葉に対して、ユリさんはピクンピクンと反応を返す。「い、一応大丈夫……」って言いたいんだと思うが……。
これはどうしたことだろう。側から見ていた感じ、ユリさんが自分の意思でこの変化を引き起こしたという訳ではなさそうだ。
が、自分の意思に反して身体が勝手に変身し始めてしまうなんて話は本人から聞いたこともない。
突然こんな変化が起こったのには、何か理由があるはずだ。
考えながら、床に転がったグラスを拾い上げ、卓袱台の上に置き直す。
カーペットにはシミひとつ付いていない。ユリさんのTシャツと胴体が、零れたウイスキーを全て吸い取ってしまったということだ。
そこでふと、先ほどユリさんが話していた『仕事中に身体を変化させてしまわないよう我慢していた』という内容と、ウイスキーを飲みながら俺にもたれかかってきたその身体の柔らかさを思い出す。
なるほど……そういうことだったのか。
ユリさんの身体は、ウイスキーを飲みながらも“既に変化を半ば開始していた”のだ。
お風呂も晩御飯も終え、お酒を飲んでリラックスして、あとは俺とのスキンシップに洒落込む気満々だったユリさんは、仕事中にずっと我慢していた変身を開始する準備が万端だった。俺と言葉を交わしながら、早くも身体の外郭、その内側は既にいつもの粘土状態へと変質していたのだ。
しかしそれが勇み足だったのだろう、酔っ払っているのも相まって、指先にうまく力が入らずグラスを引っくり返してしまった。その結果、グラスの中身、度数の高いウイスキーが変化途中で不安定な身体へと取り込まれてしまった。
いくらお酒に強いユリさんとは言え、あの量のお酒を一気飲みしたと仮定して、全く平気でいられるとは思えない。もしかすると、本人的には経口摂取よりも、粘膜から直接アルコールが体内に入り込んできた感覚に近いかもしれない。
結果、身体の力が急速に抜けていって人間の外郭が維持できなくなり、いつもの粘土状態よりもさらに柔らかいこのスライム形態へと身体が溶けていってしまった。……ということなのだろうと思う。
急性アルコール中毒のようになっているのではないかと懸念していたが、幸いなことに、ユリさんは一時的にショックからは程なく立ち直った様子で、身体を波立たせることで『心配はいらない』という意思を俺に示そうとしている。
そして、再び人間の姿に戻るべく、白い身体をグニュグニュグチュグチュと立たせようとするのだが……。
まだ身体の自由がきかないのか、上手く人型が作れない様子だった。
変化直後よりは弾力性が戻ってきたように見えるものの、それでも手足を形作るには足りないみたいだ。それでも背丈だけは元の身長に近づけようとしている。
今のユリさんの姿は、かろうじて自立しているような、不恰好な白い紙粘土の塔みたいな形状を呈していた。
結局、手足を生やすのは諦めて、しばらくはこの姿で様子を見ることにしたようだった。
その形状をひとまず定着させたのち、その身体の頭部に当たる部分、粘土の塔の上の方にユリさんの両目と口が現れた。白い紙粘土の表面に両瞼と唇が開き、その内側に彼女の眼球と口腔や舌の色が窺えるようになる。取り急ぎ、意思疎通を図れるようにしようというのだろう。
唇自体と瞼の内側は人間の姿の時と同じように血色の良い色を示している。一方、口の周りや上瞼など、元々彼女の素肌だった箇所は、白い紙粘土と同じ色のままである。瞬きをする時にチラリと見える瞼の表面が、まるで白粉を叩いているかのように真っ白で、なんだか艶っぽい。
右目と左目をよくよく見比べてみると、左目の方が若干瞼が重たそうなのが分かる。やっぱり疲れが溜まってたんだなぁと思う。
「──プハァ。
あー、あー。ふぅ、ちゃんと声出てるよね?」
生えてきた口からユリさんの声が聞こえてきたので、俺は頷く。いつもよりややくぐもった感じに聞こえる。
「うーん……まさかこんなことになるとはねぇ。
しばらくしたら人間に戻れると思うんだけど、まだ頭と身体がボンヤリしてて、上手く身体が動かせないや。…………ごめんね?」
申し訳なさそうにしているユリさんに、俺は気にしなさんなと声をかける。
彼女が自分でどうしようもできないならば、それは仕方がないことだ。良い雰囲気が中断されてしまったのは、正直ちょっと残念だったけれども。
「ていうか、気分悪かったりしない? お水持ってこようか?」
「それは大丈夫。ありがとう。お水飲むとまた身体が薄まっちゃうから」
どうやら本当に体調の方は問題無いようで、そこは安心する。
「それにしても、お酒が急に入ったせいかなぁ。なんか変な感覚……。
頭も身体も、ずっとフワフワしてる感じがする……。
魂が身体から抜け出して、プカプカーってどっかに飛んでって、いなくなっちゃいそうなくらい」
「えぇ……流石にそれは勘弁してよぉ」
不穏なことを言い出すユリさんに狼狽えてしまう。なんだかいつも以上に、頭に浮かんだことをそっくりそのまま口にしているような、そんな感じがある。
「ごめんごめん。前にもこんな感じになったことが何回かあるんだよね。
いなくなっちゃうっていうのは言い過ぎだったけれど……。
でも、ショックで魂と身体との間に少しズレが出てるのかなぁ。
頭がボンヤリして、人間の時の姿がすぐにパッと思い出せないんだよねぇ。
あれ、私って本当に人間だったんだっけ? もしかしてただの粘土人形だったのかも? ……とか考えちゃったり」
「いやいやいや……間違いなくユリさんは人間だって。俺が保証するから。
おーい、しっかりしてくれよぉ」
「あははは……ごめんごめん。大丈夫、一時的なものだから、一晩経ったら身体も気分も元に戻るはずだよ」
おっかなびっくりな俺に対して、大したことでもないように彼女は言う。
変身能力と長年の付き合いであるユリさんにとっては『こういう時もあるさ』というような感覚なのかもしれないが、俺からすると随分恐ろしいことのように聞こえる。
やっぱり、疲れが溜まっていたことも影響しているんじゃないだろうか。それならば、もっと俺からも彼女のことを気にかけておくべきだっただろうか。
「今、俺に何かできることはない? 何でも言ってよ」
自然とそんな言葉が口を突いていた。能力に関するところで俺の介入できる部分はほとんどないのだと分かってはいるが、それでもただ時間が経つのを待つだけでいるのはなんだか心苦しい。
「うーん、できることかぁ……」
ユリさんは少し考える間を見せる。
「……そうだ。それなら、昭一君に一つお願いしたいんだけどさ」
「うん、なになに?」
彼女の声に耳を傾ける。
「……私の身体をさ、ギューってしてほしいんだけど」
「ギューッと……?」
身体を抱き締めてほしいということだろうか。
そうすれば、身体が元に戻るのが早まったり、とか?
そういうことなら、喜んでやらせてもらおう。
早速俺は、中腰になって、ユリさんの白い身体に両腕を回し、言われた通りギュッと抱きつく。……見た目の印象通り、いつもより柔らかい感触だ。粘土とスライムの中間ぐらいというか、ビーズクッションを抱いているような感じ。
「…………こんな感じ?」
「もっと強く」
「……これくらい?」
「もっと、もっと強く」
「もっと?」
言われるままに両腕に力を込めて、ユリさんの柔らかい塊となった身体を正面から力一杯抱きしめていく。痛くないのだろうかという俺の心配をよそに、力を加えれば加えるほど俺の腕はグニュグニュとユリさんの身体に沈み込んでいく。腕だけでなく、顔や鎖骨、胸板の辺りなど、彼女の身体と密着している面積はどんどん大きくなる。ユリさんの身体が、押し付けられた俺の身体の形に合わせて凹んでいってるのが分かる。互いの体温が混ざり合って、あったかい。
……ある程度沈んでいった先、ユリさんの身体の真ん中辺りに、硬くて丸い、“芯”のようなものがあるのが分かった。
これは、ユリさんのコアだ。
ドクンドクンと、規則正しく鼓動を打っている。そのリズムが、俺にも伝わってくる。
ちゃんとユリさんはここに生きている。それが実感できるので、その鼓動を感じているととても安心する。
そうして何十秒か、もしかしたら何分間かユリさんの身体を強く抱き締めていた。
「……こんなもんでどうでしょ?」
彼女の要求に従ってかなり強い力を加え続けていたので、だんだん肩や腕の筋肉が疲れてきた。一定時間経過して、俺の方も一旦休憩したくなってきたので、両腕の力を抜いて抱きついていた身体を離す。
ユリさんの身体を見遣ると、一晩横になった低反発マットレスから起き上がると人間の形に凹んだままになっているのと同じような感じで、俺が力一杯抱きついた跡がそっくりそのまま残っている。自分の顔や腕の形がよく分かり、なんだか気恥ずかしい。
まるで巨大な手に握りつぶされた粘土の塊のような、今の彼女はそういう形をしている。
「あー……。ありがとう、すごく気持ち良かった。
せっかくだから、今夜は一晩中、この形のままボーッとしとこう……」
「一晩中?」
満足げな声音のユリさんに対し、俺は首を捻る。
こういう風にすれば身体が元に戻る時間が短縮される、という意図で頼んできたわけではないのだろうか?
「……元の身体に戻るまで、この状態で一晩中、ただただ身動きせずにじっとしてるのも退屈だからねぇ。
こうして昭一君の身体の形を覚えたまま過ごせば、寂しくないかなーと思って」
「なんだそりゃ」
どうしてユリさんはギューッとしてほしかったのか、その真意を聞いて俺は思わず脱力してしまう。
結局のところ、今の状態から元の人間の姿に戻るにはじっと一晩待つ以外になく、その時間を短縮する方法は今のところ見つかっていないようだった。
身動きできないまま一晩ただじっとしていても手持ち無沙汰で、かと言って俺をずっと釘付け状態にするのも心苦しい。それなら代わりに俺の体の形だけでも身体に刻みつけて、そのシルエットを感じながら一人で過ごしていよう。そういうつもりでお願いしたのだと、彼女は告白した。
「……本当のこと言うと、仕事中変身しちゃわないように我慢しながら、早く帰って昭一君に変化した身体をムニムニ触ってもらいたいなぁって思ってたんだよねぇ」
ユリさんって、いきなり大胆な行動を取って俺を驚かせることが多い一方で、こんな風に急にしおらしくなったりするんだよな……。
素直に『寂しいから一緒にいて』とか『ずっと触っててほしい』とか言ってくれれば、そうするのに。
結局のところ、最近ユリさんの中で何が一番溜まっていたのかと言えば、それは俺とゆっくり触れ合う時間がなかなか取れなかったことへのフラストレーションであったようだ。
そんな単純なことにも気づかなかった自分が、なんだか恥ずかしい。
「別に遠慮しなくても、俺の身体なんかで良ければ、一晩中ずっと貸しといてあげるよほら。
なんか今のユリさん、抱き枕に丁度いいし。最近夜寒くなってきたから、お互いあったかくしておくに越したことないし」
「うふふ……ありがと」
布団に寝転がりながら、俺の身体の形に凹んだままだったユリさんの身体に、今度はそっと優しく自分の体を添える。
さっきみたく彼女の身体を思いっきりムギュッとしたくなるような時も、正直なくはないけれど。
でもどっちかと言うと、こんな風に互いをゆっくり確かめ合っているような感じの方が、好きかな。
こうした方が疲れないし、お互いの息遣いもよく分かる。
うん、力任せに身体を沈み込ませなくても、ユリさんのコアの鼓動が、ちゃんと俺の胸に届く。




