Extra 5.安息の局
「ううぅ…………」
たっぷりと時間をかけてシャワーを終え、ユリさんがのそのそと脱衣場から出てきた。いつもより猫背気味で、腰に手を添えつつ辛々這い出るように歩いている。まだ暑さの名残りで薄着でも過ごしやすいのが幸いで、裸の上から部屋着としてよく着ているダボっとした大きめの無地の白Tシャツ一枚だけを纏っているような姿だ。下には実際には下着を身につけているのかもしれないけれども、そのTシャツは彼女の体格と比べても割りと大きめなサイズで首元から腰まわり、お尻の辺りぐらいまですっぽりと包み込んでいるので傍から見てるだけでは分からない。シャワーを浴びたばかりの身体から昇る蒸気と、身体の痛みからくる脂汗によって、ほんのり湿度を含んだTシャツはユリさんのその小柄でふっくら肉付きの良い身体にしっとり貼りつくような趣で、その生地越しにうっすら浮かぶお胸やお尻の丸みは引きずるような歩き方とも相まっていつもよりも重心が低く難儀そうに見える。……もしかしたら、着替えるのもしんどすぎて下着はつけていないのかも。
「ゆ、ユリさん、大丈夫そう……?」
「だ、大丈夫じゃないかも……」
いかにも辛そうな声色で返事をしつつ、不時着する飛行機みたく、あまり腰を落とさずにソファへボフッとうつ伏せに着地し寝転がる。ふぅ……と一息つくように、ユリさんの身体の柔らかみが柔らかいソファの形に沿ってスライムみたいにフニョンと潰れる。
帰宅時に聞いたところでは、どうやら今日の仕事中に無理をしてしまい少し腰を痛めたようだった。
この部屋に同居するようになってから、ユリさんは一度ギックリ腰みたいになって寝込んだことがあった。今回はその時よりはまだマシな様子ではあるものの、これ以上悪化しないように、今日はもうずっと横になっているしかあるまい。彼女が遠慮なく安静にしていられるよう、溜まっている家事は俺の方で引き取る。
「どう? ご飯は食べれそう?」
「私は大丈夫……職場の休憩中に食べてきたから……」
ソファの上でのうつ伏せから、着地の衝撃が響かないようゆっくりと、クッションのへりからカーペットの床へと斜面を滑るみたいに転がり落ちる。仰向けになった胸の肉が、各々くたびれたように脇腹の方へ流れる。白Tシャツの裾が丈の短いワンピースのスカートみたいに、内股気味に悩ましげに畳んだ太ももの付け根を危うく隠し通している。
「あのー、昭一君、大変申し上げづらいんですが……この間教えた“アレ”をやるために、手を貸して欲しいんですが……」
グデンと傾げた顔に苦笑いを浮かべて、ユリさんが寝転んだまま俺にある頼みを持ちかけてくる。
「……あー、なるほど。動けなくなった時用の“アレ”のことだよね?
オッケー、やったろうじゃないの。横になって何もできないのも退屈でしょ」
「えへへ、お手数おかけします……」
申し訳なさそうに言いつつ、ユリさんは身体のすぐ横のカーペットの床の上に俺が手早くスタンバイした一畳ほどある作業用ベニヤ板の上へとゴロンと寝返りを打って乗っかる。
家事に取り掛かる前に、一仕事終えてしまおうではありませんか。
俺はしっかり手洗いうがいをした上で、ワイシャツを腕まくりする。
「よっし、こっちは準備万端だよー」
「あ、はい、じゃあお願いしまーす……」
ベニヤ板の上でうつ伏せになったユリさんの口元からボソッと返事が返ってくる。脇腹の両サイドに、白いTシャツの生地越しに平べったく潰れた胸の丸みがはみ出て、柔らかいお餅みたいに見える。
さて、これから何が始まるかというと、ユリさんが能力を発現させて粘土みたいになった身体を変形させていくのを、俺が捏ねたり練ったりしてやって補助してやるのである。
──説明が遅れたが、昔からユリさんの身体にはある不思議な能力が宿っている。
──何を言ってるんだと思われるかもしれないが、彼女は人間以外の姿への変身能力を持っているのだ。正確に言うと、身につけているものと同化して媒介にしつつ、流動的な形態になった身体を変形させて、人型とは全く違う姿形へと変身することができる。
今この瞬間、すでにユリさんの身体にはある変化が起こっている。単にベニヤ板の上に寝転がっているだけに見えるかもしれないが、その肉体はその大部分を包み込む白いTシャツの生地と同化し、粘土のように柔らかく、流動的な状態になっている。
そして実はちょっとずつ、その身体はグニュッグニュッ……と胴体の方へと、縮んでいっているのだ。
その柔らかい粘土みたいになった身体を、俺は陶芸における下拵えの工程みたいにこねほぐしていくことで、彼女の変身の過程を手助けしていく。
まずは両腕で彼女の両腕や両脚を練っていくと、俺の体重がかかったところから俺の手の跡を残してペシャンコになっていく。フニフニと柔らかい二の腕や太ももが、平べったい形に面積を広げていく。
「ふんぬっ、ふんぬっ」
「んっ、あっ……ふぅ」
変身能力が発動して姿形が変わっていくにつれ、同時に彼女の感覚自体も変化していく。両腕両脚が完全にペラペラな平面状になったこの様子を何も事情を知らない人が見たらギョッとするに違いないが、今のユリさんにとっては凝った筋肉を揉みほぐしてもらっている感覚に近いようで、だんだんとリラックスしてきて、少し気の抜けたような吐息を漏らしている。
俺が手足を押し潰しているうちに、ユリさんの身体の方でも受け入れる準備ができたようで、彼女の白い胴体は発酵が進んだパン生地みたいにふっくら柔らかく膨れてきたのが分かる。
それを横目で確かめつつ、今度は俺の指紋や手相の模様がベタベタついてペシャンコになった腕と脚をそれぞれ消火栓に繋ぐ消防車のホースみたく、グルグル巻きに畳んでいく。そして丸め込まれた巻尺みたいな見た目になったそれらの一個一個の塊を、白い塊化した胴体の中へとグイッと押し込んで収納してしまう。腕は袖口へ、脚は腰まわりを包んでいる裾の中へ。脚を畳んで収める時に、彼女がTシャツと同じ白色のショーツを身に付けていたことが分かった。
「あぅ、ふぅ……」
なるべく腰に響かないように優しく押し込んだつもりだったが、塊が身体に入ってくるたびにユリさんは悩ましそうに吐息を漏らす。
押し込まれた腕や脚を内側へ飲み込んでいくたびに、胴体は水を注ぎ込まれた袋みたいにより丸っこく膨らんでいって、だんだんと白い表面がモッツァレラチーズの瑞々しさを思わせるような感じでパンパンに張っていく。
「ふにゅっ、ふにゅう……」
俺が腕や脚を胴体に収める作業をしているのと同時並行で、ユリさんは自分の首をズプッ、ズプッ……と白Tシャツの襟の穴の中、胴体の内側へと埋めていく。まるでそのTシャツそのものが大蛇になったみたいに、そのTシャツの襟まわりが大蛇の口になったみたいに。ユリさんの首、そして頭部までもが、ズプッ……グチュッ……と蛇の体内に飲み込まれていっているかのようだった。実際はユリさんが自らの意思で頭部を飲み込んでいっているのだが。そうしてどんどん頭まで埋まっていって、やがてTシャツの襟穴に彼女の弛緩した表情だけが顔を覗かせているような姿を経過したかと思うと、その顔も胴体の奥底へとグググッ……と沈み込んでいって、彼女の素肌は白Tシャツの内側に全て埋まって見えなくなってしまう。
いつの間にか、腕や脚を飲み込んだ袖口や裾の方は、元から穴など開いていなかったかのように埋まってしまっていた。一続きの、まるで白い粘土の一塊みたいな様相に落ち着いている。
今のこの状況を俯瞰してみる。
ベニヤ板の上には、大きめサイズの白Tシャツ一枚を着せられたトルソーを思わせるような見た目の、元々のユリさんの肩まわりやバスト、お腹まわりや腰まわりまでの体型が浮かんだ真っ白い粘土の塊みたいなものがうつ伏せでゴロンと転がっている。
それはユリさんの身体が白Tシャツやショーツの生地を巻き込んで変化した姿であり、腕や脚や頭部を内側に飲み込んでいることでいつもの肉付きの良い体型よりもさらに輪をかけて丸っこく膨れていて、発酵が進んだモッツァレラチーズみたいに表面にハリがある。
身体が変化するくすぐったさにベニヤ板の上でプルプルと震えているが、腰の痛みに耐え忍んでいるという感じではない。
袖口や裾は埋まってしまっているので、その白い一塊の表面を見回すと、元々はユリさんの首が覗いていたTシャツの丸い襟口だったものだけが唯一の穴として開いている。
このように出来上がったトルソーみたいな形の真っ白い塊を、うつ伏せの状態から垂直方向に抱き起こし、Tシャツの裾まわり(=彼女の腰まわり)だったところを底面にして、ベニヤ板の上に直立させてやった。
こうして立たせてみると、Tシャツの襟の穴だったものが天井に向かってポッカリと大口を開けるように開いている。そこから覗くと、いつの間にか変化が進んだことでユリさんの胴体の中身はすっかり空洞になっていて、暗がりになっている内部一面はTシャツと同じ白色の粘土生地で覆われているのだった。
襟の穴から両肩の方へとまっすぐな線がうっすら浮かんでいて、これは元々Tシャツの縫い目だったものなのだが、今や完全にTシャツの生地とユリさんの身体とが同化して一塊となっている以上、単なる模様として残っているに過ぎない。
まるでユリさんの身体は、彼女の上半身をかたどったずんぐりとした真っ白い壺へと変身を遂げたような姿になっていた。実際、元々はユリさんの上半身だったものなので、体格そのものは勿論のこと、彼女の胸の膨らみや、お腹まわりにのった柔肌の立体感、どっしりとした骨盤周りの厚み、それらに圧し挟まれて笑窪のように寄ったくびれの皺など、彼女の身体の凸凹の質感が白い粘土質越しに表面に浮かび上がっているのだった。
そして、その表面は、能力によるものだろうか、気がつくと空気乾燥が急速に進んでいて、今や柔らかさと言うよりは一端の土器を思わせるような硬さすら浮かびつつある。
実際に窯で焼き上げたわけではないので厳密には本物の土器とは言えないのかもしれないが、彼女の元々の身体の丸みに加えて腕や脚や頭部を飲み込んで膨れてシルエットがより丸くなっている分、壺としても立派に貫禄のある形をしているように見える。
そんな丸っこい壺と化した胴体を、Tシャツの裾がワンピースのスカートみたいに包み込んでいた腰まわりの太さが土台としてどっしりと支えていて、非常に安定感がある状態でベニヤ板の上に佇んでいるのだった。
──さて、ここまででユリさんの身体の変化自体は完了したのだが、本題はここからである。
俺は、戸棚に保管していたパッケージから市販品のお灸を取り出して、そのもぐさに火をつけ、すっかり空洞化したユリさんの体内──真っ白い壺の中の底面の真ん中あたりに貼り付けた。
住環境の移り変わりなどにより、現在市販されているお灸のうち主流となっているのは、火を使わずに済むタイプのお灸だったり、火を使ってもあまり煙が出ないタイプのお灸だったりする。
しかし、今俺が取り出したこのお灸は、そのどちらでもない。火をつけると遠慮なく煙が出てくるタイプである。
本来、俺たちが住んでいるこのマンションなどではあまり歓迎されない品物なのだが、わざわざこれを用意したのには理由があって、それはまもなく分かる。
お灸から伝わってくる熱で、壺そのものがじんわりと温かくなってくる。
同時、壺の空洞の中には、もうもうと煙が立ち込め始める。
……というか、いくら煙が出るタイプのお灸だとは言っても、通常ではどう考えてもあり得ないような勢いで、白い壺の中が白い煙で満たされていく。
しかも、本来はひとりでに大気中に霧散して見えなくなっていくはずの一条の煙は、散っていくどころかまるで自ら意思を持っているかのように絡まり合い、だんだんと真っ白い一塊を壺の中で形成していく。
そうして、とうとう壺の中が完全に白い煙で一杯になって、いよいよ収まり切らずに壺の外へ溢れ出そうになった瞬間──。
──ボフンッ!!!
何かが破裂したような音が鳴り響いたかと思うと、天井に向かって開いた壺の口、臨界点を超えて密集した煙の中から、白い何かが真上に飛び出てきた。
「ふしゅううううぅ…………♡」
真っ白い煙の塊のように思われたそれは、部屋の天井近くの空中を、水を得た魚のように、自由を満喫するかのごとく飛び回り始めたかと思うと、徐々に凝集していき、ある姿を形成していくのだった。
その姿とは、言うまでもなく、ユリさんそのひとであった。
元の彼女の胴体、今は壺と化しているそれと同じ大きさの煙の塊が、彼女の裸体の上半身の姿形をなして立体的に浮かび上がっていく。
その見た目は、煙という流動的に揺れ動く物性に合わせて、いつもの容姿よりも若干戯画的にデフォルメされているのだが、パッと見だと普段の彼女の姿形に瓜二つだ。
パッチリとした二重瞼とふっくらとした唇が特徴的な西洋風の顔立ち、恰幅の良い胴に比べてこじんまりとした小顔の輪郭、セミショートの髪型、胸の膨らみやお腹まわりの肉感、デコルテに浮かぶ鎖骨辺りの骨張った感じ、肩の丸っこさや二の腕の柔らかさ、繊細な指先まで、いつもの彼女の身体の特徴がうまいこと再現されている。
唯一、鼠蹊部のVラインの線が浮かんだ腰まわりだけはいつものユリさんよりも太く、ずんぐりむっくりとしている。これは太ももから先、脚の代わりに細くたなびく煙の尻尾が伸びて、壺の中のもぐさまで繋がっているため、もしかしたら脚の分まで代わりに太くなることで全身のバランスを取っているのかもしれない。本来は二本に分かれているはずの両脚はひとまとまりの煙の束みたいになって、壺の口まで繋がる尻尾との合間でフワフワと揺れ動いていて、まるで漫画などで描かれる幽霊やランプの精みたいだ。
「わーい! 身体が軽くて、らくー!
昭一君ありがとね!」
実に快適そうな様子で、煙の身体を得た彼女は空中を自在に泳ぎ回る。
その白い尻尾は、彼女が四方八方へ飛んでいくたびに、オタマジャクシが水の中を泳ぐときみたいにピョコピョコピョコと左右にくねるような動きを見せている。
この真っ白い煙で出来た身体というのは、ユリさんの精神そのものが、壺化した肉体からお灸の煙を媒介として幽体離脱よろしく外界に実体化したものである。
あくまで物質的な特性としては煙そのものでしかないため、物を持ったり触れたりといった外界への干渉を行うことはできないのだが、こうして動き回ったり見聞きしてコミュニケーションを取ったりすることは可能なので、ずっと横になって身動きできない状態よりは気分的に随分マシだと思う。
感覚を壺の胴体から煙の方へ半分割していることで腰の痛みの辛さも軽減されるようだし、こうして気を紛らわしているうちにもお灸の効能が壺化した肉体にしっかり届いてくれているので一石二鳥なのだ。
この姿に変身したユリさんにはテレビか何かを見ながらでもゆっくり休んでもらって、その間に俺が家事を片付けてしまおうという作戦である。
これでようやく家事に手をつけられる!
俺は洗濯機を回し始めてから、居間とひとつながりになっている台所の方で梅干しとじゃこの焼き飯を作り始める。今日の晩飯兼明日の弁当用にするのだ。梅干しとちりめんじゃこ自体に塩気や旨味があるので、塩分を追加しなくても美味しいし健康的なレシピである。
居間の方ではユリさんが壺に繋がった身体を宙に浮かべたまま、テレビでサブスクのドラマを見ている。俺が代わりにリモコンを操作して再生してあげている。『宅建士たち』というドラマシリーズで、最近巷で流行っているらしい。それ本当に面白いの……?
そんな調子で各々過ごしていたわけだが…………どうもユリさんの方に視線が引き寄せられてしまう……。
焦げないようにゆっくり焼き飯を混ぜて炒めている横目、ユリさんの後ろ姿の腰つき……いつもよりずんぐりむっくりしたお尻と、そこから壺へと伸びる白い尻尾がクネクネと揺れている様子がチラチラと視界に入ってくる。
なんだか見ていて悩ましい気分になるな…………?
程なく出来上がった焼き飯を、晩飯で食べる分は皿につぎ分けて、残りは冷水で濡らした布巾の上にフライパンごと乗せて粗熱を取る。充分に冷めたら弁当箱に詰めて、冷蔵庫に寝かせるのだ。
そうしてフライパンを布巾に押し付けながらも、目はユリさんの後ろ姿にすっかり釘付けになる。
…………よくよく考えたら、ユリさんのあの姿って、真っ白一色でかつデフォルメされてるからパッと見だと気にならないだけで、普通に素っ裸なんだよなぁ…………。
ウーン…………。
俺はそんなふうに内心煩悶しつつ、数秒間、割りと露骨にユリさんの方をガン見していたのでありました。
ドラマに夢中になっている様子だったので、黙って見てるだけならバレないと思ってたんですけどねぇ……。
身体が煙化していることで、もしかしたら呼吸の変化みたいな空気の流れの変化に勘が鋭くなっているのかもしれない。
ジト目でこちらを振り向いてきて、バッチリと互いの目が合ってしまう。
ギクッ…………!
「あのー……昭一君? もしかして……私のこの姿に、興奮など覚えてらっしゃいます?」
「…………!!」
単刀直入に質問を投げられて、俺はドキッとしてしまう。
そ、そうか……俺、この姿のユリさんにさえ、グッときているらしい……。だんだんと後から自覚が追いついてきたような感覚だった。
「えーと、まぁ……そうなりますかね。この瞬間、部分的にと言いますか、はい…………」
狼狽しているのを隠したくてボソボソと答えた結果、なんか、対局直後の将棋のプロ棋士の感想戦みたいな独特な言い方になってしまった。
「ふーん……? そうなんだ?」
当のユリさんは、苦笑い半分、満更でもなさそうな態度半分といった表情をしている。
「そっかぁ。昭一君って、私のこんな姿にもムラムラしちゃうんだ?
やっぱり、私に負けず劣らずのヘンタイさんなんだね?」
ユリさんがニヤニヤとした笑みを浮かべながらからかってきたものだから、俺はなんだか頬が熱くなってきた。
大体いつもは、ユリさんが変なことをしているところを俺が目撃してそこに“乗っかってあげる”という場合がほとんどなので、こうしてユリさんに俺が上を取られるというパターンは珍しかったりする。
今更振り返ってみると、ユリさんの言う通り、俺も大概ヘンタイなんだろうな……。そういう意味では、しょっちゅう変態しているユリさんとは破れ鍋に綴じ蓋なのかもしれん……。
「うーん、でも悪いけど、今日ばかりは本当にゆっくり休まないといけないからなー? 変なこととかしてきちゃダメだよ?
尻尾で繋がってるせいで、私ここから逃げられないんだからね?」
言葉とは裏腹に、その顔はなにやら挑発的な、蠱惑的な色を浮かべてニンマリと微笑んでいる。俺に対して珍しくマウントを取れていることが大層愉快であるらしい。
大きさと丸みが誇張された胸や腰つきをくねらせて、くびれの皺を見せつけるように、身体を傾げて煙の尾を波打たせて見せる。
うーん、ズルい……。
「えーと、はい。善処します……」
「本当かなー? 襲われないように警戒しとかなきゃ」
そんなふうに、弱いところをくすぐられるような会話をユリさんとしていた時だった。
居間と台所の境目あたりの壁に据え付けられたインターホンがピロリロと鳴り出した。
ユリさんに目配せして、通話ボタンを押して画面を覗くと、呼び出し主は宅配業者の配達員だった。
ユリさんに手を貸しているうちにすっかり忘れていたのだが、そういえばそろそろECサイトで取り寄せた新しい椅子が届く頃だった。場所を取ってしまうのもあり、さすがに置き配というわけにはいかなかった品である。
親切に玄関前まで運んでくれた配達員に礼を言って、椅子の部品が入った段ボール箱を家の中に運び込む。
ここに至って、自分の部屋にはまだ前の椅子が残っているせいでこの大きな段ボール箱を広げられるだけの充分なスペースがないことに気づく。
どうしようかな、と少し考える。前の椅子を居間の方に一度退避させたうえで、それから自分の部屋にこの段ボール箱を入れるしかなさそうだ。
ユリさんに断りを入れようと居間に戻ると、室内に煙化したユリさんの姿は見当たらず、白い壺と化した肉体の器だけが、床のド真ん中に敷かれたベニヤ板の上にいかにも『単なる物品です』といった風情でポツンと鎮座していた。
……かと思いきや、天井に向かって開いた壺の口の中から、煙化したユリさんが顔の上半分をヒョコっと覗かせた。壺の縁に指をかけて、目のあたりまでを外に出してキョロキョロと部屋の中を見回し、家の中に入ってきたのが俺一人だけだというのを確かめると、ホッとした様子で煙の全身を再び壺の中から引っ張り出す。
配達員が部屋の中まで荷物を運んでくるかもしれないと思って、壺の中に隠れていたのだ。
「ユリさん、ちょっとお願いがあるんだけど、今俺の部屋にある椅子をこっちにしばらく置かせてほしいんだよね。そのためには、一旦ユリさんの壺を隅の方にどかさないといけないんだけど……」
「……あぁ、なるほど、そういうことね」
俺の頼みを聞きながら、そういえば自分の肉体そのものは居間のド真ん中にどっかり座り込んだこの壺なんだったということを今更思い出した様子で、なんでもないことのようにユリさんは了承した。
使っていないバスタオルを二つ折りにして居間の隅の床に敷いておく。この上にユリさんの壺を乗せるのだ。
しかし、いざ移動させようと、俺がユリさんの壺に手をかけた時だった──。
「あっ…………」
煙化しているユリさんの口元から、吐息のような声が聞こえた。
思わず、持ち上げる前に壺から手を離す。
気をつけたつもりが、デリケートな箇所に触れてしまったのかもしれない。そう思って、ユリさんの煙化した顔の方へ振り返る。
「ごめん、どっか変なところ触っちゃってた?」
「いや……? ううん、なんでもない。気のせいだと思う……」
彼女はと言うと、今の感じはなんだったんだろう?といった様子で、パチパチと瞬きを繰り返している。
本人が気のせいと言うのなら良いんだが……。
気を取り直し、壺を両腕で持ち上げようとする。
元々のユリさんの体型の、特に胸や腰の丸っこいところが強調されたような形をしているので、それらの箇所に一切手が触れないようにしつつ抱えるのは難しい。
そもそも、この壺は元のユリさんの体重分とほとんど変わらない質量があるため、人ひとり分の重さがあるという意味で、普通に重い。重いんだけれども……『重すぎて運ぶのに苦戦している』などと言葉にするわけにはいかないという、そういう難しさがある……。
そんなこんなで、壺の口のところを左手で掴み、底面に右手を添え、丸い側面を股関節辺りに押し当てて壺全体の重心を支えつつ、自分の腰に負荷がかからないように上体を若干反らしてその上に壺を乗せるような体制を取り、屈めていた両膝を少しずつ上げて、ひとまず持ち上げてみる。
…………結構しんどいな。俺まで腰を壊してしまいそうで怖い。
ゆっくりと慎重に、時々重心がずり落ちそうになるのを腰で壺を突き上げるように位置を調整し直してバランスを整えながら、ジリジリと部屋の隅へと運んでいく。
ずっと力を入れているので、ジワっと脂汗が滲んでくる。
言わずもがな、俺は別にふざけているわけではなく、ましてや邪な気持ちでユリさんの壺を運んでいるわけではない。
それはユリさんも心得ているはずだが……。
「ふあっ……んっ……? ふっ、くっ…………?」
バランスを整えようと股関節に乗せた壺を突き上げるように持ち直したり、摺り足気味に一歩ずつ足を進めたりして壺自体が揺れるたびに、俺の背後……壺に尻尾が繋がっているユリさんの煙の身体の方から、なんとも悩ましそうな、嘆息みたいな掠れた声が手で押さえている口元から漏れ聞こえてくる。
彼女の方でもなんでこんな感覚になっているのか分からない、といった感じの声音である。
中途半端なところで壺を下ろすわけにはいかない。
持ち上げた体勢のまま、頭の中だけで『もしかしたら』と考える。
こういった、精神が肉体から離れて実体化するような変身形態は、今日みたいに手間がかかることから、ユリさん自身もそこまで経験があるわけではない。
だから『どこを触られたらどういう感覚が伝わってくるのか』という予測が立ちづらいのかもしれない。
それに、今のユリさんは、壺化した肉体と煙化した精神のどちらにも感覚が残っている。煙の方ではなんということはないように思えても、実は壺の方では弱いところをまさぐられているような状況で、その結果わけの分からないまま身体が煩悶の反応を示してしまっているのかも……。
「えーと、ユリさん? 運ぶのに邪魔になっちゃうかもしれないから、ちょっと壺の中で待ってもらっててもいい?」
絶え絶えに吐息を漏らしているユリさんに、俺はそう提案する。
「はぁ……ふぅ……。あ、うん、そうする…………」
煙の身体は物理的に干渉しないので実際には運ぶのに邪魔になることはないのだが、ユリさんは俺が言わんとするところを承知して、すごすごと壺の中に収まっていった。
たかが部屋の真ん中から隅へと壺を移動させるだけで、ここまで苦戦するとは……。
ユリさんの全身が壺の中に収まって見えなくなったことを確認して、さっさと運びきってしまおうとペースを早める。
壺を支えている俺の両手や下腹部や股関節越しに、壺が終始カタカタコトコトと震えているのが伝わってくる。壺の口の方からは「あっ……はあっ……? んあっ、あっ…………?」という、依然事態が飲み込めないらしいユリさんの、よがるようなくぐもった息遣いがこぼれ出てくる。
正直、聞いているこっちも変な気分になってしまいそうだったが、ここで気を散らすわけにはいかない……。
そしてどうにかこうにか、バスタオルを敷いた部屋の隅に壺を下ろすことができた。
俺が手を離した後も、壺は余韻に浸っているかのように、まだフルフルと震えている様子である。
「よっこらせっ、と…………。ふぅ。ユリさん、運び終わったよー……?」
恐る恐る、壺の中の空洞へと声をかける。
なんか、深淵を覗き込むような気分である。
「ふあ…………はぁーい………………♡」
すっかり気の抜けたような声音で、くぐもったユリさんの返事が響いてきた。
程なく、ユリさんの煙の身体が、再び外界に姿を現した。のだが……。
一瞬、俺の眼前、壺の口からムワッ……と、生温かく重ったるい湿り気を帯びた熱気のようなものがミルクのような甘い匂いを伴って立ち昇って膨らんだかと思うと、それがユリさんだった。
気体状なのは先ほどまでと同じなのだが、その見た目は、煙というよりはむしろ水蒸気のような様相を呈している。壺の中に留まっているうち、どういうわけか水分がどんどん溜まっていった結果、このような姿になってしまったらしい。
熱を帯びて体積が膨張していこうとする作用が強いのだろう、先ほどまでよりも全身がボテッとしたシルエットになっていて、胸やお腹やお尻のところが風船みたいにパッツパツに張っていて、はちきれんばかりである。
眉尻の下がった悩ましそうな表情を浮かべている顔も、頬のところなどがパンパンに張っていて「フーッ……フーッ……」と息遣いが荒い。そしてよく見ると、瞳の形がハートマークに変形している。
胸とお腹に圧されて、元はと言えば笑窪みたいな皺を寄らせていたくびれのところも、すっかりムチっと押しつぶされて鏡餅のような綺麗な二段腹を形作っていた。
全身が湿り気をたっぷり含んでしまっているせいで、胸にしてもお腹にしてもお尻にしても、いつもよりも垂れたように重心が低い感じがする。その見るからに重そうな胸を、赤ちゃんみたいにふっくら張ったような両腕でかき抱いて支えている。
そのいよいよ丸っこさを増した身体の表面を、ところどころ結露した蒸気が分泌されたての粘液みたいにしっとりぬらぬらと潤していて、それらの滴が肉の厚みでより線の色濃くなった鼠蹊部のラインをツーっ……と滑り下りると、尻尾を伝ってポタポタと流れ落ち、やがて壺の底に少しずつ甘やかな水溜りを作ろうとしているかのようだった。
なんというか、ここまでものすごいことになっているユリさんは、俺も久しぶりに見た。
まさか元の姿に戻れないなんてことはないだろうが……今問題なのはおそらくそういうことではない。
呼吸を整えようと「はうぅ……ふうっ……」と息をつく切れ間にも、悶えるような声音の余韻が尾を引いて、この部屋の空間で反響しているかのようだった。絶え絶えなその息は青色吐息……と言うよりも桃色吐息といった方がふさわしいか。
ほとんど分かりきったことを確かめるような心持ちで、俺はユリさんにお伺いを立てる。
「ゆ、ユリさん…………大丈夫そう……?」
「だ、大丈夫じゃ、ない、かも…………♡」
というわけで、結局その日は一晩中、ユリさんが“大丈夫”になるまでじっくりしっぽりお付き合いすることになりましたとさ。




