表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
つきが世界を照らすまで  作者: kiri
落葉の先、黒き猫を追いかけるの事
64/72

玖―続

 ちょっと確認したいだけなんだから大人しくいてほしいのに。


「秋元さん!?」

「商用で近くに参りましたので寄らせていただきました。ずいぶん賑やかですね」

「申し訳ありません、文展に出す絵を描いている途中でして」


 今回どんなものを出すのか見に来られたのかな。

 正直この程度の小品(しょうひん)じゃ鼻も引っかけないかもしれない。


「描いているのは猫の絵なんですよ。屏風絵が納得いかなくて。まあ、出品しないよりは出したいと思って描いているんですが……」

「どうも、寺内です。春草先生いらっしゃいますか」


 千客万来(せんきゃくばんらい)だ。


「銀次郎さん、今日はなんです」

「五日のうちに仕上げるからって言ったのは春草先生でしょう。急ぎだと思ったから先に絵を見せてもらって裂地(きれじ)を選んでおこうと思ったんです。まあ、仕事のついでなんで……」


 ああ、そうだった。

 それにしても二人ともついでで家に寄るのか。気軽に寄ってくれるのは嬉しいけれど、なにも今日じゃなくていいのに。


「五日!? ああ、失礼。五日で仕上げると言われましたか」


 銀次郎さんの言葉に秋元さんが反応した。この先生は早描きだから、と銀次郎さんはからから笑う。

 そういえば初見(しょけん)だったか。僕は秋元さんと銀次郎さんに互いを紹介する。


 そうして描きかけでよければ、と画室に案内した。ちょうど表を描いていてよかった。

 絵の前で二人ともが腕を組んで唸る。


 幅一尺六寸の絵絹の左下から、ごつごつとした幹が斜めに登る。柏の枝葉はまた戻ってきて絵の半分ほどを埋めていく。

 葉は金泥(きんでい)で輪郭を取り、緑青(ろくしょう)のぼかしでまだ染まりかけの葉の色を出す。重なり合う葉は正面を向けて。平面的な同じ意匠を繰り返すのは光琳風の技法だ。


 猫の毛並みは何度も丁寧に暈しを重ねて濃淡を表す。墨に胡粉を混ぜて塗ると不透明で質感のある黒になる。ぺたりとした墨がふわりとした猫の毛並みに近づいていく。

 これは没線描法による写実表現、というところだな。


「菱田さん、これ買い手はついていますか」


 秋元さんが唸ったまま言う。


「いいえ」

「私が買います。誰にも売らないで下さい」


 小品だし買い手がつくとは思えなかったから、本当にいいのかと秋元さんに聞いた。


「むしろ、なんで売れないと思うんです。これは評判になりますよ」

「そうなんですね。なら、俺もきっちり仕事させてもらいます。絵の邪魔をしないように見せる軸装(じくそう)をしますよ」


 力強く言う秋元さんに銀次郎さんが応える。よろしくお願いしますと、僕をそっちのけで二人が手を握り合う。


「あのう、ちなみに何処が気に入られたのか聞いてもかまいませんか?」


 僕が聞くと、二人は少し困ったような不思議な顔をした。


「この猫の緊張した様子は、今にも逃げ出しそうじゃないですか。猫の目の先に困った顔の菱田さんが見えるようです。私はこの猫好きですよ」

「ああ、それはわかるなあ。春草先生、猫苦手なんでしょう。よく描こうと思いましたよね」

「そこ、なんですか……」


 僕は、わかるわかると頷く二人に、呆然とそう言うだけだった。

 この『黒き猫』は描き上がりに少し不満があったのだけれど、ありがたいことに高値で買い取っていただけた。好きですよ、という秋元さんの言葉が一番嬉しかったな。


 絵画というものは描く側と見る側、両方がいて成り立つ芸術なのだと思う。

 今回の作品で絵を見る人の距離を改めて知ることができた。


 猫の前にいる僕の困った顔が見える。そんな風に言われたのは複雑な気持ちだったけれど、想像する距離感というのもあるのだな。

 どう見てくれるのかを考えて描くのも面白い。絵の見方というのは人それぞれ、作品それぞれで違って本当に興味深い。



 開催された文展では秀さんの作品も評判になった。

燕山(えんざん)(まき)楚水(そすい)(まき)』は、「大観は着想の奇抜をもって」という講評通りの作品だった。


 水墨絵巻に写実や遠近法などの西洋画の要素を取り入れたもので、品格があっても古臭くない。迫力、明暗の表現、明るい空気感、多彩な描法。

 本当に面白い描き方をする人だ。


 一作ごとにまるで違う作風のものを出してくる。それは絵に対して貪欲で吸収が早いからなのだろう。古画ばかりではなく、僕らが描いたものからでも何でも取り入れていく。

 悔しいけれど伝統的な日本画と西洋画の境界を打ち破るのは、秀さんが一番なのかもしれないとまで思わされる。


 負けていられないな。やってみたいことは、ひとつずつ確かめて次に進もう。やり残したことがないか気にするよりは、確実に積み重ねていくのがいい。もっと描かないと。光琳の絵をもっと研究してみよう。


 文展が終わって、あれからまた依頼が増えた。猫の絵が多いのには苦笑いしか出ないけれど、せっかくの注文なので楽しく描いている。


 ただ、忙しいせいか少し疲れやすくなった気がする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ