玖―続
ちょっと確認したいだけなんだから大人しくいてほしいのに。
「秋元さん!?」
「商用で近くに参りましたので寄らせていただきました。ずいぶん賑やかですね」
「申し訳ありません、文展に出す絵を描いている途中でして」
今回どんなものを出すのか見に来られたのかな。
正直この程度の小品じゃ鼻も引っかけないかもしれない。
「描いているのは猫の絵なんですよ。屏風絵が納得いかなくて。まあ、出品しないよりは出したいと思って描いているんですが……」
「どうも、寺内です。春草先生いらっしゃいますか」
千客万来だ。
「銀次郎さん、今日はなんです」
「五日のうちに仕上げるからって言ったのは春草先生でしょう。急ぎだと思ったから先に絵を見せてもらって裂地を選んでおこうと思ったんです。まあ、仕事のついでなんで……」
ああ、そうだった。
それにしても二人ともついでで家に寄るのか。気軽に寄ってくれるのは嬉しいけれど、なにも今日じゃなくていいのに。
「五日!? ああ、失礼。五日で仕上げると言われましたか」
銀次郎さんの言葉に秋元さんが反応した。この先生は早描きだから、と銀次郎さんはからから笑う。
そういえば初見だったか。僕は秋元さんと銀次郎さんに互いを紹介する。
そうして描きかけでよければ、と画室に案内した。ちょうど表を描いていてよかった。
絵の前で二人ともが腕を組んで唸る。
幅一尺六寸の絵絹の左下から、ごつごつとした幹が斜めに登る。柏の枝葉はまた戻ってきて絵の半分ほどを埋めていく。
葉は金泥で輪郭を取り、緑青のぼかしでまだ染まりかけの葉の色を出す。重なり合う葉は正面を向けて。平面的な同じ意匠を繰り返すのは光琳風の技法だ。
猫の毛並みは何度も丁寧に暈しを重ねて濃淡を表す。墨に胡粉を混ぜて塗ると不透明で質感のある黒になる。ぺたりとした墨がふわりとした猫の毛並みに近づいていく。
これは没線描法による写実表現、というところだな。
「菱田さん、これ買い手はついていますか」
秋元さんが唸ったまま言う。
「いいえ」
「私が買います。誰にも売らないで下さい」
小品だし買い手がつくとは思えなかったから、本当にいいのかと秋元さんに聞いた。
「むしろ、なんで売れないと思うんです。これは評判になりますよ」
「そうなんですね。なら、俺もきっちり仕事させてもらいます。絵の邪魔をしないように見せる軸装をしますよ」
力強く言う秋元さんに銀次郎さんが応える。よろしくお願いしますと、僕をそっちのけで二人が手を握り合う。
「あのう、ちなみに何処が気に入られたのか聞いてもかまいませんか?」
僕が聞くと、二人は少し困ったような不思議な顔をした。
「この猫の緊張した様子は、今にも逃げ出しそうじゃないですか。猫の目の先に困った顔の菱田さんが見えるようです。私はこの猫好きですよ」
「ああ、それはわかるなあ。春草先生、猫苦手なんでしょう。よく描こうと思いましたよね」
「そこ、なんですか……」
僕は、わかるわかると頷く二人に、呆然とそう言うだけだった。
この『黒き猫』は描き上がりに少し不満があったのだけれど、ありがたいことに高値で買い取っていただけた。好きですよ、という秋元さんの言葉が一番嬉しかったな。
絵画というものは描く側と見る側、両方がいて成り立つ芸術なのだと思う。
今回の作品で絵を見る人の距離を改めて知ることができた。
猫の前にいる僕の困った顔が見える。そんな風に言われたのは複雑な気持ちだったけれど、想像する距離感というのもあるのだな。
どう見てくれるのかを考えて描くのも面白い。絵の見方というのは人それぞれ、作品それぞれで違って本当に興味深い。
開催された文展では秀さんの作品も評判になった。
『燕山の巻、 楚水の巻』は、「大観は着想の奇抜をもって」という講評通りの作品だった。
水墨絵巻に写実や遠近法などの西洋画の要素を取り入れたもので、品格があっても古臭くない。迫力、明暗の表現、明るい空気感、多彩な描法。
本当に面白い描き方をする人だ。
一作ごとにまるで違う作風のものを出してくる。それは絵に対して貪欲で吸収が早いからなのだろう。古画ばかりではなく、僕らが描いたものからでも何でも取り入れていく。
悔しいけれど伝統的な日本画と西洋画の境界を打ち破るのは、秀さんが一番なのかもしれないとまで思わされる。
負けていられないな。やってみたいことは、ひとつずつ確かめて次に進もう。やり残したことがないか気にするよりは、確実に積み重ねていくのがいい。もっと描かないと。光琳の絵をもっと研究してみよう。
文展が終わって、あれからまた依頼が増えた。猫の絵が多いのには苦笑いしか出ないけれど、せっかくの注文なので楽しく描いている。
ただ、忙しいせいか少し疲れやすくなった気がする。




