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つきが世界を照らすまで  作者: kiri
落葉の先、黒き猫を追いかけるの事
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陸―続

「びっくりしましたよ、最初ぼうっと一点を見つめたきり動かなくなったでしょう」


 かと思えば、不意にぶつぶつと呟きながら手を動かし始めたそうだ。


「ちょっと気味悪くも思ったんですが、どうやら絵を描いているようじゃないですか。負けましたよ。本当に絵のこととなると強情な方ですね。うちの屏風を使うんだ、良い絵を描いてくださいよ」


 うわあ、これは恥ずかしい。苦笑する銀次郎さんの前で、僕は真っ赤になって頭を下げていた。

 ともかく銀次郎さんのおかげでなんとか文展には間に合いそうだ。ここから先はひたすら描くだけだ。


 幹を描き、腕を伸ばす枝の先から散る落ち葉を描く。

 装飾的な絵の面白味と、写実的な現実感とをひとつの絵の中に落とし込むために、いろいろと描き方も変えてみた。明るく伸びやかに、見る人の気持ちを引き込めたらいいのだけれど。



 第三回の文展は本当にいい作品が数多く出展されている。

 秀さんのは『流燈(りゅうとう)』と題された絵。印度での取材から描かれたものだ。


 あの時は衣服の着け方、装飾品の選び方まで事細かに聞いてたっけ。美人画なのに仏画の三尊(さんぞん)形式を参考にしているのも、情景の一部分を切り取ったような構図も新しい。

 なにより淡い色彩で描かれた女性が本当に美しいんだ。


 秀さんの絵はなぜか心を打つ。上手い下手で言えば他の人に敵わないところもある。けれど表れてくる「こころもち」が見る人の心に残すものが大きい。


 寺崎さんは美人画が印象的なのだけど、今回出展されたものは違う。写実や遠近の手法と、西洋のものをだいぶ取り入れている山水画だった。これは新南画(なんが)だと、もう評判になり始めている。


 逆に美人画を出したのは竹内(たけうち)栖鳳(せいほう)さんだった。

 動物を描くと素晴らしく上手いのに美人画も良い。『アレ夕立に』は鮮やかな色合いと写実の素晴らしさが、より女性の色香を際立たせている。


 そんな華やかな絵の中に、僕の『落葉(おちば)』も置かれていた。

 今日の内覧ないらん招待には秋元さんの顔も見える。あれもこれもと熱心に見ておられるのは、やはり良いものが多いからだろうな。


「菱田さん」


 秋元さんはにこにこと笑って近づいてこられた。


「いいですね。ここだけ寂寞(せきばく)というか静寂(じょうじゃく)というか、晩秋の風情を感じます」

「ありがとうございます」

「不思議な雰囲気の絵ですね」


 絵を見ながら秋元さんが呟いた。


「多分、距離の表わし方の問題だと思います。日本画の面白味と西洋の遠近法は合わないことがあるんです。これも絵の表現を重視したのでこんな描き方になってしまったんですが。本当に拙い絵でお恥ずかしいかぎりです」


 写実的な描き方の前景から霞む後景へ。全体を淡く色づけることで続いているように見せている。ともすれば後ろの木が浮いているように見えるのが、秋元さんの言う不思議な雰囲気なのだろう。けれど立てられた屏風を横から見ていけば、重なり合う木々の間からまた次の木が現れるように見えるはずだ。


「これは本当に面白いですね。最初、若木に目がいくんですが、その後は一気に絵の中に引き込まれます。まるで木立の間を散歩している気分ですよ。これはぜひ、私が買わせていただきます。他の方に買われる前に手続きをしなくては」

「ありがとうございます。秋元さんに買っていただけるなら嬉しいです」


 僕の絵は掛け軸一幅(いっぷく)弐拾伍(にじゅうご)円程なのだから、それからすると六曲一双は参百(さんびゃく)円が適当だと思う。そう言ったのに秋元さんはこの拙い作品に伍百(ごひゃく)円もの値をつけてくださった。


 あまりにもそれは過大評価ではないか。

 いくらなんでもそれでは高すぎる。そう言う僕と、その金額でいいのだと言う秋元さんの間でしばらくやり取りがあった。その後なんとか話はまとまったけれど、もっと値にふさわしい絵を描かなければ。


 そうして文展公開初日には「売約済」の札と、数日後には「二等第一席」の札が絵の横に貼られたのだった。


 この落葉の描き方をもう少し突き詰めて描いてみたい。まだやり方がありそうな気がする。


「おめでとう」

「秀さん! ありがとうございます。秀さんの絵も文部省がお買い上げになったんでしょう。おめでとうございます」

「ああ、これでやっとミオさんと肩を並べられる」


 国がその絵の価値を認めてくれて画家として大きく動き出せる。『流燈』は、そのきっかけになる。文展で賞牌を得る、評価されるということはそういうことなのだ。


「なあ、ミオさん」


 秀さんは、思いつめたような顔で僕の手を握った。

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