表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
つきが世界を照らすまで  作者: kiri
落葉の先、黒き猫を追いかけるの事
51/72

弐―続

 家に帰るのがいつもより少し遅くなってしまった。

 千代さんが表に出てる? どうしたんだろう。


「千代さん?」


 顔を(うつむ)けていた千代さんは、こっちを見たかと思うとその場にへなへなと座り込んでしまった。


「千代さん!」


 思わず駆け寄る。


「どうしたの、大丈夫かい」


 震えている。どこか具合が悪いのか。医者に連れていかなくては。


「ミオさんは駆けちゃ駄目です。それに大丈夫かは、こちらが言うことですよ!」


 そう言って僕を見た目が、溢れそうなくらいの涙でいっぱいになっていた。いつも笑っている千代さんのそんな目を見て狼狽(うろた)えてしまう。


「散歩に行くのに春夫達を連れて行かないし、帰りは遅いし、昨夜からちょっと変だったじゃないですか。もしかしたら……帰ってこないのかもしれないなんて思ってしまったら、怖くて」


 ああ、そうだったのか。

 千代さんは知っていたんだな。知ってて、知らぬふりをしてくれていたのか。


「あ、父様だ。お帰りなさい」


 春夫と秋成が走ってくる。


「とうさま、聞いて。かあさまったらね、とうさまかえってこないかもなんて言うから、ぼくびっくりしちゃったよ」

「もう! 父様、母様泣かせたら駄目でしょう」


 春夫は頬をふくらませて僕に怒った。ああ、ごめんよ。皆ごめん。千代さんは動揺して思わず言ってしまったんだろう。

 僕は馬鹿だ。自分のことだけで手一杯だったからって、こんなにも皆に心配かけて。

 情けない。

 その横を、駿がとことこと寄ってくる。


「とおたん、めっ」


 千代さんと僕の間に、ぽすんと小さな体が飛び込んだ。


「はい……ごめんなさい」


 春夫と秋成も首にぶら下がるやら手を引っ張るやら。


「養生しなきゃいけないのも、焦っても仕方がないのもわかってるんだ。だけど絵を描きたいのに描けなくて、苛々して落ち込んで……」


 子ども達の体の熱で、少しずつ僕の凍った心が溶けていく。

 本当にごめんよ、心配してくれてありがとう。


「僕みたいな絵を描きたいしか言わない、わがままな者と一緒になったから千代さんは苦労ばかりしている」

「そんな! そんなの心配しなくていいんです」

「僕なんていない方がいい、そう思ってたよ。僕は本当に甘ったれだ。千代さんに甘えるだけ甘えてしまっていたんだ」

「ミオさん、私は好きでここに居るんです。そんな風に言ったり、私のことを心配したりするよりも、ちゃんと体を治して絵を描いてください」


 こんな僕でも必要としてくれるのか?

 僕はここにいていいのか?

 僕は絵を描いていていいのか?


 僕の問いに千代さんは大きく頷いた。


「私が嫁いだのは、画家の菱田春草なんですよ」


 ああ、僕の心の中の月は千代さんと子ども達だ。西方浄土に行かなくとも仏はここにいるじゃないか。

 凍った心が溶けて、涙と一緒に(こぼ)れていく。


 帰ってきてよかった。

 僕はここにいたい。

 ここで絵を描きたい。


 僕は、生きていたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ