伍―続
その審査は本当に大変だったんだぞ、と後で秀さんから愚痴を聞かされた。
なんだか知らないけれど余程懲りたらしかった。あのしかめっ面はちょっと忘れられない。
それでも五浦に戻ってきた時は、先に帰った僕を見ると顔中を笑顔にして走ってきた。
「おめでとう! やったな、ミオさん!」
手を取ってぶんぶんと振り回し、バンバンと肩を叩かれる。
「もう、何回目ですか。ありがとうございます!」
「何回だって言うさ。これでやっと、この国でもミオさんの絵が認められたんだ」
文展の会期中は、仕事帰りにちょっと寄ってみようかなんていう職人さんや、友達としゃべりながら笑う女学生達、子どもの手を引いた母親、近所の爺さん婆さん。
ひと月余りの間に老若男女様々な人が見に来ていて、延べ四万四千人の入場者数だったそうだ。
普通、絵の展覧会場にいるのは画家志望の人がほとんどなのだから、文展はいつもと全く違う客層に見てもらえる、本当にまたとない機会だったのだ。
素晴らしい作品も数多く出品された。
木島櫻谷さんの『しぐれ』の叙情的な表現と暖かさ。京都画壇の作品にはなかなか触れる機会がないから、いろいろ参考になった。
木村君の『阿房劫火』も良かったな。鮮やかな炎とその照り返し、濛々と上がる黒煙の中から人々の嘆きが聞こえるようだった。
観山さんの『木の間の秋』は光琳のような装飾性の高い作風で、僕も勉強したいと思っているところだ。
ああ、本当に良い作品が多くて面白い。来年も開催されるだろうから今から楽しみだ。
文展で賞牌を得たことで画商の訪問が少し増えた。もっと来てくれるといいのだけれど、愚痴ばかり言ってもいられない。僕は次の課題に挑戦するのだ。
ぼかしの手法はしっとりとした空気を表現するにはいい。逆に言えば立体感や存在を表現するには適していない。
例えば、岩肌のごつごつした質感や立体感を確かに在るように表現してみようと思う。
滝壷で砕け散る水滴や落水の空気はぼかしで表現できる。水面の様子も工夫してもっと揺れるように、滝水の重さを感じるように表現しよう。ここまではいい。
問題はこの岩肌。墨の濃淡と点描と……皴法、か。斧で削り取ったような表現で岩壁の実在感を出してみる。岩の向こうにも紅葉した木々の枝を伸ばして。
少し目が霞む。
線が、歪んで見える。




