弐―続
僕の心が秀さんの口から出てくる。同じ思いを乗せた言葉は美術院の炭の中に虚しく消えていった。
「絵描きは金のかかる仕事ですから」
ふらふらと座り込んだ秀さんを困ったように見ながら木村君は怒ることもない。
やはり経営の難しさが原因か。確かに絵絹も岩絵の具も高い。絵筆だって揃えようと思ったら結構な金額になる。そのための給金を毎月払うのも、絵が売れなければ難しくなるのだから。
さすがに僕らの送金程度では、お話にならなかったか。
「いえ、とても助かりましたよ」
木村君は僕に少しの笑顔を見せた。
「あの送金のおかげで息がつけたのですから」
「そうだったんだ」
それほどに大変だったのか。考えてみれば、そのやり繰りをする事務方が一番苦労しただろうに。その中で木君達村が頑張っていてくれたんだと気づいて頭が下がる。絵を描くだけではなく、ここまで運営を支えてくれていたのだ。
「ひとついい知らせがありますよ。絵を描ける場所は作られます」
あまりに気落ちした僕等に同情したのか、決まったことではないけれど、と前置きした後で木村君が言った。
「岡倉先生は美術院を整理するそうです。日本画科は日本美術院第一部として、多分、五浦に移転するのではないでしょうか」
「五浦って、大津のか?」
「はい」
それを聞いた秀さんは都落ちだっぺよと呟くと頭を抱えた。
秀さんは知ってるのか。どんな所だと聞いてみると「なあんもねえとこさ」と返ってきた。
「ああ、海はあるか」
海か……印度も米国も英国も、そこで見た海は色も空気も全然違っていた。それがつい、口をついて出る。
「五浦はどんな海なんでしょうね」
「ミオさん?」
「ほら、外国も海の色が全然違っていたでしょう」
秀さんはがしがしと頭をかくと、大袈裟に息を吐いた。
「はああぁぁぁ……本っ当に! ミオさんは絵のことばかりだな!」
失礼だぞ。これでも家族のこととか美術院のこととか、いろいろ考えているのに。まったく秀さんは、いつもそう言うんだから。
秀さんは僕の肩に手を回すと、うん、と頷いた。
「負けられねえな!」
「はい! そうですね」
笑顔の僕らの間で木村君はそっとため息をついていた。秀さんの剣幕が怖いのは毎度のことだからな。
「雅邦先生の言う通りだなあ」
ぽそりと木村君が呟いた。
「木村君? なんだい、それ」
「お二人は自分と芳崖先生に似ている、と。以前、雅邦先生が言われたことを思い出しましたよ。菱田さんが惚けたことを言って大観さんが折れるだろうって」
「ああ、芳崖先生は怖かったなあ」
秀さんはちょっと戯けて震える肩を抱く。確か美校の受験の前に伺ったことがあるとか言っていたっけ。そんなに怖い方だったのか?
「なんてえか、お人柄は優しいんだが、ご自分に厳しい方で初見はえらく怖え印象だったな。教わった期間は短かかったけど……ん? おい、木村武山君よ、それって俺が怖えって言ってねえか!?」
「いいえっ! おふたり仲良くていいなってことですよ」
「武山!」
木村君を掴まえて小突きながら、秀さんが唸るように言った。
「俺は倒れてもやるぞ」
「わかりましたから離してください!」
ああ、そうだな。これからも世情は厳しいだろうけれど、僕は絵を描くのだ。絵を描く楽しさを忘れちゃいけない。美校の時のように大きな声で笑って描いてやる。
笑って、それじゃあと別れて家へ向かう。足取りは少し重い。
あんな風には言ったけれど……移転か。
移転自体は仕方がないと思う。それが秀さんが言った「なあんもねえとこ」で大丈夫なのか。
絵を描くにはいいかもしれない。けれど暮らしていけるのか。それなら少しでも買い手に近いところが便利なのじゃないのか。日暮里に移ったばかりだし、子どもが小さいから千代さんだって大変だろう。
あれから秀さんは再三誘いを送ってくる。どうしたものかなあ。




