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つきが世界を照らすまで  作者: kiri
日本美術院奮闘するの事
32/72

捌 手は止めない。描きたいものがあるのだから

「ミオさんは『菊慈童』といい、この『王昭君(おうしょうくん)』といい、これまでに描かれてきた構図や場面と、だいぶ違うところを持ってくるんだな」


 こんなでかい画面に描くとは、と秀さんは僕の絵を見ながら言った。

 この画題は掛け軸になっているものが多い。僕が縦六尺横一丈の大きな画面にしたのは衣の色などの工夫も見せたいからなんだ。今回は色彩の対比をやってみたい。そのために、たくさんの人物を描こうと選んだ場面でもある。


琵琶(びわ)を抱えて旅立っている姿は多く描かれてきましたけど、別れの場面もいいと思うんです。ここが一番感傷的というか、感情が多く出ている場面じゃないかな」


 匈奴(きょうど)との和解のため、後宮の官女を送ることになった(げん)帝は人選のため肖像画を描かせる。皆が絵師に賄賂(わいろ)を使って美しく描かせたのに、それをせず醜く描かれ選ばれてしまうのが王昭君だ。


 その時、彼女の胸の内には悲しみや匈奴に対する恐れ、旅への不安、それから元帝や他の官女に対する気持ち。きっと、そういうごちゃまぜの感情が渦巻いたと思う。その中からでも見える王昭君の高潔さを描きたい。


「そうか、ミオさんの描きたいところはそこなのか」


 秀さんはそう言ってまた絵を眺め頷いていた。

 気持ちの整理もつかないまま出発した王昭君の旅は、諦めの心が多くを占めたのではないかと思う。そこは僕の描きたい王昭君とは少し違うんだ。


 見送る官女達は皆、肖像画に描かれたはずの顔で見せる。

 綺麗なものを醜く、醜いものを綺麗に描いたなら結局同じような顔になるだろう。だから目鼻立ちは変えない。ひとりずつの表情を変える。悲哀、憐憫(れんびん)、嘲笑、安堵、それぞれ違う彼女達の感情を描いた。


「人物の気持ちが描けている」

「顔が同じだから人が描けていない」


 人物についての評は正反対の批評が飛び交う。


「色は明るく派手なようで落ち着いている」


 色彩に関しては真逆というか、不思議な反応が返ってきて僕が戸惑ったくらいだ。


 色同士の均衡を保たなければならないのは難しかったけれど、描くのは本当に面白かった。そもそも画面上に描ける色というのは人の目が見る色よりも全然少ないのだから、明暗、濃淡、さまざまに描きわけないと衣の質感もうまく出せなくなる。隣り合う色の見せ方でも印象が変わる。そこをいかに見せるかの工夫が楽しかった。


 この絵に関しては喧喧囂囂(けんけんごうごう)の絵画論が飛び交う。どういうわけか逆の反応が返ってくるのは、人それぞれの見方、感じ方なのだろう。


 成績は銀牌一席と良いものをいただいたけれど、これにも朦朧(もうろう)と酷評がついて回るのが悔しい。

 もう僕の描きたかった王昭君の心をわかってくれる人がいたらそれだけでいいのに。


 次へ。

 振り切って次へ進もう。

 工夫を考え試行を重ねる。手は止めない。描きたいものがあるのだから。



 そんな中、僕と秀さんへティペラ王宮の壁画装飾という依頼がきた。

 印度(インド)行きは魅力的なのだけれど、ひとつ心にかかることは千代さんのことだ。春夫(はるお)が生まれたばっかりだから留守にするのが気がかりなんだ。


「でも行かれるのでしょう?」


 春夫を寝かしつけた千代さんは覚悟を決めたような顔で言う。少し声が震えていた。


「お仕事では止められませんもの。ミオさんは存分に絵を描いてください。どうか無事にお帰りくださいね」

「ありがとう」


 千代さんの目が潤んで見えた。

 僕も千代さんをひとり置くのは心配だけれど、八軒家なら誰かがいる。(あに)さんもお母上も近くにいるのだから、と千代さんに言うと、そうではないと言う。


「千代さん?」

「あの、もし、できたらでいいんですけど……お手紙を送ってくださいませんか」


 もちろん書くとも。手を取って必ず、と誓う。


 印度で絵を描くのは心躍ることだ。だけど僕だって千代さんと離れるのは寂しいんだから。

 口に出しはしないけれど。

 いつだって千代さんを想うよ。

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