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つきが世界を照らすまで  作者: kiri
日本美術院奮闘するの事
31/72

漆―続

「はあああぁぁ」

「こらこら、ため息が大きい」


 観山さんはそう言うけれど、ここまで手酷く言われたらこれくらいいだろう。いくら僕の絵が実験的でもこの評価はないんじゃないか。


「俺はこの『菊慈童(きくじどう)』好きだぜ。これは永遠の孤独だ」

「ああ、そうだねえ。確かに怖いくらいの幽玄だよ」

「秀さんや観山さんはわかってくださるからいいんです」


 そう言って僕はもう一度ため息をついた。

 今回、出品したのは『菊慈童』という周の時代の話から描いたものだ。


 罪を得て辺境の深山に流された少年が、菊の霊力によって不老不死を得たという伝承がある。

 その逸話から長寿の吉祥画題として取り上げられるもので、これまでは人物だけが大きく描かれていた。


 だけど、それじゃあ子どもが菊を持ってるだけじゃないか。僕は伝承の背景があって初めて、画中の人物は菊慈童たり得ると思う。


 六尺ある画面の半分以上は奥深い山の景色だ。

 その山中の紅葉した森林全ての色に胡粉(ごふん)を混ぜて描いてみた。この白い絵の具を混ぜると光が浮き出てくるように見えるのだ。森は線を描かずに色だけで描く。


 手前には静かな湖面と、水際に菊を手にして独り佇む少年。この人物は仙郷のような雰囲気の周りの様子とは対象的に胡粉の白と金泥(きんでい)の線で細緻に描く。

 白い衣の少年は今ここで初めて寂しさや心細さを噛みしめている。


「明るく描かれた人物には必ず目がいくはずです。だからこそ、深い山での孤立が際立つし、誰とも分かち合えない永遠の孤独に、途方に暮れたようにも見えると思うんです」


 そんな僕の考えは一蹴(いっしゅう)された。やはり吉祥画題として描かれていない菊慈童は受け入れられないのか。


「ぼかしで誤魔化したとか、対象の人物が小さいとか、批評自体がそんなだからねえ」


 観山さんも苦笑混じりに首を振る。

 そうなんだ。例えばこの表現はどういう意図か、この考えは、そんな風に聞かれたら賛同も解説も反論もなんだってするけれど、こうなるとため息しか出ない。子どもが菊を持ってるだけっていうのも、言ったまんまを言い返されてしまったしなあ。


「腐る気持ちはわかるよ。俺も『菜之葉(なのは)』は結構な言われようだからな」

朦朧(もうろう)っていうのはいただけませんよ。嫌な言い方ですよね」


 さすがに「朦朧とした画」というのは心に刺さった。秀さんは慰めてくれるけれど、また美校騒動の時のように今度はその朦朧で僕らを攻撃してくるかもしれない。そう思うと心がささくれ立ってしまう。


「まあ、批評する側の気持ちもわからないわけではないよ。この方法だとどうしても色が(にご)るから、伝統的な日本画の美観にはそぐわないんだよねえ」


 ああ、観山さんは痛いところをついてくる。


「確かにそこは問題だと思ってます」

「まあ、俺達は研究の過程でこういう描き方になってるだけ、っていうのがわからん奴には言わせておけばいいさ」


 そうだな、そこは秀さんの言う通りだ。きっとわかってくれる人はいる。


「わかりました。次の課題はそれにします。没線で描いて、全面ぼかしても色が濁らないように表現してみます」


 とは言ったけれど、色を重ねると濁るのは岩絵の具の特徴だからなあ。どうすればいい? 水気を含んだ表現にはよく合う。それは間違いない。


 たとえば明け方に帰ってくる釣り舟。ほのかな曙色の光が広がる中、川岸で魚籠を上げる漁師達。こういった川霧に霞む様子を情感たっぷりに表現するためにはとてもいいと思うんだ。

 その考えで『釣帰(ちょうき)』という作品を描いた。


 この作品に岡倉先生からお褒めの言葉をいただけたのは嬉しい驚きだった。

 先生は実験的な手法に関して、なかなか手放しには褒めてはくださらない。それはきっと、まだまだやれるだろうという激励なのだ。


 それでも僕の描きたい絵、試してみた手法はわかってくださった。それが本当に嬉しくて、「詩情豊か」と評が書かれた新聞を何度も読み返した。

 課題は尽きないけれど、その嬉しい気持ちが僕に火を点す。

 僕はまた前を向いて進んでいける。

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