表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
つきが世界を照らすまで  作者: kiri
日本美術院奮闘するの事
30/72

漆 いつまでも悩みは尽きない

 いつまでも悩みは尽きない。けれど、ここで止まってしまったら今までの僕もこれからの僕もすべてが終わってしまう。


 篠つく雨に答えを求めて、僕は窓の外に目を向ける。

 もう次の課題を考えなくてはならない。

 空気を描くこと。

 答えはまだ出ていない。これに関して行き詰まっている僕らの考えをなんとか打ち破りたい。ほんの少しでいいんだ。きっかけがほしい。もう少しでなにか掴めそうな気がするんだ。


 鬱陶(うっとう)しいくらいに雨が降る。

 ……雨か。これまでは線で描いていた。例えば浮世絵の版画を刷るなら一本一本が必要な線だし、落ちてくる水の束が見えるなら線で見せてもいいだろう。


 だけど、まとわりつく湿った空気、しっとりとした雰囲気の情景に線はいらない。線を使わないで雨を描くなら、波紋で描くか、落ちた水滴の跡か。ああいや、そうじゃない。一滴ずつの雨そのものを描きたいわけじゃない。雨の雰囲気にどっぷりと(ひた)ってその空気を……


「……そうだ、それならいっそ全部覆ってしまえばいいかもしれない」

「どうした?」


 秀さんが(わずら)わしそうに、もじゃもじゃした髪を掻きあげる。


「秀さん、雨です!」

「雨なら降ってるぜ、朝から嫌になるな」

「それじゃないです! 雨を線で描かないなら全部を雨で、絵を雨で覆ってしまえばいい」


 思いついたままが伝わらなくてもどかしい。言葉足らずに顔を(しか)め筆をとる。とにかく試してみれば使える手法かわかる。

 描いた絵にたっぷりの水を含ませ、のせた色を乾いた刷毛でぼかしていく。


「ああ、そうか! なるほど。全体的にぼかしをかけていくんだな」

「そうなんです。こう、(しゃ)がかかったように見えないかなと。これなら雨を描かなくとも雨の空気になると思うんですが」

「確かに今日みたいな雨なら線で描いてもいいかもしれんが、このぼかし方ならもっと湿気のある空気感を出せそうだ。霧や霞の風情(ふぜい)ある景色が描けそうじゃないか」



 あれから色々試してみて、このぼかしの技法も少しは(さま)になってきたような気がする。

秋景(しゅうけい)』の下絵を絵絹に写す。紅葉する山川はこの技法で描いてみるつもりだ。


 この秋深い日は、もう少しで冬に取って代わられる。流れ落ちる水の音。陽だまりはまだ少し暖かくても吹く風はもう冷たい。その空気をそのまま絵絹に乗せる。

 (くれない)(あかね)臙脂(えんじ)蘇芳(すおう)

 濃く淡く赤く色づく深山の木々は川面(かわも)に色が揺れる。立ち上る水の気配を秋霧にぼかしていく。


 輪郭をなくす、意匠をこらす、色の線で描く、空気を描く。あちらに寄りこちらに寄り、様々な手法で描いては出品する日々が過ぎていく。時には自分でも不思議な絵だなと思うものもあったけれど、その時の僕には必要な研究だったと思うし、それがなければ次の絵も描けなかっただろう。


 僕は描きたい絵がある。

 絵を描くのが好きだ。

 忘れかけていた心を思い出した。思い出してみれば簡単なことだったんだ。僕は何を悩んでいたんだろう。

 一番大切なことは心の奥にあった。これは十五で上京した時に結城先生に言われたじゃないか。


「絵を描くのが好きなのは一番いいことさ」


 もう忘れない。僕は絵を描くのが好きだ。


 それでもまた共進会に出した絵の前で、僕はため息をついていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ