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つきが世界を照らすまで  作者: kiri
日本美術院奮闘するの事
29/72

陸―続

 六歌仙の人物を描くにも個性が出るように、顔や体つきを考えようって思っていた。似せたつもりはなかったのに、こんなところから千代さんのことを言い当てられてしまうなんて。

 あんな面と向かって言われたら恥ずかしいじゃないか! ああ、びっくりした。まだ顔が熱いや。


 千代さんにも心配かけてたんだな。本当に今日こそはちゃんと休もう。一晩ゆっくり寝て、新たな気持ちで取りかかろう。


 もう一度、六歌仙ひとりひとりに向き合う。どんな人物か考えて人となりを表す。

 ようやくひとりひとりの顔が見えてきた。康秀(やすひで)官人(かんじん)であり、黒主(くろぬし)は地方豪族だった。貴族から世捨て人のような喜撰(きせん)まで和歌をたしなむ者は大勢いたのだ。


 彼らが集まって詩想を練っている空間は静かで、句を呟く声が微かに聞こえてくる。

 金地背景に鮮やかな色彩をのせても煩くなってはいけない。車座になる彼らの装束からさらさらと柔らかな衣擦れの音が聞こえてくる。ああ、これなら互いに和歌を詠み合うのも楽しいだろう。この雰囲気を伝えたい。

 僕は二曲一双の屏風を前に筆をとった。



 美術院では研究することがたくさんある。

 最近は特に音曲(おんぎょく)画題とか歴史画題といった、抽象的な題材にどう応ずるかを試されていた。描いた絵を互いに批評し合うのも勉強になる。


「おっ、どうした。今度の音曲画題か。詩吟(しぎん)でも(うな)ってんのか?」


 茶化すように言ってきた秀さんは、頷いた僕を見てすぐに真面目な顔になった。


「あれは難しいよなあ。だが画題に対する集中力だとか発想力だとか、そういう力はついてきたと思うぜ」


 確かに秀さんの言うとおり、画題に対応する力はついてきたと思う。何度も描いているうちに、特になにを考えることなく描けたものもある。


「どうしたい、ミオさん。なんだか元気がねえな」


 本当に親身になってくれる。傍にいてくれると頼もしい。


「そんなことないですよ。今回の画題に対する考えがまとまらなくて」


 同じ画題に対する他の人の考えや技法に触れたら、僕もやれることが増えるはずだ。そう思って、この一年がむしゃらにやってきた。


「秀さん。僕、いくら描いても岡倉先生の理想を描ける気がしないんです。描いても描いても大して評価も上がらない。そんな絵、要りますか?」


 口をついて出たのは思っていたのと別のことだった。

 ぼそぼそと呟いた僕に、秀さんは呆れたような声で返してくる。


「ミオさんは何をそんなに急いでるんだ? 慌てなくても絵は逃げやしねえだろう。もっとじっくり取り組むべきだぜ。俺にはそんな大きな目標が一年二年で達成できるとは思えねえんだがな」


 秀さんは落ち着いてもっといろんなところに目を向けろと言うけれど、何者でもない自分が歯がゆくて仕方がない。

 表現の研究もしたい。描き方の工夫はいつだって必要だ。そうやって毎回描いている。


 だけど何をやっても足りない、満たされない。自分の中では納得して絵を描きあげているのだけれど、終わってみると何かが足りない気がしてくる。もっとできることがあったような気がして、気に入らない絵を破り捨てたくなる。


「俺だって絵を描き始めてからは迷ってばかりだぜ? せっかく描いた絵を批評家に叩かれたら悔しいし、ミオさんや観山が賞を取ったりしたら羨ましいと思う。それでも俺は絵を描くしかねえし、そのためにはどんなものが描けるか考えるよ」


 ここまで秀さんに言わせて、ようやく弱い自分が顔を出した。

 僕はちっとも評価されないことに対して落ち込んでいるってことか。実験的な絵ばかりを描いていて、くさされることには慣れたつもりだった。だけど本当はがんばったなと言ってほしかった。よくやったと褒めてほしかった。

 このもやもやした気持ちはそういうことなのだろうか。


「なあ、ミオさんが今描きてえものはなんだい? それがすぐに出てこねえのなら、まだ考えきれてねえんだよ。俺は絵描きは心で描くんだと思ってる。描きてえ絵で自分の心がいっぱいになるまで練り上げるんだ」


 鼻の奥がつんとした。

 負けん気ばかりが頭にあって落ち込んだのは確かにその通りだ。それだけじゃない。僕は今、まっすぐに絵と向き合っているだろうか。今の日本画に飽き足らないのはそうだけれど、描きたいものはなんだろう。そもそも今の僕は絵が好きで描きたくて描いていると言えるだろうか。


 秀さんの手が俯きっぱなしの僕の頭に乗せられた。いつもなら振り払ってしまうのに、なぜかこの時はされるままになっていた。

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