肆―続
美術院の前に宿舎が建てられている。そこは谷中の八軒家なんて言われて、秀さんや観山さんも住んでいるんだ。祝言を挙げた僕らも皆に祝われてそこへ住むことになった。
谷中鶯 初音の血に染む紅梅花 堂々男子は死んでもよい
ああ、また始まった。絵を描いていると聞こえてくる。何度も何度も繰り返される。岡倉先生の歌は心に響く。
気骨侠骨 開落栄枯は何のその 堂々男子は死んでもよい
秀さんはこれを歌うと本当に死んでもいい気持ちになる、なんて言っているくらいだ。
僕もこれが聞こえてくると意気が揚がる。
新しい絵画を作り出すのは、いつだって心躍るものなのだから。
画家としての僕らの前には困難もあるけれど希望もある。この歌のような気概で取り組んでいこうと思っている。
岡倉先生は美術院の創設にあたって、日本絵画協会に共進会を開くことを提案してくださっていた。大きな発表の場が決まっているかどうかは皆の心配の種だから吉報を期待しているところだ。
「共進会として一緒にやることに決まったよ」
にこにこと戻ってこられた先生のひと言に僕らは歓声を上げた。
ご近所の人達は学校と言うけれど、日本美術院は美術に関する研究所だから、ひと月に弐拾伍円の給料が出る。それも含めた運営費は描いた絵を売ることで賄おうという計画だったから、作品を出せる場所が決まったのは何よりのことだった。
その嬉しい騒ぎの中、岡倉先生が僕を呼ばれた。
「菱田君、ちょっと来てくれないか。実は新しい試みについて頼みたいことがあるのだ」
熱のこもった先生の声に惹きつけられる。
先生がこんな風に話をされるということは、なにを見つけられたのだろう。いつだって先生のお話は考えさせられることが多くて面白い。どういうお考えがあるのだろう。なにか難しいことだろうか。
「新しい試み、ですか?」
声がうわずってしまった。どんなお話なのか楽しみで仕方がない。喜んで携わらせていただくつもりだ。
「そうだ」
詳しいことは皆の前でと言われ、行ってみると秀さんも観山さんもそこにいた。なんだろう。まだ何についての話かはわからないけれど、先生の目を見ているだけで胸が高鳴る。
先生の口から語られたのは、日本画でやるには革新的なものだった。
例えば、自然界にこぼれる光や空気を表現するにはどうしたらいいのか。
例えば、私と自然の境界はどうやって描けばいいのか。
日本画は線で描かれるが、自然そのものを線で描くことに不自然さは感じないのか。
これは美校の時に言われた写実の考えの一歩先だ。
西洋画の描き方を日本画に取り入れろ、っていうことだろう。卒業制作の時に一部に取り入れてみたけれど、あれを画面全部で対応するということか。
そもそも表現の仕方が全然違うのだから、そのまま取り入れるわけにはいかないだろう。それなら西洋画を描けばいいだけだ。それを取り入れた上で仕上げるのは、なかなか難しいのではないか。どうしたって今の日本画とはずいぶん離れているのだから。
「君達は」
岡倉先生は息をつめて深刻な顔をしている僕らを見回す。
「日本画を描くにあたって、自分の考えをどう伝えるかに知恵を絞っているだろう。それを絵画に表すという点においては今までと変わらないのだよ」
言葉を切った先生は、ふっと呼吸を外すように柔らかに微笑まれる。その笑顔にほっとして少し肩の力が抜けた。
そうして先生はしばらく目を閉じて顔を仰向けておられた。どこか遠くに思いをはせるような、祈りのような時間が過ぎる。
「描くための技術というものは、考えを伝えるための手段だ。例えばそれが西洋画の手法であっても、日本画という芸術の中に落とし込めれば『こころもち』は自ずから絵に表れてくる」
再び僕らを見つめた遠い視線のその先には何が見えているのだろう。
「試行はいくらでも重ねていけばいいのだ。それは必ず君達の糧になる。自分がやりたいと思ったことを存分にやってみなさい」
この急進的な課題を成し遂げたら、いつか先生が言われたように日本画が世界に通じる芸術となるのだろうか。
明治という時代は政治や技術、機械、文化、新しいものがどんどん入ってくる。
ともすれば、全てに押し流されそうにもなるけれど。僕らはこの中で日本画を進化させていかなくてはならない。
そのために西洋画の流れに踏み止まって、その技術を取り込むのだ。
新しい表現のためにこの課題を成し遂げなくては。この研究は試行錯誤の戦いになるだろう。
面白い。
心が震える。
心が熱く滾る。




