表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
つきが世界を照らすまで  作者: kiri
日本美術院奮闘するの事
20/72

弐 水鏡

 日本画の輪郭(りんかく)線というものは考え方の線、つまり『こころもち』を表現するための線ということだ。例えば、真面目だとか、滑稽(こっけい)だとか、偉いだとか、そういうものを表現するために必要な線、ということになる。


 まず学生に知ってほしいのは、この基本的な日本画の考え方だ。線ひとつひとつの重要性や描き方。それを知った上で描くことが大事だと思う。絵画として表現することができるのはそこからなのだ。


 よし、授業はここまで。

 僕も一年近く講師をやってきたから、なかなかに授業も(さま)になってきたんじゃないかな。これでも学生にきちんと意図が伝わるように話し方を工夫しているんだ。


 さてと、ここからは僕のための時間だ。

 今、日本絵画協会の共進会に向けて制作を始めている。会派や団体を問わず出品が可能なところだから、どんな意見や評価がもらえるか怖くもあり楽しみでもある。

 今回はかなり大きな作品になるから教場を借りて描いているんだ。


「やあ、菱田君」

「溝口さん」


 僕はちょうど校庭に咲いていた紫陽花(あじさい)幾枝(いくえだ)か拝借してきたところで、手を振りながら近づいてくる溝口さんにぺこりと頭を下げた。


「お久しぶりです。博物館のお仕事ですか」


 溝口(みぞぐち)禎次郎(ていじろう)さんは秀さんと同じ一期生で、今は帝国博物館に勤めている。


「それもあるんだが。なあ、菱田君。君はいつもあんな描き方なのかい」

「ええと?」

「さっき通りかかってね、描いているところを見ていたんだ」


 うわあ、見られていたのか。あれは画面の高さが八尺(はっしゃく)もあるから僕だと伸び上がらないと描けない。いい意味で言ってくれたのなら嬉しいけれど、背が低いのにあんな大きな絵とか言われたら嫌だな。

 僕は紫陽花の枝を意味もなく、くるくると回した。


「人物を描くのにあまりにもさくさく描いていくから驚いたよ。これ、下絵も簡単にしか描いてなかっただろう」

「あ、そっちですか」


 やれやれ、悪評ではなかったか。


「そっち?」

「なんでもないです。色々やってみて構図が決まったので、後は描くだけでしたから」

「そう、なのか……その紫陽花はどうしたんだい」

「この絵に添えるんですよ。今回は天人五衰(てんにんごすい)を主題にして描こうと思っているんです。紫陽花は色が変わって最後には色が抜けて枯れてしまうでしょう。だから天人の美も終わる時がある、っていうことと関連付けて表現しようと思っているんですけど」


 言いながら教場に置いた画面の横に紫陽花を立てかけ、溝口さんを振り返った。


「けど?」

「ちょっと失敗したかなって」

「どの辺がだね? これはいいじゃないか」

「見る人に主題が伝わりにくいかもしれないんです。水面のところなんですけど……西洋画だと上に描いた天人も水に映ったほうも、どっちも立派に描かれているでしょう。でもこれは違うじゃないですか」


 僕は水に映ったほうを汚く衰えた感じに描いている。こういう表現で僕の描こうとしてることがわかってもらえるだろうか。そこが心配だと言うと、絵を眺めながら溝口さんは腕を組む。


「水面が鏡になって未来の天人の姿を映すってことだろう。そこが主題に通じるんだから、そこまでわかりづらくはないと思うがなあ」


 考えをわかってくれる人がいるのは嬉しいものだな。先輩を愚痴につき合わせたようになってしまったけれど、それでもその答えを聞いてほっとする。


「ありがとうございます。すみません、お仕事中だったのに。話を聞いてもらえて少しすっきりしました」

「そうか、それはなによりだ。共進会に出すんだろう。楽しみにしてるよ」

「はい、がんばります」


 どちらにしろ日本画は描き直しができない。僕の描きたい絵、表現したい主題はこれなんだから『水鏡(みずかがみ)』はこのまま描いていこう。

 絵筆を取りあげ画面に紫陽花を描き入れ始める。腹が決まると筆が進む。


「菱田君」


 何故か戸惑ったような声がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ