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つきが世界を照らすまで  作者: kiri
日本美術院奮闘するの事
18/72

壱 大観さんもよろしくお願いします

 僕はこの一年、古画模写の仕事で奈良や京都を飛び回っていた。

 今は高野山の僧房をお借りしている。ここは本当に物寂しい所だけれど、寺の佇まいさえ神韻縹渺(しんいんひょうびょう)としていて、それ自体がひとつの作品のようにも感じられた。

 今日も僕は僧房の真ん中に仏画を置き、それを見ている。


「無言のものを聞き、見えないものを見る」


 僕も秀さんも、いつもこの考えでやっていた。じっと見ていると、描いた人の考え方というか思いというか、そういうものが絵の中から僕に訴えかけてくる。それが見えてくると模写した絵も生きてくるのだ。


 ある時、お坊様が何をしているのかと僕に問われた。あちらから見れば、絵を描きに来たはずが、黙っていつまでも座っているだけなのだから不思議だったのだろう。


「考えがわかってからでないと上手く写し取ることができないのです。はかどらなくて申し訳ありません」


 絵を描かない人にこの感覚を伝えられる言葉がうまく見つからなくて、それだけ申し上げた。言葉足らずで申し訳なく思っていたけれど不思議と納得された風で、それからは僧房の周りが殊更(ことさら)静かになった気がする。


 仏教の教義はさすがに難しいものだから、それをきちんと理解するまでには至らない。そんな僕にもこの仏様は優しい顔を見せてくれるようになった。


 合掌し読経する僧の姿がこの仏画の前にある。修行の厳しいお山で、この仏様は手を合わせる僧達への救いだったのだ。

 高野山の雰囲気の中だったから余計にそう感じたのかもしれない。

 描き始めてからは筆が早かったように思う。

 それからしばらくして、僕は一通の手紙を受け取った。


「手紙?」


 誰からだろう。礼を言って受け取り、封を切る。


「岡倉先生……」


 美校からの手紙には、学校に戻って講師をやらないかと書いてあった。

 これは僕の心を読んだかのような手紙じゃないか。

 模写の仕事は学ぶことがたくさんあっていいのだけれど、そろそろ自分の絵を描きたくなってきていたのだ。渡りに船とばかりに、僕はその要請に飛びついた。



 美校に戻った僕は講師として勤めることになって、久しぶりに例の制服に手を通す。


「君と会うのは久しぶりだねえ」


 もう卒業したのだから画号で呼んでくれ。そう言って観山(かんざん)さんは着崩れた制服をひらひらさせた。


「観山さんは、ずっとここで教えていたから一年ぶりですね」


 僕が言うと観山さんはニッと口の端を上げた。


「待っていたよ」


 それを受けて僕もニヤリと笑う。


「お手柔らかにお願いします」

「ちっともそんな気がないくせに、しれっと言うんじゃないよ」

「ああ、やだねえやだねえ!」


 観山さんと僕のやり取りを聞いていた秀さんは、両手を広げて大きく息を吐いた。

 秀さんも僕より一足先に美校の助教授として戻っていたのだ。僕らが顔を向けると目を光らせて不敵に笑う。


「負けねえからな、って素直に言えばいいじゃねえか」


 確かにそうだな。僕だって画家として歩き始めた。絵を買っていただく以上、良い絵を描きたい。その思いはふたりに負けていないはずだ。


「大観さんもよろしくお願いします」

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