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つきが世界を照らすまで  作者: kiri
東京美術学校にて日本画を描くの事
15/72

捌 もうだいぶ時間がかかっているのに

 卒業制作は千代さんという絵を描かせてくれた女の人と、雅邦先生の絵を参考にして仕上げることができた。

 太平記にある北山殿(きたやまどの)謀反( むほん)の事。後醍醐(ごだいご)天皇暗殺を企て斬首された西園寺(さいおんじ)公宗(きんむね)の話を元にしたのだけれど、物語そのままの謀反の場面を描いてはいないんだ。


 妻、日野(ひの)名子(めいし)の不安な様子と、生まれたばかりの無邪気な子どもを対比して、その横にはもう(すす)けた武具しか残っていない夫。

 この家族の場面は、まだ外からは戦の喧騒(けんそう)が聞こえてくる残された者の不安や緊張の瞬間を描いたものだ。容赦のない戦いの無情。栄耀栄華(えいようえいが)も永遠には続かない世の(はかな)さを表現できたと思っている。


「……()めてるようだな」


 腕を組んだままの神来さんがそう言って僕を見る。

 卒業の可否を論ずる評定(ひょうてい)は、もうだいぶ時間がかかっているのに一向に終わらない。時々くぐもった荒い声が聞こえる。僕の『寡婦(かふ)孤児(こじ)』はどうなるんだろう。

 しばらくするとガチャリと音を立てて扉が開いた。


「とにかく一度休憩しましょう」


 下村先生の声だ。声に続いて先生方が部屋から出ていかれる。


「どうでも私の意見は変わらんからな」


 福地(ふくち)先生が、気になる言葉を残して背を向けられた。その後ろ姿に黙って頭を下げた下村先生は、ため息をついてこちらを振り向く。


「君達そんな所にいたのかい。当分、結論は出なさそうだよ」


 僕らを見つけると下村先生はそう言って伸びをした。だいぶ疲れた顔をしてるなあ。

 それを聞いた近くにいる学生何人かは、そのまま空いている教室に入っていく。やっぱり発表まで待つつもりらしい。


「まだここで待つかい」

「ええ、どこで何をしてても気になってしまうし、ってそれは神来さんも同じでしょう?」


 僕らも教室に入ろうとしたところへ先生方が戻ってこられた。慌てて頭を下げると、何人かは苦い顔のまま通り過ぎていかれる。

 なんだろう、なにか嫌な予感がする。


「待っててもいいけど静かにね」


 扉に手をかけた下村先生は小さな声で言うと静かにそれを閉じた。


「では、評定の続きを」


 あれ? さっきより話が聞こえる。そう思って神来さんを見ると、頷いて僕に(ささや)いた。


「下村先生、少しだけ開けてくれたんだな」

「それ、駄目でしょう」

「静かにって言われたろ」

「……はい」


 僕らは黙って扉の向こうのやり取りに耳をすませた。


「やっぱり落第だね。化け物絵を描くようじゃ美校の評判にも関わる」

「なんてことを言うんですか! 私にもこんな絵は描けない。これは画期的な絵なんですよ」


 雅邦先生の声だ。普段は物静かな(かた)なのに、大きな声をあげられるなんて。


「どこがだ。この汚い絵のどこが画期的なのか教えてほしいものだ」

「全体から受ける主題の重さは命を題材にしているからでしょう。それは受け手にきちんと伝わります。技術も申し分ない。特に(よろい)の精緻さは素晴らしいものです」


 ああ、雅邦先生はひとつの作品に対して、こんなにも細かなところまで見て褒めてくださるんだなあ。


「主題をいうなら真ん中の女だろう。薄ぼんやりとして気味が悪い。不気味な作風は卒業制作に相応(ふさわ)しくない」


 ざわざわと、それに賛同する声が聞こえる。


「技法にも統一性がないが、描線(びょうせん)の多様さや身体の曲線は悪くないな」

「卒業制作だからこそでしょうね。学習の成果を盛り込むのは当たり前のことですし」

「人物の表情も全体の色調も薄暗い」


 これは、もしかしたら……


「母子の情愛は感じられますよ。赤子はしっかり抱かれているし、この安心した表情はいいじゃないですか」

「悲壮感が生々しすぎる。だから化け物絵だというのがわからんのか」

「そこは人間のありのままの感情を表現したということでは」

「背景の光と影の描写はいいですね。西洋画の表現を取り入れてみたのでしょう。これこそ学習成果ではないですか」


 そういう、ことか。途中から薄々感じていたのだけれど、これは僕が描いた『寡婦と孤児』で揉めてたんだ。

 反対しているのは苦い顔つきだった福地先生か。雅邦先生がどれだけ言ってくださっても、どうにも自説を覆しそうにない。なるほど、下村先生が当分決着はつかないと言うわけだ。


 延々と繰り返される擁護(ようご)と反論。時間が経つごとに気持ちが落ち込んでくる。

 議論の中に足音と扉を叩く音。その後に声が続く。


「評定は終わったかね」


 僕はぼんやりと顔を上げた。

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