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つきが世界を照らすまで  作者: kiri
東京美術学校にて日本画を描くの事
13/72

漆 いよいよ僕も卒業制作を考える時がきた

 いよいよ僕も卒業制作を考える時がきた。下村先生にもよく考えろと言われていたから、最後の学年の一年間をかけるつもりで題材を探していて、実はそのために奈良に行こうと考えている。

 為吉兄さんから仕送りをいただいているのに、これ以上甘えていいのだろうかとは思うのだけど。参拾五(さんじゅうご)円あれば行けるんだ。


 奈良や京都の寺を見ることができる。もちろん簡単に行けるとは思ってないけれど、見に行きたい。絵を描きたい。ああ、できたら飯田へも帰りたいなあ。あれから一度も帰ってないんだもの。


重衡(しげひら)の『南都焼討(なんと やきうち)』を描こうと思ってるんです」


 会う人、会う人に言っていた。


「卒業制作にしようと思っているので」


 だからもう、からくり人形のように口から出てくる。


「寺だけは見ないと描けないんです」


 これまで順調に絵を描けてきたのに、ここでつまづくのか。

 参拾伍円あればなあ……


「……参拾伍円」


 ぼうっと呟く僕の後ろで誰かの声がする。


「ありゃ、どうしたんだい?」

「さっきから、あれしか言っていないねえ」


 焼き討ちを仕掛けて僧兵(そうへい)の討伐をしようといていた重衡の思惑を越えて、火災は奈良の大部分を燃やし尽くす。権勢を誇る寺社も一瞬のうちに儚く消えていく。それは苛烈(かれつ)に攻めていた重衡も呆然とするほどの火勢だった。荘厳な寺がいくつも焼け落ちる。


 頭の中にその場面が浮かんでは消える。寺の写生ができれば、朧気(おぼろげ)に浮かんでいる構図も決まるはずなんだ。重衡の思いも、僕のこころもちもそこに詰め込める。


神来(しんらい)さん、なんで東京には東大寺(とうだいじ)興福寺(こうふくじ)もないんでしょうね」

「返事に困ることを聞くな」

「はあぁぁぁ」


 結局、兄さんから借りられた分では、奈良で絵を描いて回るには到底足りなくて。申し訳なさと、卒業制作はなんとしても良いものを残さなくてはという思いで胸がきりきりと痛む。このまま何も描けなくて落第なんて、兄さんをがっかりさせるようなことできるもんか。


 他にも僕のこころもちを表せるものがないか探してみようかなあ。思考の煮こごりみたいなところから一度抜け出したほうがいいのかもしれない。

 そうだ、散歩の途中で描くものを見つけたり、想が湧いたりするのはよくあることじゃないか。

 ちょっと学校の外を見てみよう。


 美校を出て町を歩く。

 歩いて歩いて、歩き回った挙げ句、僕は木の根元に座り込んでしまった。


 ああ、駄目だあ……僕はどうかしてしまったんだろうか。いつもは「これだ」というのがポンと浮かんでくるのに、なんで今回はさっぱり出てこないんだろう。


 年中どこかで咲いてる撫子がここでも風に揺れている。呆れた顔でゆらゆらと揺れる。わかってるよ。焦ってるのはわかってるんだ。でもさ、なかなか題材になるものが見つからなくて落ち着かないんだよ。

 花ばかり見ていたものだから、いつの間にか写生をしていたのも手が伸びてくるまで気づかずにいた。


「あ」


 思わず出た声で手が引っ込む。すみません、と女の人の声がした。


「いえ、いいんです。こちらこそすみません」


 立ち上がってあたふたと謝罪を口にする。顔を上げると、困ったように笑う女の人がいた。

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