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つきが世界を照らすまで  作者: kiri
東京美術学校にて日本画を描くの事
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伍―続

 美校もできたばかりの学校だから、方針は変わらないけれど授業課程や編成が変わることがある。僕も日本画の専修科から普通科に編成替えになって、そして今度は分期教室というものが作られた。


 第一教室「巨勢(こせ)、土佐派、古代より中古に行われたる画派を主としたるもの」


 第二教室「雪舟(せっしゅう)、狩野派、足利時代及び徳川前期に行われたる画派を主としたるもの」


 第三教室「丸山四条派、徳川前期に行われたる書画を主としたるもの」


 大雑把に言えば、第一は伝統的なやまと絵、第二は狩野派、第三は写実的な絵か。

 貼り出された分期教室の内容を見て、僕らはずいぶんとざわついた。それはそうだろう、この中から自身の創作の主軸に据えるものを選べってことだろうから。少なくとも積極的に学んでいきたいものを選ばなくてはならない。

 僕はもう決めているけれど、皆はどうするのかなあ。

 掲示板の前で腕を組んでいた秀さんが、よう、と手を上げた。


「ミオさんはもう希望を出したのかい」

「はい、雅邦先生の第二教室に」

「だよなあ。これ皆、第二に希望を出すんじゃないか」


 日本画といえば狩野派というくらいだから、学生の作風はそれに寄っているものが多い。第二への希望が多いだろうな。

 伝統的なやまと絵にも、丸山(まるやま)応挙(おうきょ)の絵にも惹かれるものがあるけれど。僕は雅邦先生の言われる、絵に対しての「こころもち」を第一にという考え方を大切にしたい。それに先生のお人柄も穏やかで好きなんだ。


「そうですねえ、均等に分かれるのは難しいでしょうし、人数の少ない教室もそれはそれでどうかと思いますし。どうなるんでしょうね。僕もできたら第二に行きたいんですが」


 そこまで話して岡倉先生に呼ばれているのを思い出した。

 僕は、いってきますと秀さんに声をかける。


「おう」


 秀さんは言ったきり腕を組んで、また掲示板を睨みつけている。しばらく掲示板の前は騒がしいだろう。そう思いながら校長室に向かった。


「やあ、菱田君、よく来てくれた。そこに掛けたまえ」

「失礼します」


 岡倉先生は僕の目の前に座ると、前置きもなしに思いがけないことを言われた。


川端(かわばた)玉章(ぎょくしょう)先生の第三教室で描いてみないかね」

「第三、ですか。僕は橋本雅邦先生の教室でと思っているんですが」

「うむ。確かに第二でも学べることは多いし、君が橋本先生を慕っているのもよくわかる」


 わかっておられるならどうしてなんだろう。僕はもっと雅邦先生の下で描いてみたいんだけど、なんで第三教室なんだ。


「君にはもう一段階踏み込んで写生を軸に学んでほしい。色々と手法を学んで、君の中の創造性を引き出してほしいのだよ」


 小さくまとまってほしくないのだ、と先生の目が僕に向けられる。なんだか心の底まで見つめられているような気がしてきた。


「橋本先生の言う『こころもち』とは作品そのものの主題から感じられる画家の思いだね。対して応挙のそれは写生だ。物事の本質を見極めようとする探究心だね。それがなければ、あの花鳥風月の素晴らしさ、装飾性豊かな画面の創造はなかっただろう」


 悩む僕におかまいなしに続けられる先生のお話は、まるで怒涛のように僕を押し流す。


「応挙の流れを汲む川端先生に学ぶことは、君にとって大いに意義のあることだと思うのだ。狩野派の技術だけでなく、他のものからも学んだ上で描かれた君の絵をぜひ見てみたい。君なら、たとえ人物に写実的な要素を取り入れても西洋画に寄ったりはすまいよ」


 僕は言葉の奔流に溺れそうになっていた。先生はようやく言葉を止められて、僕はやっと息を継ぐ。

 先生はその息継ぎの一瞬間(いっしゅんかん)、まるで夢を見るような目をされた。

 なんだか少年のようだな、なんて思ってしまった。夢を見て、その夢は掴めるのだと信じていて、だから実行するに何の躊躇(ちゅうちょ)もないんだ。僕は一瞬見た先生の目を宝物のように心に焼きつけた。


「私はね、日本画という芸術を世界的なものにしたいと思っている。ぜひ西洋画に劣らない作品制作をしてほしい」


 身体が震える。こんな風に期待をかけてくださっているなんて思ってもいなかった。身を乗り出して話される先生の眼差しは真剣で、日本画の未来を遠く見据える思いの熱さが胸に響く。

 浮世絵が西洋の画家に受け入れられたように、これからの日本画も世界に受け入れられるのかな。もし先生の思いを描けたら、僕の描く絵もそうなるのかな。さっきから身体の震えが止まらない。ああ、これはきっと武者震いというやつだ。


「どうかね、私は君にならできると信じている」


 先生の思い描く理想を実現してみたい。これは是が非でもやってみたい。


「僕は……」


 迷いを振り切って返事をお伝えした。

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